89.渦巻く思考
「お、俺ぇ?…楽しい、やる気、不安、安らかって感じ」
一番の天才が一番頭の悪そうな回答を持ってきたことに、吹き出しそうになった。
しかしここは詩苑の苦手意識をなくしていくために、笑ってはいけないところだ。いったん顔を伏せて歯を食いしばった。
「ねえ笑ってるよね」
「……全然」
一生懸命我慢してるのに!なんで本人にバレるの!
深呼吸をして心を落ち着かせたところで顔を上げる。胡乱げな顔で詩苑がこちらを見ているが、気にしたら負けだ。ここからは三人で話し合いなのだ。
「二人の印象には納得。方向性としてはみんな一緒だと思う」
二人もうんうんと大きく頷く。
「それでいきなり、出てきた作品じゃないところから、話を詰めていこうと思うんだけど」
「作品じゃないところって?」
詩苑は眉を顰める。
「今回縹さんが主題を考えるにあたって、分かりにくいことはしないと思うの。絵が四枚、順番にあるってことは、恐らく起承転結をはっきりさせているということ」
ここでちらりと話し合いに参加していない二人の様子を見てみる。縹さんは真顔を貫いているが、澄麗先輩は両手を口にあてて目を見開いている。
その反応は当たりだ。大変分かりやすい反応をありがとうございます。
「それを前提に山蕗の解釈をあてはめて物語にしてしまったら、詩苑は考えやすいと思う。例えば、鳥の人生とか。誕生、飛翔、怪我、回復みたいな流れだとより分かりやすいかな」
「そっか。一つ一つを見つめすぎたから曲が繋がらなくて悩んだけど、一つの物語にしてしまえばいいんだね」
山蕗は納得したように頷いた。
「解釈は自由だから。詩苑はどう?」
「確かに、ここに物語があると思えば、少し考えやすいかも…」
こちらも必死に考えているようだ。
「それを前提に、一枚ずつ意見を出し合って、物語を作っちゃおうか」
強気に笑いかければ、二人の顔にも力が入った。
「今ふと思ったんだけど、三枚目に今の僕たちを感じる」
何かに気づいたらしい山蕗は、三枚目、赤い渦を巻く絵を持って言った。
「どういうこと?」
「作品を生み出そうと悩んだ結果、迷宮入りしたみたいな」
確かに渦を巻く様子は、思考の行き詰まりを表しているように見える。
「なら四枚目はきっと、思考がまとまっていい作品になったんだね」
「じゃあ一枚目は新しい作品やるぞっていうやる気、二枚目はやり始めて順調に進んでいるとき、かな」
「後期が始まった直後の私みたいだ。課題をもらう、いい感じに進める、失敗に気づいてやり直す、無事に提出」
「そんなことがあったの?」
私と山蕗の意見を必死に書き留める詩苑は、顔を上げた。
「しょっちゅうだよ」
「そのせいであんまり寝ていなかったの?」
「うわぁ、その話はいったん置いておこう」
詩苑はいつから誘導尋問なんて技を使うようになったの。どうでもいいことにばっかり気づかないでください。
私の知らないうちに教室で寝落ちしていたことを知られていたので、恐らくそのときのことを言っている。
「この方向で考えるなら、場面転換のきっかけが想像しやすいかも」
「本当?」
山蕗が話を進めてくれたので、即座に言葉を返した。
「いつも誰かしら苦しんでいるからね」
何かを生み出すことは大変なのだ。しばらくは私も詩苑も、この渦のように思考をぐるぐるさせるのだろう。
*
話し合いの結果を持ち帰り、詩苑と山蕗と同時に私の作業も始まった。まずは私の考えをまとめるところからだ。
明確に場面転換するからなぁ、詩苑の気持ちを乗せるためにも衣装もはっきり変えたいところだけど。
「あんた何、課題やりながら別のことを考えているの?」
つーちゃん先輩は私の手元を見ながら顔を顰めた。
作業台には縫いかけの制作課題と、定期発表の意匠設計のためのクロッキー帳が置いてある。
「いつ思いつくか分からないので」
「そんなことしてるから、いつまでも作業が速くなんねえんだろ」
「一つのことしかやらないから、発想が乏しいんじゃないの?」
悪態をついてくる椹火には悪態で返す。
しかしそんなことをしていても、何も思い浮かばない。丁度良く現れてくれたつーちゃん先輩に、助言を求めることにした。
「素早く衣装替えする方法って何がありますかね」
「脱ぐとか?」
「着るとか」
「巻くとか」
何故か文句を言っていた椹火も混ざってきたが、使える案が出てくるのであれば混ざってもらおう。
短い時間で印象をガラッと変えるためには、舞台上に別の布を置いておくかして素早く脱ぎ着してもらう、が現実的なのかしら。
「どこかの民族衣装で、一枚布を巻いて服にするやつあったよな」
「何それどういうこと?」
たまに有益なことを言う、それが椹火だ。
「ああ、あるね。両腕を広げたくらいの大きさの薄い布を、巻いて結んで服にするっていう…まあ大体巻きスカートだけど」
また詩苑を女装させるところだった。椹火の罠が巧妙すぎる。
「絶対スカートって分かってて言ったでしょ」
「発想に乏しそうだから助言してやったんだろ」
その微妙に有難いような有難くないような助言は何なのだ。スカートにせずとも使えるところはありそうな気がしてくるのが、何とも悔しい。
今の私の技術では、複雑な構造の衣装を作ることは難しい。それに詳しい人もいなさそうな現状を踏まえると、脱ぐ、着る、巻くが舞台上の早替えとしては現実的だろう。
課題を作る手は止めずに、想像力を働かせた。
*
「あれ、まだ詩苑しかいないんだ」
練習をするから適当に練習場に集合と言われて来たのに、そこにはまだ詩苑しかいなかった。
「山蕗は授業。縹は…呼び出しかな?」
「ふうん?澄麗先輩は夕方まで授業って言ってたよね」
途中経過を先に報告して、縹さんに助言をもらいつつ練習を見学でもしようかと思っていたのに、予定が狂ってしまった。
時間を無駄にしたくはないので、とりあえずいつもの場所を陣取ってクロッキー帳を広げる。
「萌稀は今日、早いね」
「魔動式ミシンが順調に使えるようになったら、作業効率上がっちゃって…課題が一段落したから、今日はこっちに力を入れようかと」
随分と長い時間で練習場を借りているから、早い時間からみっちりやっていると思って張り切って来たのだ。
この時間をどうしてくれようかと考えていると、徐に詩苑は口を開いた。
「萌稀、ピアノ弾けるんだっけ?」
唐突なその質問に、私は顔を強張らせた。確かに昨年の後期発表で、「原初の聖歌」の打ち合わせの際に、少しだけオルガンを習ったような話はした。
しかしそれを詩苑が覚えているとは思わなかったし、技術的には人に聞かせられるようなものではない。
「え…?ほんとにちょっとだけだよ?」
「今回の曲、弾いてくれない?まだ色々…悩んでいて」
なるほど、山蕗がいない代わりに曲を聴きたいと。そういうことでしたか。
そうであれば時間稼ぎに話を逸らした方が賢明だわ。詩苑が変なことを言い出す前に話しかける作戦に出た。
「ああ…何がそんなに心配なの?」
「本当に言葉無しで、表現したいことが伝わるか…?」
元々芸術とは程遠い世界で生きていた詩苑にとって、感じるままを外に出すという行為は、感覚として持ち合わせていないのかもしれない。
「詩苑は真面目だねえ」
詩苑はまるで意味が分からないとでも言うかのように、片眉を上げた。
「伝わらなかったら解釈する意味がないでしょう…?」




