86.立っているものは自治会長でも使え
視線の先、私の手から離れた剣は岩の柱の隙間に、物悲しく横たわっている。呆気ない終わり方だった。
為す術なく刺されたかと思われた詩苑は冷静に、目で捉える間もなく的確に私の剣を払い落としたのだった。
「勝者、詩苑」
先生の声で観客が状況を認識した途端、悲鳴にも似た慟哭が巻き起こる。
「うるせえ」
詩苑は檻の中、耳を塞いで顔を顰めている。その仕草が妙に子どもっぽくて、私はつい昔を思い出して顔を緩めた。新たな悲鳴が聞こえた。
「それで?わざわざこんなところに出てきて、目的は達成出来たのかい?」
呆れつつ問いかけると、詩苑ははっと何かを思い出したように目を開いて、蹴り一発で檻を壊した。かと思うと大股でつかつかと私に迫り、あまつさえ胸ぐらを掴んできた。
「え?ちょ、もう余興は済んだよね?」
慌てて止めようと掴まれている腕を両手で掴み返すと、詩苑は艶然と笑った。
その様子に息を呑んだのか、会場はまたしんと静まり返った。
「あのバカに伝えておけ。次に俺の仲間に手ェ出したら、ただじゃおかないってな」
あっれー、確か央智本人には同じようなことを、謹慎部屋で言ってなかったっけー?わざわざここに出てきてそれ言うー?
…という私の疑問は、貴賓席に座るお仲間を見て解けた。ああ、それを全員に伝えるための、余興だったということか。
「確かに伝えておこう。詩苑の大事な仲間に手を出した者は、男女関係なく詩苑から睨まれるらしいぞ、と」
わざとらしく両手を上げ困ったように言ったあと、これでいいかと視線を送る。詩苑はふんと鼻を鳴らして、大人しく手を離した。
どうやら私を巻き込んでこそ、意味のある計画だったらしい。
詩苑の圧倒的な強さを見せつけた上で、もうすぐ卒業するとはいえ、騎士クラス首席で自治会長である私を通して注意喚起することで、学院全体に向けて警告した。
騎士クラスの貴族どもは騎士団長が当主であるグラディウス家に恨みを買いたくないし、あの殺気を出されたらそこら辺のご令嬢なんてひとたまりもなく倒れ伏すことになる。
更に詩苑の機嫌を取っておかないと、先生たちも面倒ごとに巻き込まれるからには、目を光らさざるを得ない状況になってしまったのだ。
縹が言っていた、詩苑の知らないところでの萌稀さんへの嫌がらせが続いていく可能性がなくなったわけではないが、派手に動くことは難しくなっただろう。
あの詩苑がわざわざ目立ってでも守りたい仲間か。ずっと一緒にいた私としては少し嫉妬してしまうな。
*
「あーあ、ブチ切れじゃん、詩苑。これ言うためだけに僕たちをこんな席に座らせて、闘技大会に優勝した自治会長の顔を立てることもなく、一歩も動かず倒したわけ?今年卒業でしょ、自治会長。本当に損な役回りだよね。不憫極まりない」
山蕗は見せつけるように大きく溜め息を吐いた。目を細めて唇は弧を描くが、目の奥は全然笑っていない。
「風滋は自業自得もあるだろうけどな」
縹さんは楽しそうに言った。いい加減、自治会長と詩苑がどういう関係なのか訊いてもいい気がしてきた。
「まあこれで、俺たちに邪魔が入らなくなるのなら有難い」
「まあね」
詩苑と縹さんが考えた作戦が、これだ。
私たちは何も聞かされないまま、混合部門の試合を初めから貴賓席で見させられた。何事もないまま大会が終わるかと思いきや、最後の最後で詩苑が乱入、混合部門で優勝した風滋自治会長を、あっという間に倒してしまった。
いくら剣聖といえども大会で優勝した自治会長を、一歩も動かずに負かしてしまったのには驚いた。
更にはその自治会長を通じて、私たちに手を出すなと学院全体に釘を刺した。私は自治会長の有意義な利用方法を学んだ。
自分一人の力で何とかしたかった私としては少し悔しいが、これだけ派手にやっておけば澄麗先輩も安心だし、詩苑自身の行動に制限がかかることも減るのだろう。
剣が好きではないと、去年孤児院で言っていた詩苑が剣で戦うところは、正直なところもう少し見てみたかった。
真剣な顔で相手の攻撃を読み切る詩苑の立ち姿には、惚れ惚れしてしまう。凛として剣を構え周囲を窺いつつ放つ空気は、何故だかとても静謐で美しい。魔術を使うときもそうだが、ごく少ない動作で全てをこなす技術は、完成された芸術品のようですらある。
「決定的な瞬間は何も見えなかったのが残念だな。山蕗見えた?」
一瞬の出来事すぎて、肝心な詩苑が剣を払ったところは目で追えなかった。
「見えるわけないよ。騎士クラスの人でも難しいんじゃないの?」
「え、そういうもの?」
普段、身体を動かすことがほとんどなさそうだからという理由で山蕗に話を振ってみたが、そういう問題ではなかったらしい。
「見えていれば風滋だって、ああもあっさり負けないだろう」
縹さんは随分と愉快そうに教えてくれたが、自治会長に何か個人的な恨みでもあるのだろうかと邪推してしまう。
「詩苑様の戦っている姿は私も初めて拝見したけれど、あれがグラディウス公爵家なのですね」
澄麗先輩は感心した様子で、縹さんを見上げた。
「ああ、すごいだろう」
何故か縹さんが自慢げだ。たまに詩苑と縹さんの関係も疑いたくなる。
「まあこれで、萌稀も心置きなく打ち合わせに参加出来るな。そろそろ曲が出来上がるぞ」
「いつの間に!本当にこれで邪魔が入らなくなるのであれば、張り切って談話室にも行きますよ!」
なんだかんだあったって、結局舞台芸術に関することの前では、私は正直にわくわくしてしまうのだ。強がって談話室に近寄らなかったりしたものの、打ち合わせには今からでも参加したいのが本音だ。
動き出す期待感と創作意欲を抑えきれず山蕗を見ると、胸元を押さえて蹲っている。
「あーまだ言わないで。まとまってないから。まだ期限まで時間はあるから」
当初の不安通り、作曲にはしっかり悩んでいるらしい。圧力をかけないよう配慮しつつ、にこやかな視線だけ送っておいた。
「なんか視線が痛い」
こっちを見ていないのに何で分かるの。
「閉会式が終わったら、進捗の共有をしましょうね、萌稀ちゃん」
「よろしくお願いします!」
今日も澄麗先輩の笑顔は輝いている。
しかしみんなでほのぼのと今後の計画に夢を咲かせていると、それは突然やってきた。
「詩苑!」
芯の通った低めの女性の声が、闘技場に響き渡った。詩苑が振り返った先に現れたのは、薄茶色の長い髪を高い位置で一つに結い上げ、甲冑を身に纏った女性だった。恐らく騎士クラスの学生だろう。
女性は大股で近寄ると、後退る詩苑をそのまま壁際まで追いつめた。
「え、どうしたの?あれ…」
詩苑が襲われていると思い山蕗と縹さんの方を窺えば、二人して手で顔を覆っていた。
「ちょっと、あれはどうするつもり?」
「そこまでは想定していなかったな」
「縹にしては計画が杜撰じゃない?」
「俺も今、反省しているところだ」
何やらこそこそ話している二人に、澄麗先輩もきょとんとしている。
しかし戸惑う私の耳に不穏な声が聞こえた。
「夜凪様じゃない?あれ」
「やっぱりあの二人って婚約しているんじゃないの。誰よ、その話はなくなったって言っていたの」
「お家の関係なら仕方ないわよね」
近くに座っているご令嬢が騒めいていると思ったら、あの女性が琳先輩たちが噂していた詩苑の婚約者なの?なんだっけ、確か、騎士団関係のお家との話があったとか言っていた気がする。
詩苑は何やら言葉を交わしたあと、夜凪様といわれた女性を伴ってどこかに消えた。
どくんと大きく跳ねる心臓に、私は冷や汗をかいた。一瞬浸食してきた思考を、頭を振って追い払う。
……一体何を考えた?
「さ、閉会式も終わったことですし、打ち合わせをしましょう」
私が今考えるべきことは、次の定期発表はどんな衣装にするか、それだけだ。




