#6 突如
赤松政祐中佐は緊張の面持ちで、懐中時計に目をやる。時計の針は六時五十九分を回っており、浦上隊の阿波細川軍への突撃開始予定時刻の七時まで残すこと僅かに数十秒。双眼鏡を手にする赤松政秀少尉は眼下の浦上隊の歩兵がラッパを口に咥える姿を捉えた。
「閣下。ついに開戦であります。浦上隊の進軍間際とみる」
「よし砲撃準備。三門の野戦砲、各一門につき三発撃ち込め。撃ち込んだのち、斬り込みをかけんとす。各員の奮闘を期すぞッ」
政祐は攻撃命令を下す。浦上隊に背後から大筒を加えた。轟音が甲山より発せられる。数秒すると浦上隊に砲弾炸裂。着弾に伴う地を割くような音に浦上隊の将兵の悲鳴が覆いかぶさる。政祐は積年の恨み晴らしの行動に出た自分に慄くも、正しき行動であると自らを説得する。
(これでよい、これでよいのだ……俺は間違っていない。浦上村宗よ、俺を恨むなら自らを省みよ)
「命中せり! これにて突撃敢行す!」
砲撃成功を認めた赤松政秀少尉は一隊を率い、一目散に甲山を駆け降りて行く。
「どうかよろしく頼む」
政祐は自陣の出撃隊を見守った。
「なんと、どういうことだ。何かの手違いなのか、山より撃ってきやがった。オイ、伝令兵。赤松の馬鹿砲兵に伝えてやれ。どこを撃つのだ、敵は阿波細川だとな」
被弾を免れていた浦上村宗であっても動揺は隠せない。隊の将兵は狼狽するどころかかなりの痛手を負う。副官の島村大尉は至って冷静に状況把握に努めた。
「我が隊、甲山より被弾す。少佐殿、伝令兵など無用です。播磨侯爵の乱心ではなく、我が方への怨み晴らしでしょう。逆に我々は挟撃される立場となったのです」
身を震わせながら村宗は下唇を噛んだ。
(馬鹿めっ!)
赤松の砲撃は効果覿面。赤松と阿波細川との作戦会議で定めた計画通り、砲音を合図に三好元長陸軍少佐が率いる阿波の一軍は進軍を開始。
細川師団の前方部隊を率いる薬師寺國盛陸軍中尉は、赤松より放たれた複数の砲弾が浦上に着弾するとすぐさま本陣に伝令兵を遣っていた。細川師団将兵は唖然。将たる細川高國中将は怒りに狂っていた。
「後詰の赤松は何をしとる! 阿波の彼奴等は謀りに謀りやがったとな。作戦は不成立だ。各将兵、狼狽えるな。薬師寺には待機だ。そう待機だ」
予期せぬ事態に陥り、明らかに高國中将は焦っていた。薬師寺隊からの伝令兵には具体的な答えを迅速に導くことはできず、その場しのぎの待機命令を下す外なかった。
浦上隊に属す松田元陸陸軍中佐は茫然とした。一応は足利義晴元帥の推挙により派遣されていた身として、観戦武官の気分であったところで、乗り気でない戦闘に赤松の「裏切り」ときた……無気力に襲われそうになったのだ。
(たまったものじゃないぞ。赤松候よ、なぜだ)
一方、阿波候は一気に加勢し、叩き潰せと声を上ずらせながら興奮しきっていた。
「赤松候は見事に内応してみせた。これが赤松の云う「一芝居」とやらだ! やはり容易に喰えぬ御方だ。見よ、兵士諸君。浦上が山に呑まれるぞ! 前を行く三好隊も間もなく身動きのとれぬ浦上に到達する。よし我が隊も全速力を以て進軍せよ。狙うは高國卿だ」
阿波候細川本隊は未だに動かない摂津公部隊を狙い、進撃開始した。
「なに? 中将閣下は進撃命令は下されんのかッ。赤松候の裏切りだからなんだというのだ。こうしている間に阿波細川の一隊が接近しつつあるのだぞ。我らは我らで閣下の守護の為、前方の阿波細川隊の勢力を削がんとす。さア行け!」
馬上の薬師寺中尉は騎兵隊に命じ、突撃命令を下す。控えの戦斗帽を取り出すと、伝令兵に託し、再度本陣に遣った。伝令兵は決死の覚悟の思いに揺さぶられ、目を腫らしながら本陣に駆けた。
「閣下ッ! 薬師寺隊より伝令あり。薬師寺隊は只今迫りつつある阿波細川軍に向け、突撃敢行せり。閣下にどうかお渡ししていただきたいと中尉殿よりいただいた物です」
「早まるな、薬師寺の馬鹿。何を突撃したというのだ。今はただ待機の命を下されたばかりだぞ。戦線崩壊じゃないか」
師団参謀の伊丹國扶陸軍少佐は単独進軍した薬師寺隊に一喝した。しかし、当然ながら、当の薬師寺中尉は馬を全速力で戦場を駆けて行き、陣にはいない。
「もうよい……。これは薬師寺中尉の略帽だな。しかと薬師寺の思いも受け取る」
形見を意味する物を受け取った高國は同時に、薬師寺中尉の決死の思いを受け止めた。
(型にはめすぎた作戦なぞ脆いものよ。流動的に、いかなる戦況を迎えようと臨機応変できぬ者は死んでも当然だ。こうして突然の変局に焦る気持ちで待機命令しか出せなかった私は、軍隊の足並みをそろえることできず、薬師寺中尉は命を擲つ覚悟で、先陣を切ってしまった。戦場指揮者として私は失格だ。座して死を待つのか、一矢報わずして何になる。武人の名が廃れる。仮にも一時は天下を握った者ぞ、俺は)
細川中将は軍刀を抜き、周辺の将兵に聞いてくれ、と呼びかける。
「残された道は乱戦も乱戦よ。阿波細川、赤松諸共葬ってやろうぞ! たった今、薬師寺中尉は突撃し、三好と思われる敵部隊と交戦中だ。決死の時間稼ぎを無駄にするな。これより我らは赤松隊に苦しむ浦上を救援す」
「しかし、閣下。手遅れに過ぎぬ救援は我が隊に甚大なる損害を齎してしまいます。奇襲を受けた浦上部隊はこのまま消滅するやもしれません。浦上には申し訳ありませんが……。戦力の見立て上、我が本軍と阿波本軍は五分五分です。ここは敵大将と刺し違える方がよろしいかと」
参謀は参謀なりに算段があるのだ。