第35話 『ラスボス症候群』⑨
あたりは霧が立ち込め、夜ということもあって視界はほぼゼロ。
少なくとも私にとっては。
ただ、城内からは悲鳴と魔物たちの咆哮がひっきりなしに聞こえてきていた。
突如現れ、日没後に集団でしかも煙幕を張って奇襲を仕掛けてきた魔物の軍団に城の人々はなすすべもなかったようだ。
次々に城から逃げ出す人々。
先生は「第一目標は城の陥落だ。逃げる人間は襲うな」と指示していたので、逃げられるとわかった人々が城からいなくなるのは早かった。
「お見事です、先生」
月の光で金色に瞳を輝かせている魔王が戦場から戻ってきた。
体中に矢が刺さっており、しっかりと前線の苦労を味わえたようだった。
平気そうにしているけど早く手当をしたほうがいいんじゃないだろうか。頭にも刺さっているけれど何故生きているのだろう。魔王だから?
「人間にはもう一つ弱点がある。それは、勇者以外の人間は勇気がないことだ。身の危険を感じればすぐに逃げ出してしまう。だから勇敢なものを勇者や英雄だなどと呼んでおだてて自分たちの代わりに戦わせるのさ」
先生は遠い目をして言った。
かっこいいようなことを言っているけど私も先生も人間なのに。
私は自分がやったわけではないけれど、今日だけで城と村を一つずつ陥としてしまったことにただただ罪悪感のような虚しさを感じていた。
先生や魔王は満足そうにしていたし、アリゲートは感涙してたけどね。
私達はようやく魔王城に戻ってきた。
こんなに一日が長く感じたのは初めてかもしれない。
「先生、本当にありがとうございました」
魔王は美しい姿勢で深々と頭を下げた。心の底からの敬意を示すかのように。
魔王が流されやすい性格なのか、この短時間で魔王の信頼を得てしまった先生がすごいのか。
「いやいや、君もなかなか飲み込みが早かったよ。これなら100年どころか10年もあれば世界を滅ぼすことができるだろうね」
「ありがとうございます。先生の指導のおかげです」
「おいおい、まだ国の一つも滅ぼしていないのだから、お礼は気が早いよ」
「いえいえ、もう勝ったも同然ですよ!」
完全に師弟関係が成立してしまったようだった。
このままではいつまで経っても帰れない。
「あのー先生? もうそろそろ……」
私が声をかけると、先生はようやく気づいたように
「ああ、悪い。ついつい力が入ってしまったよ。いい加減元の世界に帰らないとね」
先生がそう言うと魔王は心底残念そうな顔で駆け寄ってきた。
「え? もう帰られるんですか? まだ何もお礼もできていません。ぜひもうしばらくご滞在していただきたい! そうだ。世界を滅ぼしたら世界の半分を先生にさしあげますよ!」などとのたまう。
「滅ぼした後の世界なんていらないよ」
「そうですよね! すみません」
なんて二人で笑い合っている。
本当にこれでいいのだろうか。
「じゃあ、ボクたちは元の世界に帰るから。しっかり滅ぼすんだぞ!」
ちょっと先生、なんてこと言うんですか。
「はい! また近くにこの世界にこられた際はぜひ私の城に起こしください。そのときは全魔王軍をあげておもてなしさせていただきます!」
魔王に見送られながら私たちは元の世界へと帰った。
若干の後ろめたさと、イケメン魔王の変貌ぶりにいくらかの残念な気持ちを残しながら。
元の世界に戻ると先生はいつものちんちくりん童女の姿に戻り、私は全裸になる力はもう使えなくなっていた。
「なかなか楽しい異世界召喚の旅だったな」
先生は上機嫌に振り返った。
「あの……よかったんですかあれで」
「なにが?」
私は今回のことをカルテに書き込む作業をしながら先生に気になっていた疑問をぶつけてみた。
「だって、あの世界はもう勇者は現れないんですよね? 完全復活した魔王と、さらに先生が入れ知恵した魔王軍に攻められたらあの世界の人類は滅ぼされちゃうんじゃないですか?」
「いやあ、あの魔王はそこまでバカじゃないさ。きっと人類を支配下において、家畜のように扱って共存することを選ぶはずだ」
「いや、それもどうかと……」
あの世界の人間たちにはなんの恩もないけれど、恨みもないわけで。どうしても私は人間だし、先生みたいにフラットにはみれず、もやもやしたままだった。
そんな感情が顔に出ていたようで、先生が私の顔を覗き込んできた。
「なんだリコくん。あのイケメン魔王のことが気になるのか?」
「そんなんじゃないです。ただ、本当に良かったのかなって。神官さんたちは感じが悪かったですが、あの世界に生きる人達には罪がないっていうか」
「そうか? 自分達の世界の危機を別の世界の人間に救ってもらおうだなんてそっちのほうが間違っている気がするけどな。自分たちの世界くらい自分たちの力で守ればいいと思うけど」
そう言われればそうなんですけど。
まだ納得がいかない私を見て先生は立ち上がった。
「よし、わかった。たしかにこのままじゃ少しバランスが悪い気がするな。じゃあこうしよう」
先生は外出の準備を始めた。
「え!? 今更一体何をする気ですか?」
先生はニヤリと笑って言った。
「異世界召喚だよ」
「おーい! そこの少年!」
先生が声をかけたのは私達が異世界召喚される前に診療所に訪れていた異世界からきた少年だ。
少年はあれから浮浪者になったようで、ボロボロの布に身を包み、顔も体も真っ黒に汚れ、やせ細っていた。そして少し臭う。
「君は元の世界に帰りたいんだったね?」
「あ、あなたは確かお医者さんの……」
声はかすれてしまっていて、今にも倒れそうだ。
「そうだ。君を元の世界に返してあげようと思ってね」
「本当ですか!?」
「ああ、しかも異世界転移したときに君は特別な能力を手に入れることもできるだろう。きっと世界を救うような力を手に入れられるはずだ。君が望めば、だけどね」
「ありがとうございます。なんとお礼を言ったら良いか」
「気にするな。ボクは医者だ。医者は困っている患者を助けるのが仕事だ」
最初と言っていることがぜんぜん違う。
「じゃあ早速始めるぞ」
「まさか、先生、この人の元いた世界って……」
「魔王フォーミダブルの復活したあの世界だ。彼はボクたちを召喚するときに生贄としてこの世界に送り込まれたのさ」
「ええええええ!!?」
それを知ってて先生は――
少年の足元に魔法陣が浮かび上がる。
光に包まれた少年は光が消えた後にはもう姿はなかった。
「どうして彼があの世界から来たってわかったんです?」
「コレだよ」
先生はポケットから石ころを取り出して私に渡してきた。
その石にはあの教会でみた剣のような槍のようなシンボルが刻まれていた。
「これって!?」
初めてあの少年が診療所に来たときに置いていった石?
「詳しいことはわからないよ。だけど、彼のおばあちゃんがコレを持っていたということは彼の家はあの教会の関係者か、それとも伝説のなにかの末裔か。そんな運命でもあるんじゃないか」
「そうだったんですね。じゃあ、もしかすると私達が喚ばれたことも、彼が喚ばれたことも、なにかの運命に導かれていたのかも知れませんね」
「そんなわけあるか」
せっかく私がいい感じにオチを付けてあげようとしたのに!
「彼、きっとすごい能力を手に入れてますよね」
「さあね。まあそれなりに楽しい人生を送れるんじゃないか? 少なくともこの世界でホームレスをやっているよりはマシだと思うよ」
「でも能力ってハズレを引いたら『成長』とか『全裸』ですよね」
「ああ、あれはボクたちの願望がそういう能力を選んでしまったんだろうね」
先生、自分の願望が体の成長だってこと認めちゃった。いつもは気にしてないみたいなこと言ってたくせに。
でもそうなると私の願望が全裸になることになってしまうんですけど。
彼が一体どんな願望を持って転移していったのか。
魔王フォーミダブルと戦えるような能力になってると良いのだけど。
いつかもう一度先生にお願いしてあの世界に行ってみよう。
イケメンだけどちょっとアホっぽいあの魔王が世界を滅ぼせたのか、便りなさそうなあの少年がどんな能力を手に入れたのか、気になるしね。
それはまたの機会に。
『ラスボス症候群』 症例18
患者名:魔王フォーミダブル
性別:不明
年齢:不明
【症状】
異世界において、勇者(魔王を倒す予定の人間)に都合よく仕組まれた世界で復活してしまい、異世界から召喚された勇者によって倒されそうになっていた。
【経過】
担当医師の指示によって魔王軍を再編成。
魔法、近距離、遠距離、盾役、囮役、斥候役などをバランスよく配置。
また、攻撃されるのを待つのではなく積極的に攻めることを提案。
特にこれまで後方に配置していた主戦力を前線に配置し、敵の準備が整う前に殲滅する作戦を提案した。
突然の魔王軍の戦略的な攻撃によって人類に壊滅的な打撃を与えた。
【担当医師所感】
突然の出来事だったからね。
もう少し準備していくことができればもっと効率のいい治療が行えたんだけどな。
あの後どうなったのかって?
そりゃまあ、また魔王が封印されたんじゃないか?
いくらボクが入れ知恵したところで魔王ってのは生まれた時から滅ぼされる運命にあるんだよ。
かわいそうだけどね。
あんぱんとバイキンが戦うといつもアンパンが勝つというお話があるだろ?
ボクは何故かいつもバイキンの方に感情移入してしまって応援するんだけど、最後はいつもやられてしまうんだ。
だから今回はやられる運命にあっても最後まで抗ってほしいという願いを込めてみたんだよ。
【同行者所感】
なんだか流されてますけど、私と先生が転生した時に身に着けたあの『成長』と『全裸』の能力って一体何だったんでしょうね。
断じて私にそんな趣味があるわけではありませんが、先生は口では気にしてないと言いつつ、やっぱり見た目のこと気にしてたんですかね。
どうなんですか先生。
違う?
嘘ばっかり。
だって今回ずっと上機嫌だったじゃないですか。
すぐに帰ってもよかったのに張り切っちゃって、城まで攻略してたじゃないですか。
どこ行くんですか先生。
逃げても無駄ですよ。
先生の決めポーズと決め台詞の数々は全部カルテにちゃんと書いてありますからね!




