80.それは、厄介なだけの男
「央智、様って、あの…?」
澄麗の疑問に俺は黙って頷く。
央智は騎士クラスの五年生、侯爵家の嫡男で、昔から詩苑に構ってもらおうとやっかいなことを仕出かす問題児だ。
それこそ詩苑が騎士クラスだった頃、何かとちょっかいを出し、よく追いかけっこをして先生に怒られていたので、その頃を知る人たちにとっては有名人だ。
萌稀の入学前にも、二度ほどちょっかいをかけていたことを思い出す。あの例のやっかみが央智なのだ。芸術クラスの一年生になりすましたのは本人か、協力者か。
「せっかく院則を厳しくしてもらったのに、まだ諦めてないんだ?また自治会長に文句言わないとね」
厚紙を確認した山蕗は、弱々しくも言葉を吐き出す。
学院側に何か申し入れをしたいときに役立つのが自治会だ。詩苑が芸術クラスに転籍してからも暫く続いたちょっかいをどうにかしろと、当時から会長だった風滋に対応させたのは俺だ。
まともに練習ができないわ、学院の備品を壊すわ、好き放題していたのを止めさせた。騎士クラス時代、野放しにしていた責任もふっかけて学院側と院則の交渉をさせたのだ。
「びっくりした…あれがグラディウスの力かよ…」
椹火も不快そうに目を眇めて、両肩を擦っている。
「どうせ本気で戦ったって、央智くんが詩苑に勝てるわけないんだからさぁ…やめたらいいのに。戦闘以外なんっにも出来ないのに、何で無駄に詩苑煽り性能ばっかり高いわけ?いい加減自分の実力を省みてよね」
あの二人に何の因縁があるのか詳しく聞いたことはないが、騎士クラス時代の詩苑が周りから避けられていた原因の一つは、どうやら央智らしい。
「山蕗、この後の授業は?」
「ないよ。ピアノの練習しようかと思ってたけど、気分じゃないね」
「そうか。椹火、被服科の先生に『萌稀は詩苑と央智の関連で事件に巻き込まれ、身動きが取れない』と伝えてもらえないか」
「分かりました」
とりあえず詩苑の名を出しておけば、授業を無断欠席してもそこまで厳しい処罰は受けないはずだ。
「澄麗は悪いが授業がない限りここにいてくれないか。何かあったときすれ違うと面倒だ。連絡役になってくれ」
「はい!」
「そういうところが縹だよね、詩苑にもその狡猾に生きる方法を教えてあげたら」
不機嫌な山蕗は、一度毒を吐き始めると止まらない習性がある。央智への文句を言い尽くしたら、今度は澄麗を安全なところに置いておく俺へ毒が向けられた。
「単純に効率的だろうが。行くぞ、山蕗。まずは自治会長だな」
「後で詩苑に埋め合わせさせよう」
そうして俺たちも萌稀を捜索しに、談話室を後にした。
*
央智を見つけるのは簡単だ。広い場所に出て、魔力を垂れ流せばいい。
芸術クラス棟から一番近くて広い場所、過去に芸術クラス用として使われていた鍛練場に出た。
訓練用の古い刃先の潰れた剣を拾い上げ、ギリギリ屋根があるところから周囲を観察する。
「お望み通り来てやったぞ。さっさと出てこい」
周囲に魔力を漂わせると、その男は忽然と姿を現した。戦闘狂とも呼べるこの男は、俺と本気でやり合うために色んな小細工をしかけてくる。
無駄に複雑な魔力を組み合わせて分身を作り出したり、急に現れたりするところが特に面倒で厄介だ。正直その能力は他に活かしてくれと思う。
「やっと来たか」
央智は片方の口の端を吊り上げて、悪役のように笑う。自分に酔っているところが最高に気持ち悪い。
「来てやったんだから大人しく口を割れ。萌稀はどこだ」
「まあ少し遊んでからでもいいだろう」
「分かっていると思うが、学院内での私闘は禁止だ」
何が遊ぶだ。間髪入れずに言葉を返した。
「ああ、そうだな。だが決闘は禁じられていない」
俺はこいつの阿呆さ加減を失念していた。
馬鹿だろう、常識的に考えて私闘がダメで決闘がいい理由ってなんだよ。なんのための院則だと思っているんだ。そもそも私闘より前に決闘が禁止されてなかったか?何でこの頭で未だに自分が首席になれると思っているんだ。
余談だが騎士クラス時代、授業は別としてもこいつより成績が下になることが許せなくて、ちゃんと試験を受ける気になった。そこだけは感謝している。
何はともあれこいつが決闘する気なら、先に手を出させればいい。その後は誰がなんと言おうと正当防衛の範囲内だろう。さっさと叩いて萌稀を探しにいく。
「お前は決闘がしたいんだな。ならさっさと始めれば?」
「ふん、言ったな」
俺はするなんて一言も言ってないけどな。
「その前に萌稀の居場所はどこだ」
「物置だ!」
それだけ言うと央智は魔術を使い、風にのって切りかかってくる。
決闘だと言い張るならそれなりの決め事くらいしてから始めるべきだが、こいつにそんな細かいことが通用しないのは分かりきっていた。
「ふざけんな!敷地内にどれだけ物置があると思ってんだ!」
「後は貴様が地に伏してから教えてやろう」
始めから言う気がないことはよく分かった。端からこいつに言葉が通じれば、こんなことにはなっていない。もう容赦はしない。
小細工でどうにか隙を作ろうと必死な央智の魔術を全ていなし、力の限り吹っ飛ばした。日頃の精神的苦痛を全てぶつけてやった。これだけあっさり負けるのに未だに立ち向かってくるのは何が目的なのか、考えることはとうの昔にやめた。
さっさと央智を片付け、濡れることも厭わず走り出す。物置ってどこだ。
央智が使いやすくて暫く人を閉じ込めておいても気づかれなさそうなところ…あまり使われていない…ああクソ!こんなことならあのとき、誤魔化されずに萌稀の魔力について訊いておくんだった。
魔力を辿ることが出来れば居場所を探すなんて容易いのに、俺には萌稀の魔力が分からない。
また俺のせいで巻き込まれたなんて知ったら、あんな態度では済まないかもしれない。それだけは、絶対に、避けたい。
少しでも萌稀の残した痕跡が拾えないかと、己の感覚を出来る限り研ぎ澄ませる。
その時、ふいに嗅ぎなれた”匂い”のようなものを感じて立ち止まった。それが何だかは分からないのに、確かに知っている感覚。雨が降っているのに、遠くの匂いが分かるはずはない。けれど、その匂いのようなものに呼ばれたような感覚なのだ。
それにつられて、俺は方向を変えた。
一歩踏み出す度にビシャビシャと音を立てるぬかるんだ道は、制服のズボンを腿まで濡らした。
騎士クラスに向かう途中の森の中を進むと、少し開けた場所に出た。見覚えのないそこは、何のために使う場所だっただろうか。端にいくつか物置のような小屋がある。
「…”て…、さぁ………か、れぇ……ぼ”…」
何か聞こえる。恐らく小屋の中から何か音がしている。近づくにつれてはっきり聞こえるそれは、人の声だった。
「”さ……きぃ、か……てぇ…まぁ、おどぉ、れ”……」
「この声、萌稀か?」
声が聞こえるらしき小屋は窓から冷気が漂っていて、そこだけ季節が逆戻りしたかのように寒い。慌てて小屋に駆け寄り、高い位置にある窓に向かって叫んだ。
「萌稀!いるか!」
「し、おん…?」
耳を済ませると中から返事があって、俺はすかさず入口の魔術で封じられた鍵をぶち壊す。
「なるべく入口から離れてて!」
「うん」
確かな返事を聞いて、扉に思い切り炎の塊をぶつけた。かけられた魔術が弱まったことを確認し力任せに扉を蹴破ると、氷で覆われた部屋の中で蹲り、肩で息をしながら顔を上げた萌稀と目が合った。
室内は氷のせいで見渡す限り白く、表で感じた匂いらしきものが強い。これほど自分の勘の良さに感謝したこともない。
「あぁ、よかった…たすかったぁ……」
それだけ言った萌稀は、目を閉じて再び倒れこむ。
「萌稀…!」
自分が濡れていることを忘れ、直ぐさま抱き上げて暖を取るための魔術を行使した。




