83.明月の民
訓練場で、詩苑兄はまずロトフォル大陸人と明月の民との魔力の違いから、丁寧に説明してくれた。
「いいかい、私たちロトフォル大陸の民族が使う魔術は、何も無いところから何かを生み出すものだ。だから水や風、火などを起こすことができる」
そう言いながら詩苑兄は掌に炎を出す。
「しかし君たち、魔女こと『明月の民』は既に在るものに対して、変化を加えることが出来るんだ。君の場合はどうやら温度変化が得意なようだね」
雨の日や、水場が近くにあるときに魔術が使いやすいと思った理由は、私が想像した魔術が水や氷だったからのようだ。得意なのが温度変化だったからこそ、知らないなりに奇跡的に使うことが出来たと言えよう。
「あまり詳細は解明されていないが、耳で匂いが分からなかったり、口で音が聞こえないのと同じ。根本的な理が違うからお互いに補完することや、感覚を共有することが難しい。ロトフォル大陸人が明月の民の魔力を読めないのはそのせいだ」
しかしながら、純粋な大陸人であっても生まれつき魔力の少ない人や、魔術を使うのが上手くない人がいる。平民は高度な魔術を習う機会もない。普通に生活しているだけならば、紛れてしまえば分からないものなのだ。
ただ、詩苑のように魔力を読むのに慣れた人にとっては、明月の民の魔術は不可解に魔力が読めない。
今回の件では学院で指導をしている先生や、現騎士クラス首席である自治会長も不思議に思ったことだろう。
「学院の授業を含めて騎士を教育していると、たまに魔術を全く使えないだとか、使い方が下手とか、そういう人に出会うんだ。調べたら明月の民についてたまたま文献が見つかってね。ちょうど今、色々検証していて」
流石、聖剣を司るグラディウス家。詩苑兄は見たところ詩苑と十も離れていないが、団員どころかもう教育する立場にいらっしゃる。
「複合的な理由から当時は除け者にされてしまったけれど、お互いに理解すればそんなことにはならないはずだ。正しい力の使い方を知れば国にだって益をもたらす。そのための証拠と理論を集めているんだ」
忌避された民族にも活路を見出すとは、若いのに立派な志を持った人だ。
そんな人から個別に訓練をつけてもらえるなんて、こちらから頼んだことではないにしても、大変身に余る栄誉だろう。念のため繰り返すが、こちらから頼んではいない。
「全く異なる性質だから、私も教えるのに苦労していたところで…実例は多いに越したことはないから」
つまり、私の出自を公にしない代わりに今後の騎士団のためにも情報は寄越せと、そういうことらしい。
「早めに学院に情報を入れておいて正解だったな。私は人より魔術を使うのが少しだけ得意だから、いい練習になると思うよ」
そうして詩苑兄のもと、簡単な魔術を使うところから訓練は始まった。
そう、始めは簡単なことだった。元々得意だった水を凍らせることだったり、逆に沸騰させてみたり、部屋全体の温度を調整したり、その程度のことだった。
それがいつの間にか、詩苑兄の出した攻撃魔法を避ける訓練になっていた。
いつからだ。いつから道を間違えたんだ。
詩苑兄は爽やかに微笑んで、平然とえげつない魔術を繰り出してくる。
人をおちょくるのも大概にしてほしい。魔術を使うのがちょっと得意です、とかそんな段階を遥かに超えている。
それもそのはず。あの詩苑の兄であり、当人は選ばれなかったとしても聖剣を受け継ぐ家系の長子だ。ぶっちゃけ聖剣の伝説がなんなのかはよく知らないが、生半可な戦闘能力で許されるわけがない。
そんな人の攻撃魔法を受けて避ける訓練が、本当に私に必要だろうか。
人は窮地に立たされると思いもよらぬ力を発揮するからと言われたにしても、ここまでの窮地ある?そのお陰で、平時に魔力を制御出来るようになったとはいえ!
相手の攻撃魔法の進行方向を変え、威力を失くし、形を変えるよう指示を出す。反撃するように言われているが……詩苑兄、隙、無さすぎる!
あわあわと逃げ惑いながら必死に頭と足を動かすも、どんどん追い詰められ、あえなく手詰まりになって何度目か。
「もう、無理です…」
訓練場の隅で両手を上げ、肩で息をしながら訴えても、詩苑兄は薄く笑んだままだ。
「筋がいいね」
この状況で褒められても、舐められているとしか思えない。私の不服そうな顔を見てとった詩苑兄は、ふふと笑いを零した。
「自分が出来ないことをきちんと省みて、現状に甘んじない根性は褒められるべきだ。それに筋がいいと思ったのも事実だよ。数日前に始めてもうこれだけ動けるのだから、騎士クラスに勧誘したいくらいには」
否々、勘弁してください。授業の遅れは絶対に許されないと思って、この魔術訓練は放課後、一般の学生が寮に戻って寝支度をするような時間帯にお願いしているんですよ。これ以上針と糸を触る時間が減ると精神的に息が出来なくなりますので!
しかし弱味を握られている状況の私としては、あまり迂闊なことは言えない。これ以上この学院で目立つのもごめんだし、不本意な形で身柄を国に差し出されて自由を奪われるのもごめんだ。
最近では少なくなったにしろ、迫害なんてされたら堪ったもんじゃない。それならまだ、ご令嬢の可愛らしい嫌がらせに付き合った方がましだ。
万が一ご令嬢に「明月の民」だと知られたとして、一番痛手を負うのは私ではない気がするけど。
兎にも角にも、そうして私は騎士団のための生ける参考資料と化したのだった。
「それで、今回はどんな感覚だった?」
「えーと、地面が浮くのが見えたので、それを防ごうとびゃっと流れを変えて…でも変えた流れに乗ってこちらに向かってきたところを、シューンひょいって感じに…」
「うん」
詩苑兄は実践を繰り返す度に、魔術を使ったときの感覚を訊いてくる。思ったことを素直に口に出していいと言われているが、これでいいのだろうか。
「あの…ちゃんと伝わっていますか…?」
「私には全然?」
私の不安を払拭するわけでもなく、詩苑兄は笑顔で否定した。
……え、じゃあこれ、意味ある?
しかしまたしても私の困惑を正しく読み取ってくれたらしい詩苑兄は、笑い声を溢した。
「私には分からなくても、同じ明月の民なら分かるかもしれないからね、これも重要な参考資料になるんだよ」
「そう、なんですね…」
個人的には必死に伝えようとしたことが、全く伝わっていなかったことに衝撃を隠せないが、将来的に役立つのかもしれないなら、引き続き頑張るしかない。
そんな調子で訓練は毎日、日付が変わる頃まで続いた。
*
謹慎処分なんていつぶりだろうか。本当に央智が絡むと碌なことにならない。どちらかといえば巻き込まれた側の俺が、たった数日とはいえ何故寮に閉じ込められなければならないのか。
本来であれば直ぐにでも萌稀の様子を見に行って、謝罪の一つでもしに行きたい、そうすべきであるのにそれすらも叶わない。
寝台に腰掛け片膝に頬杖をつき、窓の外を見ながら盛大に溜め息を吐いた。今日は雲が多くて星も見えない。
部屋の中では暴れることも出来ず、感情を抑え込むために授業で取り組んだ歌劇の課題曲を口ずさむ。女を巡った争いの果てに呪われろとかいう他力本願な歌だ。
「おう、荒れてるな。あと一日だろう」
授業から帰ってきた縹はそう言いながら、共有の卓子に二人分の夕食を並べる。
「萌稀の様子は?」
「規響様との訓練は順調そうだぞ。見込みがあるって楽しそうだった」
「楽しそうなのは兄上だろう」
萌稀の魔力が普通じゃないのは分かっていたが、まさかそのために兄が学院まで出てくることになるとは思わなかった。
「明月の民だっけか?噂程度には聞いたことがあったが、本当に魔力の理が全く違うんだな」
「そうらしいね。道理で魔力が追えないはずだ。もう覚えたけど」
普段は気のようなものを追って魔力を読んでいるが、明月の民が使う魔力はそれでは読めないらしい。萌稀を見つけたときに感じた匂いのような感覚がするのが、明月の民の魔力。
「流石は”グラディウス”だな」
「やめろ」
縹と向かい合って座れば二人だけの夕食が始まる。定期発表のあと出待ちが現れてからというもの、まともに共有施設を使えなくなった俺たちは、こうして寮の部屋で食事を取ることが増えた。
「風滋にも動いてもらってはいるが、また央智が何かやらかすと面倒だな。あといい加減、萌稀の問題も何か手を打たないと」
俺が芸術クラスに転籍してからの央智は、ここまで派手に突っかかってくることはなかった。だというのに今回は他人まで巻き込んでのこの騒ぎだ。俺からも釘を刺しておく必要がある。
「一つ、考えがあるんだけど」
何かをやるときは縹の意見をもらうことにしている。俺は計画を縹に伝えた。




