87.余波
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「何よ椹火。言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなの」
「別に」
授業の空き時間は被服科の教室で、今日も課題制作に追われている。
詩苑兄の訓練のお陰か、魔動式ミシンが少し扱えるようになってきたのが嬉しい。魔力の特性を知ったからこそ、明月の民の魔力を応用して操作出来る。
椹火は半目でこちらを見ながら、けれど何も言わない。視線だけが煩い。
「あ!いたわ!」
そんな私たちの物言わぬ攻防を切り裂くように、琳先輩は勢い良く教室に入ってきた。
「ごきげんよう、琳先輩」
「ごきげんよう…ってあなたそんな挨拶しないでしょ普段」
勢いを失わないまま突っ込みをいれるのは、琳先輩の得意とするところだと最近気づいた。こんなに細かいボケも拾ってくれる。
「そんなことより!聞いたわよ、闘技大会のこと!」
貴族にとっては貴重な出会いの場となる学院をあげての行事も、こと被服科においては大した意味をなさない。これも被服科が変人扱いされる所以であるが、理由は至って単純で、在籍学生のほとんどが平民だからだ。
つまり、今回の闘技大会も被服科の学生はほぼ見学していない。琳先輩は貴族のお家だが、婚約者がいるらしいし騎士クラスに興味などないのだろう。
そんな闘技大会と無縁だったはずの琳先輩の様子をみるに、他の学科の知り合いから何かを聞いたようだ。闘技大会と私に関わる話題など一つしか思い浮かばない。
因みに椹火は恐らく、姉である澄麗先輩から何かを聞いている。何も言わないが視線が訴えかけてくる。
「闘技大会で何かあったんですか?」
「今さらしらばっくれてんじゃないわよ。縹組の話題で持ちきりよ」
昨日はこれでもう邪魔が入らないなら万々歳と思っていたのに、現実はそう上手くいかない。あからさまな嫌がらせややっかみは減ったのだと思われるが、密やかに集める視線の数が増えた。
おかしいな。当初の私の予定では、目立たずひっそり、衣装を作るために学院生活を送るはずだったのだけれど?いつから何を間違えたのかしら。
「詩苑様のお相手は、夜凪様なのか澄麗さんなのかあんたなのか、ってね」
ですよね。分かっていました。分かっていましたとも。
あれだけの観衆の前で、大事な仲間と発言したところまでは良かった。恐らく縹さんとしても、そこまでは予定通りだったはずだ。そこで終わっていれば、ここまでの噂にはなっていない。
問題はそのあとだ。縹さん曰く「詩苑の婚約者候補」だったらしい夜凪様とやらが闘技場に乱入し、詩苑に詰め寄り何やら話しながら裏へと消えていったことにより、噂好きなご令嬢の間で大きな注目を集めることになってしまった。
同じく仲間として私たちと一緒にいた澄麗先輩は現状、別の婚約者がいるにも関わらず詩苑の相手に名を連ねているあたり、身分のない私への抑えきれぬ感情が透けて見える。
澄麗先輩については、縹さんとの関係が公になっていないことを鑑みると、あまり大きな声で色々と言えないところが悔しい。
実際は元の婚約者との関係を解消して、縹さんと婚約を結ぶために動いているところだ。多分。
「まあ、皆さんの気持ちは分からなくもないですが、闘技大会のあれは、学問に真剣に取り組んでいる私たちに余計な口を挟むな、ということですので」
事実、詩苑の婚約云々は何も決まっていないらしい。あのあと本人と話をしていないので、私から言えることはないのだけれど。
「そんな模範解答は求めていないのよ」
琳先輩は顔を近づけて凄みをきかせている。
「そうは言っても、その、夜凪様?も婚約者として名前があがっているだけで、詩苑にそのつもりはないって、縹さんも言っていましたし」
詩苑が夜凪様に詰め寄られているときに少しだけ見えた表情も、どちらかといえば央智君を相手にしているときのようだった。
何とも形容し難い、微妙な顔だ。
「じゃあ、あなたはどうなのよ」
「どうと言われても」
志を共にする仲間では、回答としては不十分らしい。どうしたものかと頬をかいていると、意外にも助け船を出してくれたのは比和先輩だった。
「これだからお貴族様はやあねえ。何でもかんでも色恋沙汰に絡めないと気が済まないんだからあ」
比和先輩は赤みの強い茶色の瞳を細めながら、音もなく近づき琳先輩を背後から拘束した。間違えた、正しくは後ろからぎゅっと抱き締めた。
「ちょっと比和」
そしてそのままずるずると引きずって、琳先輩を回収していく。
「他人を自分の枠に当てはめようとするのは、琳藤の悪い癖よ?男女の関係は婚約かそうでないか以外にも、色々とあるでしょう。例えばそう、琳藤と達華くんとかねえ」
「何でここであの男の名前が出てくるのよ!」
え、ちょ、今師匠の名前呼びました!?
琳先輩を引き摺ったまま去り行く比和先輩を、力の限り振り返った。
「比和先輩その話詳しく…!!」
しかし無情にも二人は教室から去っていってしまった。
*
「琳先輩と師匠の間に何があったの…」
「あれ、途中まで俺の話じゃなかった?」
被服科には比和先輩以上に、琳先輩と師匠の事情を知るものはいなかった。師匠が煽りまくって琳先輩を怒らせていたことなんて、誰に聞かずとも想像がつく。
こうなったら師匠側を詳しく知るものに話を聞かねばなるまいと、平和になったであろう第三談話室に辿り着いた。
「二人の関係が気になって課題が終わっちゃったの…」
「おお、課題が終わるのは良いことだね」
「縹さんは何か知っていますか…?」
私は涙目で縹さんに助けを求めた。
「学科での達華のことは、残念ながらほとんど知らないな。ただあいつを学院に入れた人の、知り合いだか親戚だかがいるっていうのは聞いたことがあるが…それか?」
「師匠を学院に入れた人、ですか?」
そういえば師匠はどんな経緯で学院に入ったのだろうか。
「ああ。でもそれについても、悪いがそれ以上の情報はない。後は多分、本人に訊いた方が早いぞ」
頼みの綱だった縹さんですらこれである。私に何も訊かない以上に、師匠自身が秘密主義なのかもしれない。
「その琳藤とかいう先輩には婚約者がいるんだろう?そんなに気になるのか?」
「師匠の弟子は、私だけだと思っていたので…」
同い年の先輩と師弟関係もくそもないだろうが、何故か心がざわつくのだ。
「下に弟妹が出来たときの、兄姉の気持ちと同じか?」
「ああ、パパとママを取られちゃう~ってやつですね…まあ似たようなもんじゃないですかね…」
縹さん上手いこと言うな…流石は縹組の演出家だわ。言葉で表すのが得意なんだろうな。
「で、詩苑はその、夜凪様とは婚約しないの?」
「え、ここで急にその話に戻るの?」
闘技大会のあとは、厄介なご令嬢から絡まれることはなくなったが、今日もこの談話室にはいくらか人がいる。
ずっと聞き耳を立てられていることには直ぐに気付く。ここで一つ、本人の口から真実を話してもらうことも必要だ。面倒な憶測は本人のためにもならない。
詩苑と縹さんに目配せすると、縹さんも詩苑を見て頷いた。
「そんな話が上がったことがあるのは確かだけど、俺からは断ったよ。闘技大会の日にもきちんと伝えた。後は家同士の話だから、誰かがどうにかするでしょう」
何だか他人事感が拭えない物の言い方だが、詩苑の意志は聞けたからよしとしよう。
「大変だね、高貴な方々は」
私の言葉に二人は何の返事もしなかった。
「さて、そろそろ山蕗から曲が上がってくる頃だ。詩苑も準備しておけよ」
「分かってるよ…担当講師に楽譜を分析してどう歌うのか、文字にしてこいって課題を出された。出来ればどの旋律に、何の言葉をのせて歌うのかも」
詩苑は遠い目をしている。
「うわあ、楽しそう」
「萌稀は好きそうだよね…」
「詩苑は苦手なんだね」
詩の解釈についてはどこまでも相容れない。




