82.兄の調査
「君が『萌稀さん』だね」
「はい…そうです」
男は私の返事を聞いたあと、こちらを向き直った。少し癖のある白金の髪がさらりと揺れる。
「風滋あたりから聞いているかな?詩苑の兄の規響です。よろしくね」
「よろしくお願いいたします」
スカートを摘まんで礼を執ると、目の前の男は一段と笑みを深めた。
騎士クラスから依頼された調査を行うのが詩苑の兄君だと聞かされたのは、医務室での尋問のあとのことだ。
自治会長はわざわざ被服科の教室までやってきて、面会の日時と場所を伝えてくれた。
『調査を行うのは規響、詩苑の兄だ。今は国の騎士団に所属していて、若手の教育に携わっている。その関係で調べていることと、萌稀さんの魔力が関係ありそうで、直接学院に来ることになった』
『そのような方が学院に…?』
『ああ。先日も言った通り、悪いようにはしない。規響の個人的な調査だそうだ。そう肩肘を張らなくても大丈夫だよ』
そうは言っても、何も考えずに今日を迎えるような図太い精神は、残念ながら持ち合わせていなかった。
やっと詩苑の顔に慣れてきたところだというのに、その身内が美しくないはずもないだろう。そうなると、またしても視覚への刺激に耐えなければならない。ましてやアルブメリ王国騎士団に所属しているような、高貴な方と話すのも無理がある。
緊張のあまり失礼なことをして、うっかり牢屋にでも放り込まれたらどうしてくれる。
山蕗も呆れていたが、本当に央智君はなんてことを仕出かしてくれたんだ。あれから一週間は経ったのに、謹慎処分のせいで未だに詩苑に会えてもいないんだぞ。
兄君に会う覚悟を決めるために、一度詩苑に会っておきたかったというのに。何で肝心なときに私の隣にいないのよ、詩苑のばか。
そんなことを心の内にひっそりと抱きつつ、私は応接室に案内され詩苑兄と向かい合う。
一息つくと、詩苑兄は目を眇めて問いかけてきた。
「それで、君は何者なのかな?」
「……」
いきなりどういった意図の質問だろうか。下手なことは口に出来ない。私の困惑を感じてか、詩苑兄は言葉を続けた。
「私が不甲斐ないばかりに、弟には苦労をさせていてね。あの子が望むなら、多少の我が儘は叶えてあげようと思っているんだけど」
氷のような薄い色をした瞳が確かに私を見据える。そこには有無を言わせない色が滲んでいた。
これだから高貴なお方は苦手なのだ。権力に任せて弱者を威圧すればいいと思っている。
「君は、弟の何が目的なのかな」
先ずはご令嬢に狙われがちな詩苑との関係を知ることから、といったところだろうか。金か権力目当ての女が可愛い弟の周りをうろちょろしていたら、さぞかし鬱陶しかろう。
弟思いの兄君、なのかな。
「……私は舞台衣装を仕立てたい、ただの一学生です。詩苑様方に誘われて、定期発表毎に詩苑様の衣装を仕立てております」
「そう」
詩苑兄は表情を変えずに私を見ている。そこに負の感情は見られない。
しかし私は知っている。本題はこれではない。ごくりと生唾を飲み込んでから、慎重に続けた。
「ですが、お察しの通り私はこの大陸の者ではありません。こちらでは『魔女』といえば伝わるでしょうか」
「実物をこの国で見たのは初めてだね」
淡々と話を聞いていた詩苑兄の目の色が変わった。やはり調査しているのはこのことか。
「基本的に『魔女の一族』は『森』をでませんからね。私は訳あって『森』では育っていませんが」
「それで魔術の使い方がままならないのか」
「お恥ずかしながら、力を抑制する方法しか訓練していないのです」
これが、私が魔術を苦手とする理由だ。
「なるほどね。黒い髪に極めて明るい瞳、それが『明月の民』だと聞いたことがあるのだが、君のような少し薄い髪色でも、その魔力を受け継ぐことがあるんだね」
驚いた。この大陸に、そこまで知っている人がまだいるとは思わなかった。
「…ご存知なのですか」
「つい先日、調べ物をしているときに行き当たったんだ。約百年前、他の大陸から移動してきて、魔力と宗教の違いから迫害され、森の奥に身を潜めた民族がいたと」
――それは、「魔女」こと、「明月の民」である。「魔女」は「明月の民」の蔑称だ。
「それで、君はご両親からその血を引いているの?」
「母が『魔女の森』出身だと聞いています。父は一般的なロトフォル大陸人です」
「それで髪は少し色素が薄いんだね。外見的特徴は完全に引き継がなくても、魔力は引き継げるのか」
詩苑兄は考え込んで、脚を組む。
「明月の民」は漆黒の髪に、極めて明るい色をした瞳を持つ。
黒髪に極めて明るい黄緑色の瞳を持つ母と、赤みの強い茶色の髪と瞳の父との間に生まれた私は、完全な黒髪ではない。
「髪色と魔力については…母も驚いていたように思います」
「魔力を受け継ぐ条件についても研究がされていない、か…」
そう呟いて考え込む詩苑兄は、騎士というよりも研究者の顔をしている。
「完全には条件に当てはまらないからこそ、母も隠せると思っていたのでしょうね。私もまさかここまでのことになるとは、想像もしていませんでしたが」
私の魔力については、そもそも央智君が意味の分からないことをしなければ、露呈しなかったのだ。思い出して歪みそうになる口元を、そっと手で隠した。
詩苑兄は何かを吟味するように私を観察し、顎を撫でた。
「まるで貴族の令嬢のような立ち居振る舞いをするね」
「そう見えるのであれば、礼儀作法を教えてくれた者に感謝をせねばなりませんね」
もう一度、氷のような瞳がぎらりと光った。
しまった、やってしまったかもしれない。ここは平民として素直に感謝とか謙遜とかをしておくところだった。
対面している相手に合わせた話し方を意識していたのが裏目に出た。長年の習慣というものは侮れない。
言葉を間違えたと思って焦る私を見て、詩苑兄はくつくつと喉を鳴らした。
「言葉を覚えたての仔猫のようだね」
これはどっちだ?まさか貶されている?もうどう立ち回るのが正解なのか分からない。助けて詩苑!
今後の対応をどうするべきか必死に考えを巡らせていると、詩苑兄は言った。
「まあいいよ。本当に弟たちとは、真剣に課題に取り組んでいるようだ。あれに良い顔をするためにも、訓練を始めようか」
「訓練…ですか?」
「私は騎士団に所属しながら、若い騎士の教育が専門でね。更には魔術の研究にも興味があるんだ。君は色んな意味で良い素材だ」
口元にだけ笑みを浮かべて、詩苑兄はこちらを見据えた。
「良い素材」ってつまり私を実験台か何かだと思っていらっしゃる?
「君自身のためにも、正しい使い方は知っていた方がいいだろう。被服科の先生にも許可はとった。明日から放課後は、私と魔術の訓練をしよう」
氷のように薄い青色の瞳は、やけに楽しそうな色を浮かべていた。
*
正直、師匠の扱き以上に辛いことなんてないと思っていた。この先、生きるために必要なことは、裁縫の技術以外に無いと思っていたからだ。
しかし現実は無情にも、そんな幻想を打ち砕いていく。
「瞬き二つ分、遅いよ」
顔の横を瓦礫の破片が飛んでいく。瞬き二つ分ってどのくらいだ…!私は訳も分からないまま必死に逃げ惑う。
「ほら、反撃しないと、終わらないよ?」
薄い氷のような瞳は、私を捉えながら冷たく笑う。
もう足が動かなくて、小さな瓦礫に躓いてたたらを踏んだ。
身体の疲労と共に頭も疲労していく。複雑な魔術の展開は諦めて、反撃の機会を狙うも上手くはいかない。歯噛みしつつ距離を取る。
ていうかそもそも私、騎士クラスじゃなくて芸術クラスなんですけど!戦うためじゃなくて、衣装を作るためにここにいるんですけどお!?
色素の薄い金髪を左耳の下で優雅に結んだ男が、微動だにせず私を追い詰める。その表情は、そこはかとなく恐い。




