70.蚊帳の外の人たち
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「とりあえず何種類か用意したんだけど、まずはこれから着てくれる?」
「分かった」
縫ってきた白いシャツを詩苑に渡すと、直ぐに着替えてくれた。
「やっぱりこれかな…ちょっと頭失礼するね」
衣装を着た詩苑をてっぺんからつま先まで確認し、手に持っていた布を被せた。派手な頭を隠すための作戦だ。
「ちょっと屈んでくれる?」
余った布を首に巻きつけて、なるべく顔を隠すように調整する。
見上げるくらい大きい師匠ほどではないにしても、詩苑は私より拳二つ分くらい背が高い。首の後ろに手を回しつつ布を引っ張り、流し、していると、詩苑は目のやり場に困ったように泳がせた。
「顔…近くない?」
「大丈夫、ニンニクは食べてないよ」
「……そう」
物言いたげな雰囲気は感じ取ったが今は衣装だ。なるべく金髪が見えないように、何度か巻きなおして観察した。
「そうだ、言われてた靴持ってきたけど」
「ああ!忘れてた。それも履いてくれる?」
紫戯の雰囲気に近づけるため、詩苑に着せたのは薄汚れた生成りのシャツとズボン。それに合わせて、持っている中で一番汚い靴を用意してとお願いした。
「どう?」
詩苑が持ってきたのは薄茶の皮のブーツ。分かってはいたが、このお坊ちゃんの持ち物が汚いはずがなかった。それなりに状態も良く、きちんと手入れされている。高貴なお家において汚れた靴なんてものは、さっさと捨てられる運命なのだ。
「うーん…これまだ履くよね?」
詩苑の足下を見て考え込む。手元に置いているのだから、履かないはずがない。
「何したいの?」
「ん…汚したい。使用感が足りない」
嫌がられるだろうなあと思いつつ、一応希望を伝えてみる。
「いいよ、汚して」
「え」
驚きに弾かれたように顔を上げると、詩苑は何の感慨もなく言った。
「靴なら他にもあるし、なんなら汚す用に新しく買おうか?」
「いやいやいや、そこまではしなくていいけど!……ではこちらお構いなく」
多少の心苦しさは残るが、汚す用に新しく買うなんてされては堪ったものではない。それならいっそ、こちらの靴を汚させていただく所存である。
「外行ってくるから靴脱いで」
縹さんと澄麗さんは、絵の動かし方について大分話し込んでいる。恐らくまだかかるだろう。時間を無駄にしないためにも、私は私の出来ることを進めた方が効率が良い。
「縹、ちょっと外出てくる」
「ん?ああ」
「え、私一人でいいのに」
詩苑は靴を脱ぎながら縹さんに声をかけた。
相変わらず一緒に行きたがる男だ。まさか迷子になるとか思われているのだろうか。
それはそれとしてまだ昼間であるからには、詩苑と二人での行動は避けたいのだけれど。
さっさと靴を脱いで衣装の上から制服のジャケットを着た詩苑は、有無を言わさず私の背中を押した。
「ついでにお茶とお茶菓子、もらってこよう」
「さんせーい」
がちゃりと扉を開けると、いつの間にかローブを羽織った山蕗も隣にいた。
まあ三人なら…否、三人の方が目立つのでは?でも言っても聞かないだろうなあと思って、私はまたもや思考の放棄を選択した。
外に出ると、冷たい風が校舎の間を吹き抜ける。
そろそろ白衣だけでは寒いかもしれないと思いつつ、少し歩いて適当な花壇を見つけ、しゃがみ込んで靴に満遍なく土を擦りつける。
「やっと詩苑は分かったの?あの二人のこと」
練習中、詩苑は意味ありげな視線を二人に送っていた。
「分かったというか、あの二人明らかに距離近くなったよね?」
「それ、僕も気になったんだよね。進展あったの?」
どうやら二人は縹さんと澄麗さんのことが気になっていたようだ。流石に本人を目の前にして訊く勇気はないらしく、私の用事にかこつけて練習場を出てきたという寸法だ。
「確かにけしかけたのは私だけど、その後のことは何も聞いていないよ」
一度付けた土を払い、遠目に見てみる。水、水がほしいな。
「詩苑、これ一回洗って」
「え?うん」
水道を探そうかと思ったところで、横に魔力が高い人がいることに気が付いた。
魔力があるって便利だな。詩苑の手から水がじょぼじょぼ出ている。
「でもあの感じだと、縹さんもちゃんと動いているみたいだね」
しゃがみ込んだまま洗われる靴を見つつ、山蕗を見上げる。
「ああ、そういえばお母上に手紙出した、っていうのは聞いた」
「本当?これで澄麗さんの絵が守られるかな」
一通り土が洗い流されたところで靴を詩苑から奪い取って、もう一度乾いた土をまぶす。気が済んだところで、また詩苑に渡して洗い流してもらう。
「萌稀ちゃん、縹のお母上が芸術家の後援をしていること、知っていたの?」
「ううん。学科の先輩から芸術に造詣が深いって聞いて、もしかしたらどうにかしてくれるかもって思っただけ」
良い感じに汚れがついたところで、落ちていた木の枝を拾い上げ傷をつけようと引っ掻く。
「え、それだけであんな風にけしかけたの?」
「だって歴史のある伯爵家でしょ?後援まではいかずとも、使えるものはいっぱいありそうじゃない」
しかし思うように傷がつかず、枝は諦めて花壇の煉瓦に靴の側面を擦りつけた。良い感じに表面が削れていく。
「実際どうにかするために動いているんだから、萌稀ちゃんも縹もすごいや」
「ねえ、これ乾く?」
忘れていたけどこのあと履いて歌うんだった。ぐずぐずのまま履かせるのは、いくらなんでも可哀想だ。
足下とはいえ寒さが厳しくなってきた今日この頃、詩苑に風邪をひかせるわけにはいかない。多少の申し訳なさを感じて詩苑に訊ねる。乾かすのは本人なんですけど。
「乾くよ」
詩苑はいとも簡単に乾かしてしまった。温風をあてたようだがどうなっているのだろう。便利だな、魔力。
「縹さんが自分の将来をどう考えているかは知らないけど、どうなの?」
「どうだろうねえ」
「どうだろうなあ」
なんだこの人たち、みんな大丈夫なのかしら?永遠に学院に在籍しそうな勢いで他人事だ。訝しんで二人を交互に見ても目は合わない。
「萌稀、手出して」
「ん?」
言われた通り両手を差し出すと、土で汚れた私の手も魔術で洗い流してきれいにしてくれた。手がほんのり温かくなった。




