66.きっかけが何であろうと
「淡い色合いの大木に、似合わない赤を描くものだと思ったが、すぐに消してしまっただろう?その後から、君が絵を完成させた姿を見ていない」
「どうして、それを」
「少し外で話をしないか?」
こうして彼女を連れ出すことに成功した。
彼女、澄麗と男の関係は、遠戚で政略結婚の相手。そう珍しくもない話だ。
しかし派手好きな男は貴族の煌びやかな生活を夢見ており、澄麗が油絵を描くことを快く思っていないらしい。匂いがキツい油絵は、貴族の趣味としては嫌厭されがちだ。
性格が合わず、自分の趣味まで否定されれば付き合いづらさもこの上ない。
相手の心無い言葉で、油絵を描くことにすら罪悪感を覚えることがあるという。
「家のことだから、仕方ないと割り切ってはいるんです。せめて、卒業するまでは自由に描いていたいんですけど、時折ああしてここにまで姿を見せるものですから」
他人の家の事情に口出しするつもりはないが、同じ芸術クラスとして、優れた芸術家が気持ちよく作品を生み出せないことは勿体ないと思ってしまう。
「せめて、肖像画でも描ければ、自分の力で生きていくことも考えたのですけれど、如何せん私の絵は動くので」
「ああ、雲が流れていたな」
「私の魔力がそうさせるみたいで。流石に動く絵は肖像画として気持ち悪いでしょう?」
確かに肖像画が動いたら、怖がる人もいるかもしれない。だがあんなに素晴らしい作品を描く人が、この能力を活かさない、活かせないことに悔しさを覚えた。
「俺は少し特殊な舞台作品を企画しているんだが、もし良ければ一緒に何か作らないか?」
この才能を見て見ぬふりなどできるはずがない。活躍の場所がないと言うのなら、絶対に演出で活躍させたい。
「私には、難しいと思います」
すんなり受け入れてもらえるとは思っていないが、やはり辛そうな彼女の様子が気になる。
「…理由を訊いても?」
「……雲が流れるくらいなら、別にどうってことはないんです」
彼女は言いづらそうに、けれども確かに言葉を続けた。
「でも、それだけではなくて…どうも、描き上げた絵は私の感情に呼応してしまうようで…常に、ではないのですが、私が感情を揺らすことによって絵も、その、少々変わってしまうんです」
その不思議な現象を頭の中で想像して、素早く状況を整理する。
「それで、どうにも、意図しない絵が完成してしまったり、完成度が安定しなかったり…だから、こんな私の絵ではきっとご迷惑になってしまうわ」
それは、初めて聞く現象だった。
確かに完成させた絵が意図しないように変わってしまうのだとすれば、舞台演出として使うには不都合も多かろう。
しかしだからといって「はいそうですか」と諦められるような才能ではないと、改めて思う。
「仕方がないことなんです。だからやっぱり、せっかく頂いたお話ですけれど…」
彼女が言い終える前になんとか口を挟もうと、そのときの俺はいつになく必死だった。
「常に、ではないと言ったな」
「え、ええ」
「俺にその原因と対策を考える協力を、させてくれないか」
「…どうして?」
「稀有な才能は放っておけない質なんだ」
どうにか捻りだした言い訳ではあったが嘘ではない。
彼女は納得できない様子だったが、それからも俺は折を見ては遅い時間に絵を描いている澄麗の元を訪れるようになった。
それから更に一年経った。絵が動く原因までは、なんとか解明することができた。だが二人では改善する方法まで辿り着くことは出来なかった。
更に男ばかりの集まりに参加しにくさもあろう。主役が詩苑であるからには、周りの目もあろう。澄麗は未だに定期発表の参加までは踏み切れない。
けれども、今年は、なんとしてもあの才能を手に入れる。
原因は分かったものの対策を打てていない現象に頭を悩ませていたが、いい加減悠長なことを言ってもいられなくなっていた。期限が迫っているのだ。
二人で考えても分からないことは、考える頭を増やせばいい。誰かを巻き込めば、何かしら進展があるかもしれない。
ちょうど仲間に加わった頭のおかしい、もとい常人とは違う発想をする萌稀なら、いい方法が思い浮かぶかもしれないという一縷の望みをかけて、澄麗に紹介することを決意した。
「やるかやらないか、出来るかどうかの決断はまだ先延ばしで良い。ただ、仲間を紹介させてくれないだろうか」
「縹さんの仲間を?」
「ああ。普段は舞台芸術や音楽に傾倒している面々だが、きっと絵も好きだと思う。友人の素敵な絵を見せてみたいんだ」
「それは、とても、光栄ですわ」
菫のようにふわりと微笑む。
俺は内心の焦りを上手く隠せているだろうか。
*
――そうして、漸くここまで来た。
感情に影響される絵は、萌稀のアイディアでなんとか打開策が見つかった。さらには一緒に定期発表を作るところまで説得してみせた。
今更ながらに結局自分ではどうにも出来なかったことに、悔しさを覚える。
だからこそ。だからこそこの先は、自分の力でどうにかしてみせる。それについても、萌稀に背中を押された結果であることは弁解の余地もないが、このあとの望みを叶えられるかは、自分次第だ。
「前期発表のための絵は描けそうか?」
「ええ、必ず完成させます」
俺は身内の心を動かす効果的な手段を、頭の中で描き出した。




