7.再会
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「分からない…何回やっても分からない……」
紙と布と糸を目の前に、項垂れる。窓の外は真っ暗で、私の気分も真っ暗だ。作業台に両手をついて絶望している。
現在の私は来る依頼に向けて師匠からの扱きを受けている真っ最中である。一刻も早く技術を使い物になるまで上げねば依頼がこなせぬ。
数ある生地に目を滑らせ、裁ち鋏は迷い、縫い目はぎこちなく……製図はいつまで経っても上達の兆しを見せない。
おかしい。何故なんだ。何故こんなに苦手なのか。
「俺は『センス』という言葉が好きじゃねえ。自分にセンスがないというやつは大概、大した努力もせずに諦めるやつだからだ」
それはそれは真面目な顔で真っ直ぐに私を見下ろし、腕を組みながら師匠は語る。
「だがな、お前はなんていうか……その……センスがないんだろうな」
壮大な前フリにより際立つ、私の『センスの無さ』よ。
もう返す言葉もない。なんど教えられても立体と平面が繋がらない。完成系を想像してそこから型を取って製図する、という作業がどうしても苦手なのだ。立体から始めても、開くとよく分からなくなる。
「女」という性別はそういうことが苦手だと、何かで聞いたことがあるような気がする。ならば私も男に生まれたかった。今更こんなことを言っても仕方がないなんてことは百も承知だ。流石に泣きたくなるが顔にぎゅっと力を込めて耐える。
「仕方ねえ。こうなったら問いと答えを暗記しろ」
そうして師匠は今までに作ったのであろう、大量の型紙を家中からかき集め、私の前にどさっと置いた。
「問いと答えの暗記とは……」
恐る恐る師匠の顔を見上げる私に、溜め息混じりに師匠が続ける。
「完成系から考えてわからないなら、型紙からの完成系を覚えろ。話はそれからだ。なんか学校はそんな教え方をしていたような気がすることを、さっき思い出した」
なるほど、そういえばこの師匠もあの学院に通っていたのだったな。私は常々師匠を盲信しているが、確かに教え方というものはあるのかもしれない。今までまったくやったことない作業を練習もなしにやるというのは、天才ならまだしも凡人には不可能に近いことなのである。
その方法に納得し、また師匠を盲信しそうになったところではたと気がつく。
「それはもう少し早く気づいてほしか」
った、と言い切る前に私の脳天に手刀が落ちた。
「いたっ」
思わず両手で頭を押さえ、涙目で師匠を睨んだ。
「四の五の言わずやれ。これとこれとこれ、今日中な」
三つ…三つ課題を出された。たった今、私は今日中の課題を三つ言い渡されたのだ。しかし師匠はご存知ないかもしれないが、今は閉店後の私の空き時間、つまり既に日は落ちきっている時間だ。なんならここはさっき夕食を済ませたばかりの食卓である。
私は絶望に目を見開きながら、呆然と型紙に目をやることしか出来ない。今夜は徹夜か。
「上手くできたら販売してもいいぞ」
そう言い残し、師匠は自室に戻って行った。販売、とはつまりこれが仕事に直結することを意味している。商品として売ることができれば私も一人前に近づくというものだ。ついでにお小遣いにもなる。師匠が置いていった型紙はおそらく紳士服の正装、ジャケット、パンツ、ベストの三揃えだろう。それこそ上手く仕立てられれば売りやすい商品になる。
私の夢は一つしかない。やるしかない。やるしかないのだ。負けそうになった心をなんとか立て直し、型紙を手に取る。深夜まで鳴り響くミシンの音に、近所から苦情が来ないことを祈るばかりだ。
*
そうしてある程度、型紙から服を仕立てられるようになった頃、彼らは師匠の店にやってきた。
「久しぶりだな、萌稀」
名前を覚えてくれていたのか、などと考えていたのはやはりその顔面の美しさに心を奪われそうになったからだ。さらさらと輝く色素の薄い金髪と宝石のような緑の瞳は、まるでお人形さんのようである。
隣に立つ縹さんも言ってしまえばまあ美形なのだが、目つきの悪さで少し緩和されている感はある。師匠とどっこいどっこいだと思う。
黒髪に切れ長の一重の目と気怠げな表情は、たまに得も言われぬ妖艶さを醸し出すので油断はできないが。雑念を混じらせつつ美形を前に意識を保つ。
「ご無沙汰しております。詩苑様、縹様」
私はスカートを両手で摘まんで一礼をした。
あの学院では制服と思われるジャケットを身に纏い、師匠と軽口を叩きあっていた二人に対し、私も気安い態度をとってしまった。
だがしかし、本日私服をお召しになっている二人はどう見ても、そんじょそこらの一般市民ではない。確実に。
落ち着いた色合いの、一見派手ではない意匠の羽織りものは明らかに手触りが良さそうな生地であるし、裾や袖に繊細な刺繍が施されている。加えて二人の体型に合った、絶妙なシルエットだ。
こんな上質な衣装をお召しになれるのなんて、絶対に貴族の令息であるに決まっている。
そんな改まった態度の私を、横から物珍し気に見下ろしているのは師匠。本来であればあなたもこちら側の人間でしょう、事件にしたくないならそれなりの態度をとりなさいよと言いたい心をぐっとこらえ、笑顔を作って見せた。
しかし目の前の二人もまた、師匠と同じく奇妙なものでも見るかのような視線をこちらに向けてくる。
おや?どうしたというのだ。私の礼の仕方はそんなに個性的なものだっただろうか。いやそんなことはないはずだ。
「今更”様”とかいらないよ。気軽に呼んでいいし、そんな改まってなくてもいい。歳だって同じくらいでしょう?」
詩苑さんがこらえきれずついに吹き出しながら、なんなら腹を抱えながら言った。
「え、でも…」
「まあそうだな、仲間になろうとしている奴に、様付けで呼ばれるような性格でもないな」
困りながら言葉を探す私に対し、縹さんも追い打ちをかける。
「じゃ、じゃあ…詩苑さんと、縹さん…?ですか?」
「うん、いいんじゃない?俺は呼び捨てでも構わないけどね」
詩苑さんはにっこり微笑んだ。うっ…眩しい。目が潰れる。
にやけそうになる顔を誤魔化すため、横に目線を逸らすと縹さんもまた不敵に笑った。
「さ、とっとと始めるぞ」