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症候群✕症候群  作者: ひみこ
Karte01 『腹減った症候群』
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第1話 『ハラ減った症候群』



第一話 ハラ減った症候群


「先生、私達はどうしてこんな深い森の中に来たんでしょうか」


「ここに患者がいるからに決まってるじゃないか」


 先生はカルテから目を離さずに答える。

 本気で言っているようだ。


「患者ですか……」


 私はあたりを見回す。

 背の高い陰樹によって空は覆い隠され薄暗く、360度がすべて木、木、木。

 患者どころかそもそも人がいそうにない。


「ヒトどころか│クマにでも出会いそうなんですが……」


「そのほうが都合がいいんだよこの場合」


「はぁ」


 先生の言っていることが私には全然理解出来なかったのだけどこれ以上は私は口をつぐむ。

 今日は記念すべき初仕事。

 この「先生」は世界的名医――と聞いている――で私はその助手だ。

 余計な口出しが出来るわけもなく今は従っておくしかない。

 なんて考え事をしているとぐいっと袖が引っ張られて転けそうになった。


「おい君! あれだ! なあ君ってば!」


 先生は興奮した様子で小さな腕で私の袖を引っぱっている。

 先生は背が低いので子どもが母親の注意を引いているかのようになってしまう。


「私の名前はリコです先生。今日から先生の助手を務める事になりました――」


「あそこを見てみろ。患者が現れたぞ!」


 私の方を一切向かない先生の指差す先にはたしかに動く人影のようなものが見えた。

 こんなところに人が本当にいるなんて。


「さあ、ボクたちの出番だ、急ぐぞ……えっと……リカくん?」


「リコです」


「リコくん。急がないと手遅れになる。ボクについてきてくれ」


「せ、先生!? ま、待ってください!」


 私が声をかける前に、先生は人影の方へと駆け出した。

 小柄な身体でまるで跳ねるボールのように木々間を突き進んでいく。

 一瞬その姿に目を奪われ立ち尽くしていた私は、森の中に置き去りにされそうになっていることに気づいて慌てて先生を追いかけた。


「ちょっと先生っ! 私そんなに速く走れませんっ!」


 私はなぜこんなことをしているんだろう。

 世界的名医の助手。

 しかも王政府から紹介された仕事。

 学園で首席だった私にしか務まらないと言われて選ばれたときは本当に感激した。

 昨日は期待と興奮でうまく寝れなかった。

 どんなに豪華な施設の中で最新の医療技術を目にすることができるのかと想像していた。

 それが今、私は土にまみれ、道なき森の中を走っている。

 どうしてこうなった?




「はぁ……はぁ……先生、すみません、遅くなってしまいました」


 若い男性が先生の隣に立っている。

 この人が先生の言う患者なのだろうか。


「やっときたか。早速だが問診を行うから、君はカルテの記入を頼むよ」


 先生は背負っていたバッグから紙を貼り付けたボードとペンを私に手渡してきた。


「あの、私カルテを書くのは初めてで何を書けばいいかわかりません……」


 肩で息をしながら訊いた。


「ボクと彼の会話をできる限り詳細にメモしてくれ。会話だけでなく患者の様子なども出来る限り詳細にだ」


 先生は早口でそういうと私の返事も待たずに男性に質問を開始した。


「わ、わかりましたっ!」


 いよいよ先生の診察が始まる!

 世界的名医の元でいっぱい勉強して私もいつかは医者になって多くの人々の力になるんだ。

 ペンを握る手に力を込めた。


「えーっと、それで、君の名前は?」


 先生はいつの間にか白衣を羽織っていた。

 ぶかぶかで裾は引きずっていたけれど白衣を羽織れば一応医者に見えなくもない。


「いや、あんたらいったい誰ですか」


 いや、あんたらいったい誰ですか、と男は訝しむような目つきで至極当然の疑問を返した。

 と、私は必死にメモをとる。

 さらに男の髪の色や服装、外見の特徴なども急いで記入していく。

 男の髪は黒に近い茶色。ボサボサでしばらく洗ってはいなさそうだ。

 服装は農業従事者を思わせる安価なもので、厚手のズボンとブーツ、そしてカーキ色の機能的なリュックサックを身につけている。

 山道を歩くために特別に装備したものだと思われる。

 場違いにスカートなんか履いている私とは違って。

 年齢はおそらく十代後半くらいかな。


「ボクは医者だ。そこにいるのはボクの助手のミコくんだ」


「リコです」


「ボクたちは君を治療しに来たんだ。時間がない。早く質問に答えてくれ」


 男は先生の説明を聞いてさらに表情を硬くする。

 無理もないと思う。だって私にだって先生の言っていることは意味がわからないのだから。

 でも先生の表情は真剣そのものだ。

 見たところどこも悪くないようにみえるのだけどこの人が一体何の病気だというのだろう。


「何なんだよ君たちは……」


 最初は怪しんでいた男性も先生の剣幕に押されて徐々に質問に答えるようになっていった。

 名前はルーカス。歳は22歳。独身。至って健康でこの森へは薬草を取りに来たとのことだった。


「なるほどこれだけ分かればもう十分だ」


 先生は一通りの質問を終えて満足げな表情。

 反対に私とルーカスさんは疑問ばかりが膨らむ。

 今の問診で一体何が分かったというのだろう。


「す、すみません……俺、何か重大な病気にでもかかってるんですか?」


 ルーカスさんの不安そうな表情に、私まで緊張してしまう。

 一体どんな病気なんだろう。

 私はゴクリとつばを飲み込む。

 先生は真剣な眼差しでルーカスさんを見上げて


「君は、お腹が空いているだろう?」


 一瞬の間があいた。


「え?」


 ルーカスさんは質問の意味がわからないと行った表情で、私も全く同じ表情だったと思う。


「いいから、正直に答えてくれ。君は今、お腹がすいているだろう? それも倒れそうなほどに」


「あのな、さっきから意味がわからねえよ。その質問が今何と関係あるんだよ。もしかしてふざけてるのか?」


 ルーカスさんはとうとう苛立ちを抑えきれなくなってきたようで声を張り上げていった。


「関係大ありなんだよ! 腹が減ってるのか減ってないのか、どっちなんだ!?」


 先生は自分の倍近くあるルーカスさんの大声にも一切ひるまずに言い返した。

 先生は実際、まったくふざけている様子は見て取れない。

 むしろ真剣さが伝わらないことにいらだちを感じているように見えた。

 とはいえ、ルーカスさんだって意味がわからず困惑してしまうのは無理もない。

 ここは私が間に入るしかなさそうだ。


「あの、とにかくお二人とも落ち着きましょう? ね?」


 ルーカスさんは先生と私を交互に見て、小さな嘆息をした後に答えた。


「……さっき持参した昼飯をとったばかりでお腹はいっぱいだよ。むしろいくらか食糧を余らせているくらいで……残りは後で食べようかと――」


 ルーカスさんが言い終わる前に「なんだって!?」と先生が叫んだ。

 変な質問したり急に大声出したり、大丈夫なのかなこの人。


「どういうことだ。どういうことだ。どういうことなんだ……! 腹が減っていないなんて……しかも食糧が余っているとは……」


 先生は明らかに動揺している様子でこちらのことも目に入らないように考え込んでしまっている。次に思い立ったようにバッグの中から分厚いカルテを取り出し高速でめくっていく。

 初めは何がなんだかわからずちょっと引いていたのだけど、先生のあまりの取り乱し様に、私とルーカスさんも不安になっていく。


「せ、先生? ルーカスさんは……その、助かるんでしょうか?」


 こらえきれず、つい私が先生に声をかけてしまった時、そこへ少し離れた場所から女性の悲鳴らしきものが響いてきた。


「し、しまった! そうか、そういうことだったのか!」


 先生は何かに気づいたように、悲鳴が聞こえた方へと駆け出していった。

 私とルーカスさんは、先生の突然の動きに戸惑いながらも、それぞれ手分けして先生が散らかしてしまったカルテなどを集め始めた。


「今の悲鳴だよな……」


ルーカスさんが心配そうに口にした。


「そうですね……私達も追いかけましょう」


 私達も先生の後を追った。


 



 熊がいた。

 それも異常にでかい熊。もう熊なのかどうかも疑わしいほどに巨大な。

 その傍らに先生たちもいた。

 正確には先生の横には女の子がぐったりした様子で倒れていた。


「せ、先生――!? なんですかそのデカい生き物! は、早く逃げてください!」


 猛々しい唸り声が轟く。

 巨大熊は後ろ足で立ち上がる。

 先生の小さな体なんて熊の鼻息で吹き飛んでしまいそうなほど。


「君たちはそこに身を潜めているんだ! ボクなら大丈夫だ」


 ――大丈夫!? なにがどう大丈夫なの!?


 先生は慌てる様子もなく、それどころか熊に背を向けると、倒れている少女の方を向いてしゃがみ込んだ。


「これを食べてごらん」


 先生は少女の口元にパンのようなものを差し出し、無理やり口に詰め込んだ。

 少女は口の中にパンを入れると、目をパッと開けて瞬時に平らげてしまった。


「やっぱり! 君がお腹をすかせていたんだな!」


 先生は少女の様子に満足げなのだけど、見ている私はいつ先生が巨大熊に襲われるのか気が気じゃない。はやくはやくはやく。早く逃げて。


「先生! うしろ、うしろーっ!! ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ! せんせぇぇぇぇっ!!」


 熊が巨大な口を開けて先生に襲いかかる。

 一方、先生は白衣のポケットに両手を突っ込んだままその巨大熊を見上げたまま動かない。

 の、背後で立ち上がった少女が見えた。

 かと思うと、少女が一瞬で熊の後ろに移動した。

 瞬間移動でもしたようにしか私には見えなかった。 

 すると、熊は動きを止め、私の胴以上はあろうかという太い首がまるでギロチンで切り落とされたかのようにずるっと地面にずり落ちた。

 噴水のように吹き出した血が先生の白衣の裾を赤く染めた。

 少女の手元には短剣が握られており、薄っすらとついた血のしずくが一滴地面にこぼれ落ちた。


 私とルーカスさんは顔を見合わせる。

 私もルーカスさんも何が起きたのかさっぱりわからなかった。




「さて、説明しよう。先に紹介しておくと、こちらの女性はグレンさんという」


 そう言って白衣をいつの間にか新しいのに取り替えている先生が紹介してくれた女性は、短めの金髪をサイドテールにしている十代前半くらいの女の子だった。

 グレンさんは丁寧に頭を下げて


 「初めまして、グレンです。よろしくお願いします」


と言ってくれた。その礼儀正しさに私とグレンさんもつられて、自己紹介とともにお辞儀をしてしまった。


「グレンさんはこの山の奥に住んでいたという伝説の大賢者に育てられて、剣術、魔法、あらゆる戦いに精通しているらしい。さっき魔獣を一瞬にして葬り去ったのは見ただろう?」


 魔獣って?

 そんな物騒なものが出るんですかこの森。聞いてないんですけど。生まれて始めて見たんですけど。

 それにしても先生が口を開くたびに疑問が増えていく。


「先生、その、グレンさんのことはわかったんですが、いえ、本当はそれもよくわかっていないのですが、先生が言っていた患者さん? というのがそのグレンさんだったんですか?」


「そうだ。ボクははじめはルーカスくんの方が発症者だと思ったんだ。男性だったからね。この症例は圧倒的に男性側に発症する例が多いんだけど、稀に女性に発症することもある。ボクとしたことが見落としていたよ」


 グレンさんの方が患者だった?

 でもグレンさんも見た目は元気そのもの。どこも悪そうには見えない。とはいえさっき倒れていたし先生があれほど慌てていたのだから急を要する容態なのかもしれない。


「そ、それなら、早くグレンさんを治療してあげてください! 急がないと間に合わないんですよね!? なにか必要な道具やお薬はありますか?!」


「ああ、それならすでに終わってるよ。彼女はもう大丈夫だ。間に合って本当によかったよ」


 治療が終わった?

 そんなことをした様子はなかったのに。

 いくら先生が凄腕と言っても倒れているところに出会って、熊に襲われて……治療する暇なんてどこにもなかったはずだけど。あったとすれば。


「もしかしてあのパンみたいなのが実はなにか特別な薬かなにかだったんですか?」


「いや、あれはただのパンだ。ここに来る前にパン屋で買っておいた」


 ――ただのパンを食べただけで治療が終わり?


 もう何がなんだかわからないので先生の説明を黙って聞くことにした。


「これは間違いなく――――『ハラ減った症候群』だ」


 ――ハラヘッタ症候群? 

 

 聞いたこともない名前の病名だ。

 私だってそれなりの数の病名は暗記してあるのはずだったのだけど似た名前すら聞いたことがない。


「この症候群は通常、街のど真ん中や食堂の前などで発症するんだけど、こういう森の中や辺鄙な場所でも稀に発症することがある。その場合は敵に襲われる症状を併発することが多い」


「な、なんですかそれ。それが症候群なんですか?」


「うん。この『ハラ減った症候群』は主に凄腕の戦士や魔法使い、まだ自分の才能を理解してない天才などによく起こる。腹が減って倒れてしまったところにちょうど食糧をもった異性の相手が通りかかる。そして、食料をわけてもらうことでこの症候群は発症してしまうんだ。今回の場合はグレンのさんの前にルーカスさんが現れる予定だったのだろうね。ルーカスさんは食糧を余らせていると言っていたね?」


 先生はルーカスさんに視線を向ける。


「はぁ。たしかに余らせてはいるが」


 ルーカスさんは確かに先ほどそんなことを言っていた。


「それをグレンさんに食べさせてしまっていたらもう手遅れになるところだったんだ。説明に戻ろう」


 私がグレンさんに視線を向けると彼女は少し困ったような顔をしてから笑ってみせた。

 さっき熊を一撃で倒したから怖い人かと思ったけど、優しそうな人だ。


「腹が減っていた凄腕の人物は、その食事の御礼にといって食事を与えてくれた人物に恩を返そうとするんだ。一宿一飯の恩義ってやつだね。だけど、ただの一食の礼とは到底釣り合わない恩返しをするはめになってしまう。魔法使いならば流行病を治すだとか、戦士や騎士の類であれば街を襲う魔物退治だとか。それで終わればまだいい。最悪の場合は、そのまま食事を与えてくれた人物を自分の命の恩人などと言い出してしまう!」


 ん。何か話がおかしな方向へ向かっている気がする。


「そうなってしまったらもう手の施しようがない。死ぬまでこき使われてしまうという、とんでもなく恐ろしい症候群なのだよ!」


 とんでもなく恐ろしい……それのどこが?


「えっと、つまり、どういうことですか?」


 私はまだ良く理解できてない。他の二人もよく理解できていないようだ。説明が長いし仮定の話が多すぎて想像が追いつかない。

 先生はふぅと一息ついた後。一瞬考えてから


「だから、本当だったらグレンさんはルーカスさんにここで食糧を分けてもらって、その恩返しに命がけの重労働をさせられるところだったってことさ」


 現状だけ見れば確かにそうなっていた可能性はなくはないかもしれない。先生がそう言うからそう思えるだけかもしれないけれど。

 でもどうしてそこまで自信満々に言い切れるのだろう?

 希望的観測と言うか、予測というか、すごく説得力に欠ける話だと思うのは私だけ?

 あまり納得はできないのだけどとりあえず「そうかもですね」と肯定しておいた。


「うーん、たしかにあのときは死ぬほどお腹が減っていたので……助けてもらったのならそういうことを言うかも、しれませんねぇ」


 グレンさんは少し首をひねりつつも先生の言うことを肯定した。話を合わせてくれたのかな。この人ほんとにいい人っぽいな。


「ところでルーカスくん。改めて聞くが、君はこんな森の中で何をしていたんだい?」


「それは……実は、村で流行している疫病の治療薬を作るために、この山奥の洞窟に生えている薬草を採取するために来たんです……」


 ルーカスさんも素直に答えると、先生が興奮気味に声を上げた。


「ほらでた疫病! ね? これだよこれ!」


 どれですか。


「だ か ら、このままだったらグレンさんはルーカスくんと一緒にその薬草取りに同行する羽目になり、あれやこれやのトラブルに巻き込まれていたってことさ! その後は村人に感謝されてハッピーエンドするか、そのまま村に滞在することになり次のトラブルに巻き込まれてさらに面倒事を背負い込むことになってたんだよ」


 かなり無理やりな気もするけど、一応話の辻褄は合う。のかなあ。


「な、なるほど。それで、先生はそうなる前に……」


「そう。グレンさんに食べ物を食べさせたのさ。もちろんボクは今困ってなんかいないし、パンの一個くらいで命の恩人を気取るつもりもない。ボクはお金持ちだしね。だからグレンさんにはなんの見返りも求めない。そうだな、せっかくだからグレンさんにはその能力に見合った仕事なんかを紹介して今回の治療は終了だな!」


「ちょ、ちょっとまってくれ!」とルーカスさんが慌てて割り込んでくる。


「あんたの言うことが全部本当だったとしたら、そのグレンさんは俺を救ってくれるはずだったってことか?」


「ふむ、そうだね。『ハラ減った症候群』でもなければ君たちのような珍妙なトラブルを抱えた二人がこんな森の中で偶然ぴったりばったり出会うわけがないからねぇ」


「じゃ、じゃあ、あんたがグレンさんを助けたから、グレンさんはもう俺を助けてはくれないってことになるのか?」


 先生は不思議そうな顔をする。


「当たり前じゃないか。グレンさんが君を助ける理由はもうないんだから。あ、あとあの洞窟ね、すごいでかい蛇の魔物が出るから。気をつけたほうがいいよ。そのまま行ったらたぶん死ぬね」


 先生はあっさりとした様子で言う。え? 死ぬの?


「ちょ、ちょっと! なんてことしてくれたんだ! あんた一体なんなんだよ!」


「最初に言っただろ。ボクは医者だ」


「医者!? お前みたいなチビのどこが医者なんだよ。っていうか、医者がなんで俺の邪魔をするんだよ!」

 

 先生は帰り支度しつつ言った。


「あのさ、たかが余った食糧を分けてあげたくらいで命がけの仕事を手伝ってもらおうだなんてずいぶん身勝手エゴイスティックだとは思わないかい?」


「それはそうだが……そこはほら、善意というか強い人にとってはそんなにたいしたことない事というか……」


 ルーカスさんは急に口ごもる。


 ふむ。と言って先生はグレンさんの方を見る。

 グレンさんはさっきやっつけた熊を短剣で器用に慣れた手付きで捌いて、なにやら内臓みたいなのを取り出したりしていた。血まみれになりながら。

 確か熊の内臓から熊胆っていう貴重な薬のもとが取れるんだったっけ。

 私は血はそこまで苦手というわけでもないけど特段好きというわけでもないのでそっと目をそらした。


「ま、グレンさんの実力なら洞窟の大蛇も難なく倒してしまうだろうから、グレンさんにとっては確かに「何でもないこと」ではあるんだけどね」


 先生は再びルーカスさんの方に向き直る。鋭い目でルーカスさんを見上げて言った。


「しかしだよ。あの大物を討伐するという依頼なら、普通に考えて報酬は金貨百枚以上は下らないと思うけどさ。そんな命がけの大仕事をだよ? ただの余り物の食糧でやってくれというのは……どうだろう、それはあまりに都合の良い話すぎるんじゃないか? それとも君たちの村は金貨百枚を彼女に支払えるのかい?」


「そ、そんな大金あるわけ無いだろ! そんな大金があれば薬を買ったほうが早いじゃないか!」


「そうだろう? だったらグレンさんに同行してもらうのは諦めるんだね。そもそも君は自分一人でその薬草を取りに行くつもりだったんじゃないのかい? 何も問題ないじゃないか」


「ふ、ふ、ふざけんなぁぁぁぁ!」


 ついに逆上したルーカスさんは先生に向かって拳を振り上げて殴りかかろうとした。

 先生は口調と態度は大人以上に大きいけれど、体は小学生のように小さい。そんな先生を男の人に殴らせるわけにはいかない!

 わ、私が先生を護らなきゃ!


「ぼ、暴力はダメです――」


 私は、身を挺して先生を護るために、ルーカスさんに立ち向かった、その矢先、グレンさんがまた瞬間移動して現れた、かと思うと、ルーカスさんが音もなく地面に仰向けに倒れていた。

 グレンさんの動きは私には全く見えなかった。

 グレンさんがルーカスさんを倒し、先生を護ってくれた、のだと思う。


「これで、さっきのパンの分のお返しはできたかな?」


 グレンさんは先生の方を振り返って、いたずらっ子のような笑顔を見せた。顔には先程解体した熊の血が大量に付着したままで、めっちゃ怖い。

 先生は軽やかな口調で返した。


「いやいや、全然足りないなあ。ぜひボクと一緒に命がけの旅にでも出てもらって、その間の護衛をお願いしたいところだね」


「パン一個のお礼でそんなこと――――するわけないじゃん!」


「違いないね!」


 アハハハハハハ!!


 二人はいったい何がそんなに面白いのか、私にはさっぱりわからなかった。

 二人の高らかな笑い声が、風に乗って花咲く森の道をどこまでも響き渡っていた。

 ルーカスさんは地面に仰向けに倒れ、空を見上げながら、何を思っているのか、静かにうつろな表情を浮かべていたのでした。




「あのルーカスさん大丈夫ですか?」


「これが大丈夫に見えるのか」


「すみません。ところで村の皆さんのご病気というのはどんなものなんですか?」


「なんだよお前がなにかしてくれるっていうのかよ」


「い、いえ。私にできることはこのことを王都へ報告して対応を申請するくらいです」


「そんなこと俺だって何度もやったよ。手紙を何度も書いた。だが政府は何もしてくれなかった。どころかこんなふざけた医者を送ってきただけだ!」


「そ、そうだったんですね。わかりました。こちら一応診療所の連絡先です。私で力になれることがありましたらご連絡くださいね」


 私はせめてもの気持ちを込めてメモを渡してすでに帰路についている先生の後を追った。




『ハラ減った症候群』 症例16

患者名:グレンシア・ライナーノーツ

性別:女性

年齢:16


【症状】

患者は幼少の頃に大賢者ビクトリア・ライナーノーツに拾われ養子縁組しており、ライナーノーツの名前とともに魔法技術だけでなく剣術からあらゆる知識までを引き継いでおりすでに大騎士級の実力を持つ16歳の女性。

グリムの森において極度の空腹状態になり倒れているところを担当医師が発見。

通りすがりのゴドム村の無職の青年ロレンス氏に残った食糧の一部をもらうことで症状の発症及び進行が予見された。


【経過】

担当医師によって、ロレンス氏よりも先に患者に食糧「パン一個」を投与したところ、空腹状態を回復し、その後不幸な運命に巻き込まれることなく快方に向かった。


【担当医師所感】

発症者が女性である貴重な症例に出会うことが出来たのはラッキーだったね。

この症候群はほとんどが男性に発生するものだからついつい勘違いしてしまった。

ボクもまだまだだね。

医師として先入観を持たずに対処すべきだと改めて勉強になったよ。

治療法は男性のときと同様の処置を施したんだが正解だったね。

効果はテキメンだった。

グレンさんは事件に巻き込まれることもなく無事就職して平穏な人生を歩めることになったんだから治療は完璧だったと言えるね!

報酬?

ないないそんなの。

ボクは治療費は受け取らないんだ。

ボクの仕事は症候群の臨床研究だからね。

その代わり普通の医師が扱わない症例を中心に治療を行っているわけだ。

治療結果が得られただけで大満足さ。


【同行者所感】

ほんとうにこれで良かったのでしょうか……。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ハラヘッタ症候群の恐ろしさがとても良く伝わってきました。少量の食べ物でそんな大仕事をさせられてはたまりませんからね。お医者先生はとても良い仕事をしたと思います。こんな難病を察知して治療に迎…
[良い点] こんばんは! 先生のキャラが非常に良いです。 でもこれはリコさんが毎回苦労するタイプですね。 会話文多めですが、先生の喋り口調が面白いので もっと先生に喋って欲しい、という気持ちになりまし…
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