【幕間】わくわく舞台裏見学
山も落ちもない、萌稀が舞台科の裏側を見学させてもらう話です。
画家勧誘が成功した創立記念祭二日目の午後、私は縹さんに連れられて舞台科の発表の見学をさせてもらうことになっていた。
勧誘の結果次第では複雑な思いを抱えながらであったかもしれない見学も、全力で楽しめる状態なのが有難い。何の憂いもなく舞台芸術の世界を堪能出来る。
「よろしくお願いします!」
「おう、行くか」
いったん別れていた縹さんと合流し、二人で劇場に向かった。
創立記念祭の二日間を通して、学院の劇場でも様々な催し物が行われる。今年は一日目に音楽関係学科の演奏会、二日目に舞台科の演劇だそうだ。
「舞台科にとっても年間を通して一番の行事だから、気合いが入っているぞ。演出は四年以上の立候補の中から投票で選ぶんだ」
「それは人望が丸分かりですね」
「重要な要素ではあるな。脚本と演出案を学科の全学年の前で発表するから、内容によっては好みが別れる」
「うわあ、既にそこから楽しそうですね!投票権が無くとも参加したかった…」
「萌稀は楽しいだろうな」
立候補者がそれぞれどんな提案をして舞台科の学生が何を基準に選ぶのか、裏側を想像しただけでも楽しくなってしまう私は、恐らく特殊な人種だろう。
「今年はどなたが演出するんですか?」
「六年の先輩だ。同じ舞台科の脚本家と手を組んで興味深い話を持ってきた」
「おお!当たり前ですけど脚本家志望の方もいるんですね」
「ああ」
縹さんの話を聞けば聞くほど興奮が増していく。完成された作品を観るのが一番楽しいことに間違いはないが、やはり制作側のことも気になってしまう。将来的に携わりたいことを詳しく知ることが出来る機会がもらえるのは、とてもとても有難い。
「舞台裏はこんな感じだ」
定期発表のときと同じように裏口から劇場に入ると、学生が慌ただしく動き回っている。舞台科の学生がどの程度いるのかは分からないが、出演者以外にも裏方の人員がかなりいることが見て取れる。
「定期発表のときと雰囲気が全然違いますね」
衣装や小道具を持って走り回っていたり、台詞の練習をする声が聞こえたりするのは、まさに「演劇」の舞台裏という感じだ。
「そうだな。定期発表は音楽関係の学科もいるし、参加団体も多いからもう少し混沌とした感じになっているよな」
邪魔にならないよう気配を消しつつ縹さんについていくと、あっという間に舞台袖までやってきた。
「袖に置いてある衣装は、着替える時間があまり取れないやつだ」
舞台袖の狭い空間に、いくつか衣装がかけられている。名札が下がっているところ見ると、人毎に分けられているようだ。
「そういえば、被服科が衣装を作ることはないんですよね?舞台科は普段どうしているんですか?」
「既製品や着なくなったものに手を加えることが多いな。たまに繕い方を被服科に訊きにいくこともある。あとは過去に使ったものを使い回したりだな。予算もそんなにないから」
「なるほど」
舞台袖の衣装をじっくり見せてもらうと、確かに随分と年季の入ったものがいくつか見受けられる。限られた予算と時間の中での工夫を想像すると、やはりものづくりの楽しさを感じる。
自分がそこに関われたらどんなにか幸せだろう。
「縹さんどこに行ってたんですか!?ご確認いただきたいことが」
呑気に衣装を観察していると、学生が一人、縹さんを見つけて急いで近寄ってきた。
「あ、縹さんの後輩くんその一だ」
見覚えのあるその顔は、定期発表の際に道具を出し入れするのを手伝ってくれた縹さんの後輩だ。事ある毎に集められているので、私は密かに縹さんの子分だと思っている。
「えっ、衣装さん何故ここに」
後輩くんも私の顔を覚えてくれているらしい。目を瞠ったあと駆け寄りつつ会釈をしてくれた。学年で見れば当然私より先輩だが、縹組に関わっていて年上だからと私を敬ってくれる貴重な人材だ。
ただし呼称は「衣装さん」である。まあ間違ってはいない。
「社会見学だ。気にするな」
「ちょうどいいところに!事故で衣装が破れてしまってどうしようかと思っていたところなんです!」
縹さんの返事に食い気味に話を続けた後輩くんは、手に持っていた布をずいと前に出した。
「おやまあ。これは大胆に行きましたねえ」
黄色のワンピースは裾が大きく破れてしまっており、恐らく着るとかなり脚が見えてしまうだろう。
後輩くんから受け取りつつ状態を観察すると、生地が裂けたところから解れている。縫い合わせることは可能かもしれないが、範囲が広いのとドレープが綺麗に出せるか微妙なのとですぐには元に戻せそうにない。
「これは直るのか…?」
縹さんも覗き込みつつ腕を組む。
「これはどんな場面でどんな役の方が着る衣装ですか?」
「台本直ぐ出るか?」
「持ってきます!」
流石は縹さんの子分、指示が出てからの動きが早い。あっという間にどこかに消えてしまった。
「縹さんは何係なんですか?」
今回の舞台の演出ではないはずなのに、後輩くんは何故縹さんに指示を仰いだのかが気になってしまって、隣を見上げた。重要な役を任されているのであれば、私を案内している場合でもないだろう。
「演出補佐みたいなものだな。演出の打ち合わせでいろいろ意見を出していたらいつの間にか」
「流石です。やはり頼りになるんですね」
ついうっかり頼りたくなってしまう周りの人の気持ちはよく分かる。
「どうだろうな。いいように使われているだけかもしれない」
薄く笑って縹さんは前髪をかき上げた。こういうときにふと、この人は裏側でなく表に立つべき人なのではと思ってしまう。
「どうした?」
「いや、別に」
凝視していたのに気づかれてしまい、慌てて目を逸らす。
「台本持ってきました!」
そんなことをしていたのも束の間、後輩くんは戻ってくるなり勢いよく台本を差し出した。これは相当焦っている。
「ありがとう。この衣装は始めに着るやつだよな」
「そうなんです…!」
幕開けと同時に身に着ける衣装がこんなことになってしまっては確かに焦る。開演までそう時間がない。
縹さんに台本を見せてもらいつつ、ワンピースを着る人の場面と動きを確認する。
「簡単に繕ってしまおうかと思いますが、派手な動きなどは?」
「小走り程度の動きはあるが、踊ったり戦ったりすることはない」
「であれば大丈夫かな。同じ色の布があれば手っ取り早いんですけど」
「同じような色合いの手巾が備品になかったか?」
「探してきます!」
師匠に習ったことを総動員して繕い方を計算する。後輩くんがよく動いてくれるので私も出来る限りのことはしたい。
「最悪全く別の布を使って模様にしてしまうという手もありますが」
「目立つ役柄でないから、出来れば地味な補修が望ましいな」
「承知しました。あ、因みに裁縫道具ってありますか?」
「ああ、この辺にあったはず…」
常日頃クロッキー帳とともに裁縫道具も持ち歩いてはいるものの、ちょうど合いそうな色の糸が無いことを思い出した。もし近い色が備品にあるのであればそちらを使わせていただきたい。
縹さんが舞台袖に雑然と置かれた備品を漁っていると、さらに別の学生がやってきた。
「縹、暗転の間なんだけど」
「ちょうどいいところに。それは後で聞くから先に裁縫道具の場所を教えてくれないか」
「裁縫道具?上手側にあるかも、待ってて」
「ああ頼む」
状況を説明する間もなくやり取りしていることに少し驚いたが、もしかすると舞台裏はいつもこんな様子なのだろうか。
「持ってきました!」
「ほら、持ってきたわよ」
呆然と感心していると、手巾と裁縫道具が同時に到着した。総じて仕事が早い。
「ありがとうございます。では少し場所を借りて」
隅に置かれていた椅子を拝借し、早速作業に取り掛かる。開演までの時間から逆算し、作業の優先順位を考えつつ糸の色を選ぶ。
「すまないな、萌稀」
「お役に立てて嬉しいですよ」
まさかこんなことになるとは想像してもいなかったが、例え補修であっても舞台作品に関われるのは素直に嬉しいし、入学した意味があったというものだ。謝ってもらうことなど何もない。
縹さんを見上げて笑うと、縹さんも口元を緩めた。
「あなた、ひょっとして詩苑様の衣装を作った人?」
「そうです」
そんなやり取りで、裁縫道具を持ってきてくれた先輩らしき人が私に気づいたようで、そこで初めて目が合った。
「ちょっと連れてくるなら言っておいてよ」
「言わなかったか?」
どうやら存在を知られているらしい。先輩らしき人は縹さんの肩を軽くはたいた。
「聞いてないわよ!後で話聞かせてね!そんなことより暗転なんだけど」
「ああそうだったな」
私に一瞬笑いかけたあと、すぐに縹さんに台本を差し出した。
縹さんが何を言ったか気になるが二人はそのまま打ち合わせを始めてしまった。私も作業をせねばならない。一先ずは目の前の衣装に集中した。
「ついでに裾の解れなども直してしまいましたが大丈夫でしたか?」
「助かるー!」
「ありがとうございます!衣装さんいなかったら今頃どうなっていたことか…」
作業の完了報告をすると、後輩くんたち舞台科の面々は瞳を輝かせてワンピースを受け取ってくれた。役に立てて良かった。
「こちらこそありがとうございます」
舞台裏の雰囲気を直に感じつつ、本物の舞台衣装を観察させてもらえたことは、私にとって貴重な経験だ。大変勉強になった。
作業中、通りすがる舞台科の人たちから話しかけられ口々にお礼を言われたりしたような気がするが、籠ってしまって返事が出来なかったことは悔やまれる。
準備に戻る後輩くんたちを見送ると、どこかに呼び出されていた縹さんが入れ替わりで舞台袖に戻ってきた。
「放置することになって申し訳なかったな」
縹さんは眉根を寄せた。けれど私はぶんぶんと首を横に振る。
「とんでもない!舞台裏の雰囲気が感じられて楽しかったです」
私が鼻息荒く拳を握ると、縹さんは安心したように息を吐いた。
「本番は思う存分、客席で楽しんでくれ」
「はい!」
「そろそろ澄麗も来ると思うから」
「ではまた後で」
幕開け直後の衣装に目を光らせつつも、その後の演劇は澄麗先輩と目いっぱい楽しんだ。
学院でしっかりと技術を身につけた暁には、舞台科の衣装を手かげてみたいと気持ちを新たにした一日だった。




