第32話 『ラスボス症候群』⑥
「スライムくんたちがなかなか良さそうだね」
先生はプルプルと揺れるスライムを一つ拾い抱えながら言った。
半透明で薄い青色のスライムは目だけ確認できる。
この世界のスライムはおそらく弱いタイプのスライムだ。私はそこで一つ思い出して叫んだ。
「あ! もしかしてスライム症候群ですか?」
私も先生の元で働くようになって症候群の勉強もし始めた。
スライム症候群は過去の症例に結構な数あったから覚えていた。
「スライムは最弱のモンスターと見せかけて、なんでも吸収する力を生かして最強のモンスターになったりするんですよね! あれは爽快ですよね!」
「違う。そんな都合のいいスライムがそうそういるわけ無いだろ。あれは特殊中の特殊だよ」
バッサリと否定されて私、少し傷つく。
私が落ち込んでいる様子を見て先生が慌ててフォローしてきた。
「あ、いやそういうスライムもいるにはいるんだけど、ここにいるのは本当に普通のスライムだからね。うん。さすがはリコくんだ。よく勉強しているね!」
露骨で下手くそだったけど、私、少し機嫌がなおる。
「でも、じゃあどうやってスライムさんたちであの村を攻めるんです?」
「うん。まずスライムは体を自由に変形させることが出来ることが強みだ。だから、あの柵の隙間から侵入することが出来るんだ。それに物理攻撃がほとんど効かない。こんな小さな村なら魔法が使える人間は少数だろうからね。スライムでも十分に打撃を与えることが出来るだろう」
とは言えスライムは最弱モンスターの一つ。
「でも、スライムって攻撃力はほとんどないですし、いくら物理が効きにくくても相手を倒せませんよ?」
「スライム症候群に出てくるようなどんな力でもいくらでも吸収する、というのは普通のスライムには無理だけど、スライムの体を変質させるのは簡単だ。例えばこれを使うと……」
先生は白衣のポケットから小瓶を取り出すと、近くのスライムに中身の液体をふりかけた。
すると透明に近い青だったスライムの色が禍々しい緑色に変色した。
「こ、これはなんですか」
ボコボコと泡立ち、今にも溶けて地面に吸収されてしまいそうだ。
「毒属性を与えてポイズンスライムに変化してもらったんだ。攻撃した時に相手にまれに毒状態にすることがある」
「毒、ですか」
「そうだ。戦いおいて敵を倒すことは賢明じゃない。むしろ、敵に致命傷を与えずに傷つけることで、救助や治療に人手を割かせることができる。それが敵の戦力を効果的に削ぐ手段なんだ」と、先生は冷静な口調で語った。
「毒攻撃はその点で非常に有効な手段といえる。毒を使うことで相手を弱らせ、じわじわと敵の力を奪っていくんだ」
「それはそうかも知れませんが……なんていうかちょっと卑怯じゃないですかね」
「卑怯? これは生き残りをかけた戦争なんだぞ? 人間たちは魔物たちにそんな慈悲の心を持って接しているとでもいうのか? ゴブリンたちは大量に虐殺され、棲家を追われて森から追い出されてしまったんだぞ?」
せ、戦争って……。
「それは魔物ですし仕方なんじゃ……」
「人間が魔物を倒すことに文句はないよ。異種族を滅ぼそうとするのは本能だ。だけど、逆に魔物が人間を襲うのも『仕方のない』ことだと言えるんじゃないかな」
そうですかねえ。そうなんですかねえ。頭は理解しようとしていても感情が理解してくれない。
「よし、次はこれを使う」
先生はまた別の小瓶を取り出してスライムに振りかける。今度はスライムが銀色に変色した。
「シルバースライムだ。液状でありながら金属の属性を手に入れることで魔法をほぼ無効化出来る」
「なんだかやっつけたらいっぱいレベルアップしそうですね」
そうだね、と笑って先生はスライムさんたちに向かって演説を始めた。
「いいかいスライムくんたち。今回の作戦は君たちのみで行う。いやこれは君たちにしかできない!」
スライムさんたちの視線が一斉に先生に集まる。
「まず、柵の隙間から内部に忍び込んでくれ。広い場所は避けて、民家の中で攻撃を仕掛けるんだ。家の中なら武器を振り回すのは難しいし、君たちが身を隠せる場所も多いからね。安心感のある場所を襲撃することで、心理的なダメージを与えることも大事だ。毒攻撃で村人たちを次々と毒に冒してやるんだ」
言葉にするとなんともひどい響きの作戦内容だ。
「村の守備隊が反撃に出てくるだろうが、魔法攻撃にだけ注意すればいい。君たちに触れればそいつも毒にできる。おそらく数名は魔法が使えるものがいるだろう。魔法使いが出てきたらシルバースライムくんたちの出番だ。君たちには魔法攻撃は一切効かない。ポイズンスライムくんたちを守ってやるんだ。無理な攻撃は厳禁だよ。いくら金属の体と言っても体力は低いからね。小さなダメージが蓄積するとやられてしまうから、危ないと思ったらすぐに逃げるんだ」と先生は熱く語りかけた。
スライムさんたちは喋ることはできないが、作戦の主役になるということが嬉しいらしく、目を輝かせて先生の話を聞いていた。
「魔獣くんたちは今回は援護だ。あの柵は攻めるときは厄介だが逃げるときは逆に敵を閉じ込める檻となる。まずは村の出入り口三箇所を外側から木で塞ぐんだ。そして、本格的な反攻が始まってスライムくんたちが退避し始めたら君たちはスライムくんたちを背負って森の中へ逃げてくれ」
魔獣の皆さんも言葉は理解できるらしく、鳴き声で返事をしている。
「では作戦開始だ!」
スライムさんたちは音もなく村へ侵入し、やげて村から悲鳴や怒号が響いてきた。
まもなくして魔法が使われたような光や火柱などが上がる。
村の中は今頃スライムにいきなり襲われパニック状態になっているはずだ。
高い柵の中から村人たちの悲痛な叫びが聞こえてくる。
逃げ惑う様子が叫び声から想像できる。
頬に冷たいものを感じた。
手のひらを前に出すと水滴が一つ、二つと増えていく。
「雨だ」と私はつぶやく。
あっという間に大雨になり、さらに村人にとっては悲惨な状況だ。
泥に足が取られ、体が冷え、視界がわるく敵の近づいてくる気配も雨音で消されてしまう。
もうこれではまともに戦う士気もなくなってしまうことだろう。
先生はその様子を確認して
「よし、撤退だ!」と合図した。
狼の魔獣さんが遠吠えする。
すると、あちこちの柵の隙間からスライムさんたちが滲み出るように脱出してきた。
それを待機していた魔獣さんたちが背中に乗せて逃げる。
出入り口を封鎖された村人たちは追撃することもできず、スライムさんたちは悠々と逃げることができたのだった。
「みんなよくやってくれた! 作戦は大成功だ!」
先生は森の奥で魔物たちを集めて労いを始めた。
スライムさんも魔獣さんも大喜びだった。
魔物たちは大雨など気にもしない。
私はただでさえ破れている服が雨に濡れて体にピッタリと張り付き、人には見せられない姿になってしまった。ここには先生と魔王くらいしかいないんだけど。恥ずかしいものは恥ずかしい。
「まさかこんなやり方があるとは……」
雨に濡れて顔に張り付いた髪をそのままに、魔王さんは驚きながらも、喜ぶ魔物たちを見て複雑な表情を浮かべている。
「あの村はもって一週間だ。あれだけの病人を抱えてしまっては村の医者では対処できないだろう。大多数の村人は都市へと移送される。それに村からの反撃も森の中ならば魔獣くんたちの方が有利に戦える。この狭い村だ。こちらが大群を使えないのと同じくあちらも大軍を使えないのだからね。いくら反撃しようとしてもこの森の中ならいくらでも戦いようはある」
先生は雨でふわふわだった髪が顔に張り付いているのだけど、気にもとめず、どうだと言わんばかりに魔王に自慢げな視線を送る。
「今回は貴様の勝ちだ。だが、たかが村一つを陥としたくらいでいい気になるな」
「何を言っているんだ。まだまだやることはたくさんある。次に行くぞ!」
「え?」
私と魔王は同時に驚きの声を上げた。




