75.やりがいのない嫌がらせ
私の独り言を目敏く拾った詩苑は、心配そうにこちらを窺う。
「ご令嬢方にね、『身分を弁えたら?』っていうありがたーいお言葉を頂戴したの」
「どういうこと?」
「私が高貴な皆様と一緒にいるのが『弁えていない』ってことなんでしょう。笑っちゃうよね、学院長先生に喧嘩でも売りたいのかな」
相手方がどのような身分かは存じないが、学院はあくまで「学生同士は平等である」としている。入学式で学院長先生直々にそのような話もあった。
正に身分が低いからという理由で、学業に専念出来ないことを防ぐためのものだ。
「そこは、笑うところじゃないだろう」
努めて明るく冗談を言う私に、詩苑は困りながら諌めてくる。
端から詩苑に解決してもらおうなんて思ってもいないが、元凶からの何とも言い難い微妙な反応に、肩を竦めてみせた。
しかし困るのは詩苑だけではない。縹さんは眉間に深い皺を刻んでこちらを見た。
「せっかく身体に負担をかけてまで入学してもらったことだし、今回は特に細かく打ち合わせをしたいが」
私がこの学院に入ろうと思ったきっかけの一つは、定期発表の打ち合わせがしづらいのを改善したいからだった。
王都の隅にある師匠の店から、師匠の店とは逆方向の王都に隣接する領に建てられた学院は、馬車に乗っても数時間かかる距離がある。
入学前はその数時間を往復して、縹さんと詩苑が打合せのために師匠の店を訪れたり、逆に衣装を携えて私が学院を訪れたりしていたのだ。思いついたことがあっても気軽に相談出来ないのはかなり不便だった。
その問題は解消出来たはずなのに、自ら会うことを制限することの、何と馬鹿らしいことか。
本来であれば真面目に学問に取り組んでいるだけの私たちに、他学科の知らない人が文句を言う筋合いはないというのに。
私が邪魔なのは理解出来なくもないけれど、私が近寄らなかったところで詩苑とどうにかなる可能性があると、本気で思っているのだろうか。だとしたらもう少し積極的に本人に近づく方法を考えて実行しないと、意味がないと思うのだけれど。
しかしただの嫉妬心から来る注意に、具体的な行動を示す反論が無意味であることは、私とて分かっている。
「取り敢えず、私がここに来るのは必ず澄麗先輩と一緒のときにします」
せっかく定期発表についての打ち合わせだというのに、余計なことの心配が付きまとうのは物凄く不快だ。
*
翌日の朝食時に、ご令嬢方は再び現れた。
「昨日教えて差し上げたこと、もう忘れてしまったのかしら?」
昨日は念のため、この人たちの顔が周りにないことを確認して第三談話室に向かったはずなのに、どこから情報を仕入れているのだろうか。
「何のことでしょうか。私は真剣に、課題の一環である衣装制作について打ち合わせをしていただけですが?」
そう笑顔で返すと、ご令嬢は明らかに眉間に皺を寄せて鋭い視線を向けてきた。どいつもこいつも平民だからと侮っている相手が言い返すだなんて思ってもいないのだろう。
「あなたはまだ一年生でご存知ないでしょうから、教えて差し上げますわ。詩苑様は元騎士クラス首席で、周りを寄せ付けないほどお強くていらっしゃるのよ。安易に近づかない方が身のためではないかしら」
どうやら荒れていた頃の詩苑を知っている方のご令嬢だったらしい。危険だから近寄るなと、そう聞き取れる。
しかしこの方の言い分だと、今でも何かあると詩苑は分別なく暴れだすから気を付けなさい、と受け取ることも出来る。それは荒れていた過去を恥じているらしい詩苑への、侮辱になるのではないだろうか。
「まあ、そうだったのですね。ご助言ありがとうございます。しかしながら、それが現在『芸術クラスに所属している詩苑様』と、何の関係が?」
笑顔のまま言い返す私に、ご令嬢は顔を引きつらせた。
「平民のくせにあまり調子に乗っていると、痛い目を見ると申し上げているのよ。後悔する前に自重なさったら如何かしら」
貴族からの圧力に対して平然と言葉を返す私に無駄を悟ったのか、ご令嬢はそう言い捨てて去っていった。
「あんたよくやるわ」
今日も隣で朝食を取っているつーちゃん先輩は、毛虫を見る目で私を見ている。
「悪いことはしていないですし。あの人も突っかかってくるわりには大したことないですよね」
乾いた笑いを零すと、つーちゃん先輩は呆れながら匙を置いた。
「普通、貴族に売られた喧嘩は買わないのよ」
そうは言っても私は詩苑と一緒にいることに価値を見出して行動に移しているわけではない。学生の本分である課題に取り組むために必要だから、一緒にいるのだ。
筋の通らないことでやられっぱなしは性に合わないんだけどと思いつつ、私もまだ温かい朝食を平らげた。
*
更に翌日のことだった。つーちゃん先輩と教室に向かうため外を歩いていると、突然、頭上から何かが降ってきた。
「いたた」
「急に何?」
足下を見るとどんぐりなどの木の実と、毛のない芋虫や、蛙やトカゲが転がっている。
「これはまた典型的な嫌がらせですね」
頭を振ってごみを払う私を、つーちゃん先輩は少し青ざめた顔で見ている。
「どうして平然と事実を受け止めてるのよ。多少焦ったところでも見せておかないと、やる方だってこんなもの集めた甲斐がないじゃない」
「待ってください、つーちゃん先輩はどっちの味方なんですか!?」
「あんたの打たれ強さに感心しただけよ」
つーちゃん先輩の言い様には、流石の私でも傷つく。
「こんな嫌がらせに何の意味があるんですかね」
通路のど真ん中に放り出されてしまった虫や蛙を、茂みに寄せてあげる。
西の田舎から旅して王都まで来た私は、野宿で虫と一緒に寝たこともあるし、どんぐりを炒って食べたこともある。そんなものを恐がっていたら、生きてなどいけない。
「私、木登りも得意です」
「その特技はいつ活かすの。あと会話に脈絡がなさすぎる」
当時が懐かしくなってつーちゃん先輩に自慢してみたら、やはり冷たくあしらわれた。
「聞いたわよ、あなた、頭から木の実を被る趣味があるそうじゃない」
「わあ琳先輩、お耳が早いですねえ。でも木の実だけじゃないですよ」
「他に何を被れば気が済むのよ」
琳先輩は相変わらず作業台に腰かけて話す。白衣から覗く、しなやかなおみ足に目がいってしまう私を許してほしい。
「蛙も芋虫も可哀想なので、ちゃんと自然に返しておきました」
「やだ何してるのよ、気持ち悪い」
「そんなこと言わないであげてください。みんな一生懸命、生きているんですよ」
人間の都合で振り回される生き物たちは可哀想なので、生きている限りは茂みや水辺に放ってきた。残り少ない命を謳歌してほしい。
ご令嬢が触れるものでもないだろうし、わざわざ使用人を引っ張り出してまでやっているのか、そういった類が得意な学生でもいるのか。そんな無駄なことをする暇があるなら、本の一冊でも読んで視野を広げた方がよっぽど建設的だろう。
「分かってはいたけどやっぱりあなた、普通じゃないわよね」
「お褒めに与り光栄です」
「褒めてないのよ」
琳先輩は呆れを滲ませながら、私が今まさに製図している型紙を手に取った。
「あなたこれ、先週縫っていたのと違う課題?」
「これですか?そうですよ。この間のはもう終わったので」
私の手元の意匠画を指さして、琳先輩は首を傾げた。琳先輩は割と課題に助言をくれる。そしてその度に私たちの進捗を確認している。自分は卒業制作を残すのみで余裕があるらしい。
「は?まだ一週間くらいしか経ってないでしょ?」
「え?一週間でやる課題でしたけど」
「え?」
何故か琳先輩は目を丸くしている。
「ねえ?椹火」
「暫く一週間で素案、一週間制作でやるらしいな」
目の前で黙々と作業している椹火に話しかけると、手を止めずに返事をした。因みに椹火は既に生地の裁断に入っている。
「はあ?そんな課題聞いたことないわよ」
「……え?」




