#2 議会紛糾
細川澄元陸軍中将の遺児である阿波侯爵細川晴元陸軍少将は亡父の思いを晴らさんと着々と力をつけ、麾下師団参謀の三好元長陸軍少佐、三好長慶陸軍大尉父子らの活躍もあり、足利義晴元帥を擁する摂津公細川高國陣営を圧していた。摂津公陣営に更なる打撃を与える為に阿波侯陣営は足利義晴元帥の兄弟で、阿波に控える足利義維予備役陸軍大佐の元帥擁立を画策し、堺に於いて新政府を名乗る堺政府軍本営を築いていたのだ。
ただし、唯一、戦闘民族の住まう列島から砲音が静まる期間がある。開会宣下の為、天皇が臨席される國会初日の四日前から閉会後の各諸侯が自領帰還の猶予四日を経るまでの間は勅命により全國は休戦状態となるのだ。
刀や銃に代わって論戦が繰り広げられる貴族院では、専ら元帥擁立問題が取り上げられ、開会二日目以降は國会議事堂の裏庭に両細川将軍の管轄陸軍師団が議事堂警固を名目に展開され、一触即発の様相を呈している程であった。
登院した子爵山科言継卿は『罵声飛び交う國会で、砲弾飛び交う裏庭で』と銘打った手記に嘆きを綴り、報道関係者に寄せた。
この頃の議会といえば革新右派の阿波党と中道右派の摂津党が多くを占め、他は堀越党、老舗保守政党の笹竜胆党らの多党制で構成されていた。
阿波党は、足利義維元帥就任並びに細川高國中将の予備役編入、政界引退、隠居を提案。
対する摂津党は足利義晴元帥の正式認定並びに足利義維への出馬支援停止、細川晴元の予備役編入と政界引退、隠居を要求していた。
議会途中、発言力が高いとされる関東方面軍副司令官の相模侯爵上杉憲寛陸軍少将は、諸侯から意見を求められたが自領では副司令官の後継問題に揺れているが為に中央情勢を注視できる程の余裕がなく、「ええ、まあ、ううん……」と終始お茶を濁すだけで、公爵近衛稙家首相に呆れられてしまったのだ。
結局、議会最終日を迎えると「刃を交えること已む無し」との意見が阿波党と摂津党の多数決により取りまとめられた。
紛糾した議会を終え、退場する播磨候赤松政祐陸軍中佐は細川中将に行く手を阻まれた。
「実は話があるのだがよいかね? 傑物である浦上村宗少佐に独立の動きが多々あり、その都度、赤松侯爵家が対応に苦しんでいることはよく分かるのだ。なにせ浦上少佐に貴殿の父上殿を殺されたのだがら、その悲痛な思いはよく判る。しかし、浦上少佐と手を取り合っていただきたいのだ。帝都の西側に憂いがあると軍事行動に影響が出て致し方ない。私情を捨て、帝國に泰平を齎さんかね? 浦上君に一軍を預けて頂き、私も参陣する予定であるが、どうかここぞの為の援軍として参戦願う。要は後詰でいいから。次こそは阿波細川と干戈を交え、勝敗を決する積りなのだから負けられぬのだ」
浦上少佐に殺害された赤松義村前播磨侯爵の恨みを忘れ、協力してくれと摂津公に説かれた赤松中佐は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべ、返答した。先代の頃より、浦上村宗は侯爵家の家臣でありながら、先祖の武勲もあって、主君の赤松は無下にできぬ存在だった。
浦上は赤松家管轄師団の一部隊を私兵化し、赤松侯爵領の一部を事実上、支配下に置いていた。浦上旅団と称された独立陸軍部隊は侯爵家内で恐れられていた。浦上少佐に常々、政務について口を出され、赤松家が反駁すると「今の地位がありますのは浦上あってのことです」と今度は返され、ただ黙する他なかった。
「我が領内でやりたい放題の浦上にすがるようでは閣下も落ちたものです。なぜ怨敵と手を組めと言うのでしょうか。そう易々と呉越同舟とはなりませんぞ。しかし、正統性は貴殿、摂津公にお在りです。私は兼ねがね義晴閣下の元帥就任が正しき道と信じておりましたから。なにせ父上は生前、深く義晴閣下を愛されていた。義晴閣下の元帥就任は赤松家の悲願でもあった。その点の論戦ではご協力しましょう。しかし、戦争とやらになりますと浦上と手を結ぶなど到底致しかねる」
足利義晴は幼年期、赤松侯爵家に預けられ、当時の当主・赤松義村陸軍少将により愛育されていたのだった。足利高氏期より繋がりがあり、元帥家から頼りにされていた一族であった。
「そうだ、正統なる義晴閣下を擁立することこそが大義でしょう。いくら御兄弟といって足利義維様に元帥を引き継がせる訳にはいかぬ。どうか天上におられます父上殿を喜ばせておやりいただきたい。何なら阿波党の者共を一蹴したのち、浦上を煮るなり焼くなりお好きにして結構です」
「そうですか。我が手によって浦上の首を掻き切ってもよろしいのですね? ひとまず我が師団で戦の準備を致します」
これから手を組む相手の浦上を用済みと思えばどうぞ貴方の手で殺してもよいと云う摂津公の軽薄さに不信用の思いが募る赤松中佐は敢えて話に乗った。ただ、細川高國陣営に「協力する」とは一言も言わずにであった。
「そうか、そうか。ありがたい。貴殿の尽力に期待する」と云って、摂津公はハットを脱帽、赤松に最敬礼した。階級・爵位も下位の者に細川京兆家の主人が頭を最敬礼したのだ。摂津公は協力者探しに難航していたので、やっとこさ浦上以外の協力者を得ることに大変喜んだ。
赤松の目には、この細川のへりくだる様子から余程に求心力を落としているものと見えたのだ。阿波侯爵家の勢力拡大により、我が世の春を謳歌していた細川家当主の務めの終わりは近いと赤松は確信に至った。
「では、閣下。失礼いたします」
赤松は一礼し、議場外の円形交差点へ歩を進めると今度は別の男に呼び止められ、進路を遮られた。