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帝國室町  作者: 源実頼
両細川の乱
8/8

#8 大物崩れ

 摂津に流るる野里川。甲山に背を向け敗走した浦上旅団は今度は川を背に、追走する赤松師団との正面衝突を望んだ。島村大尉の機転により戦勢の立て直しを図ったのだ。


 一先ず、野里川付近に敗残兵集結の完了を確認した島村は背後の野里川の向こう側より接近している一隊を目視した。野洲細川師団伊丹支隊である。


 島村大尉は懐中時計を取り出した。


(迫りたる赤松との距離、再激突まで二分か。野洲卿部隊の到着までは四分とみた。合流まで持つか、どうか。我が方の疲弊具合たるや……)


 高速度を保ちながらの移動により浦上の兵員は息を切らし、両肩を上下に揺らし苦しみながらも呼吸を整えようとしていた。死の間際、彼らはこの世の空気を惜しむかのように、思いっきりに空気を体内に取り入れようとしたのである。


「少佐殿。今生最後の最後の一踏ん張りでありましょう。漸く赤松を正面に対峙するに至りました。平野で衝突するよりかは川中に足を突っ込みましょう。決死の踏ん張りとやらを敢行します。地より水の方が足の自由が利かないでしょう。双方、戦闘に苦労するでしょうが」


「く、今生最期とな。覚悟せい云うのか」


 浦上少佐は微かな怒気を滲ませ、痰を吐く。


 島村大尉の口から放たれた「今生」の二文字に浦上少佐は不快感を憶えた。自らが過去に裏切り、葬った赤松義村侯爵も恐らく同じ心境に陥ったであろうと考えると胸が抉られるような気がしてならなかったのだ。


 裏切りは裏切りに終わる運命に抗う力が最早、無いことを悟る。


 無惨な思いに悩まされるなら今すぐ死んだ方が楽であろうと浦上少佐は、ピストルの残弾を確認した。あゝついていない。残弾が底を着いていたのだ。


「まアよい……。島村よ、拳銃の弾を呉れ。なんとか自決の時間稼ぎくらいはして呉れるよな」


「自決など少佐殿に合いませんナ。少佐殿の曲者ぶりには合いません。敵に体当たりして死ぬ以外に最期を飾れましょうか。斯様な暇はありません。赤松が迫っております」


「なッ、なんと……貴様」


「諸兵に告ぐ! 川で敵を迎え撃ち、最後の一太刀を浴びせよ!」


 島村大尉は主君に応じず、川中に歩を進めた。軍靴はすぐさま濡れに濡れた。よし、三途の川を渡った。死あるのみ。


 浦上の兵員は失うものは無い。先ほどの甲山の麓で見られた焦燥感が一切取り払われ、息も整い終え、落ち着きを取り戻していた。


 赤松追撃隊率いる赤松政秀少尉は「浦上の川に到るを止められなかったか」と悔やみ、麾下将兵に川での交戦を命じた。


 島村大尉は浦上少佐の戦意を取り戻すように励ました。


「三途の川を渡りましたぞ。何も怖くはありません。必ずや少佐殿にお供いたします」


 そして背後には伊丹隊の雄叫びも迫っていたのだ。


「そうか……。武勇の気持を忘れてはならんな。武人らしく見事に散って見せようぞ。よしっ、迎撃せん!」


 勇心を得た大将の掛け声により各々が抜刀した刹那生命の叫びと云わんばかりの雄叫びをあげた。


 赤松隊は威に圧せられ、馬は驚き、暴れだし遂には落馬する騎兵多数あり。川に向かってきた赤松を相手に浦上の剣は躍動した。


「浦上殿、間に合いましたぞ。死なば諸共よ」


 伊丹國扶少佐が声をあげる。間もなく伊丹支隊が野里川での衝突に加わった。


「これは有難い。卿と伊丹少佐殿に感謝いたします」


 と浦上は云い、微かな笑みを浮かべた。最期の笑みであった。


 不覚哉。微笑の隙を突かれた浦上は敵歩兵により左ひざに一撃が加えられ、体勢を崩し、川に半身を沈める。幸いにも野里川は大の大人が沈むほど深くはない。


 が、しかし、一瞬にして水面を鮮血が染めていくのである。一撃を加えてきた敵兵に止めを加えられるかと危機を憶え、すぐさま落とした刀を握り直し、敵の刃を防ごうとした瞬間である。敵兵は島村大尉に羽交い絞めにされ、沈んでいくではないか。


「島村ァッ!」


 敵兵は島村から必死に藻掻きながら解かれようとしたが、首筋を島村の刀にて絶たれると顔を真っ赤に染めながら息絶えていった。


「少佐殿。御無事で」


 軍服だけでなく返り血を浴びている島村の顔を目にした浦上少佐は身震いに襲われた。


(将に赤鬼の如く……)


 浦上少佐は味方ながら島村に慄いた。恐らく幾人もの敵兵を死に追いやったであろうと思うと畏怖してしまうのである。


「あゝもう俺は駄目だ。無様な死に様よ。一人では立てない。俺は大河のど真ん中で死にたかったが、そうはいかぬ様だ。赤松殿の見事。島村、戦え、闘え。先に待っている。皇國の安泰を願いつつ」


 体が急速に冷やされている感覚のうちに顔から血の気が失われていく。顔面蒼白の浦上少佐は二度と立てずして、川の流れ血に埋もれていった。


「なにが無様でしょうか」


 戦斗帽を深被りし、落涙を見せまいと挙手の礼を済ました島村大尉は主君の亡骸に近づく二人の兵の首を両脇に抱えながら肉弾戦を繰り広げた末に野里川に沈んでいった。


 伊丹支隊も追撃隊の撃滅を目指すも力尽き、伊丹少佐は赤松政秀少尉と直接刃を交えることなく、複数の敵兵に足元を掬われ、体勢を崩したところ、左胸を刺突されてしまった。


「ぐわア、閣下ァ!」


 伊丹國扶少佐は死の間際まで、野里川の遥か遠くで阿波細川と交戦中であろう主君を憂いながら叫び絶命した。


 斯くして伊丹支隊並びに浦上旅団は劣勢のなか奮闘し壊滅した。


 決死の迎撃に遭った赤松追撃隊は戦闘能力を半減するに至り、赤松少尉は鮮血に染まる川を目にし、吐き気を催した。軍服にこびりつく血腥さと川水の臭さ。夥しい程の武人共が野里川に無言で横たわる。


 追撃隊の伝令騎兵から戦闘終了の報告を受けた赤松政祐中佐は労いの言葉をかけられずにいた。


「双眼鏡で逐次戦況確認をしていたが、川が……川が人で埋まっていったではないか」


 赤松中佐は怨敵を打ち破った事実よりも恐怖感が勝ってしまった。


 野里川に敵兵を道連れに死した島村貴則大尉は、のちに怨念が鬼面蟹と化したという島村蟹の伝承を生んだとも云われる。


 摂津大物の地名と細川京兆家当主と浦上村宗らの大物が敗れ散った事実とが相まって、のちに「大物崩れ」と称されるに至ったのである。


 甲山の離れで唯一人、戦闘の始終を黙して見届けた男がいた。戦場に於いては殊に異するいでたちのハットと紳士服に身を包む細川國慶であった。


 子爵細川玄蕃頭家の当主にして、陸軍の少尉任官されたばかりの若き貴人。彼は祖父、父と支援関係にあった細川高國が裏切りに遭い、敢え無く敗退と云う乱世の残酷さを思い知らされ、虚脱状態に陥った。岩に腰を下ろし、暫くの間空を仰いだのである。


 國慶は血を血で洗う細川一門の宿命に悲運を感ずるのである。

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