64.弟子心
買い出しからの夕飯の支度を済ませ、約四か月ぶりの食卓に着いた。満を持して、第一の目的のために行動を起こす。
「詩苑から白シャツの件、聞いたんですけど」
「あ?」
「白シャツいっぱい着せて、何が似合うか検証したっていう」
「……あったな、そんなこと」
師匠は夕飯を頬張りつつ、明後日の方向を見ながら返事をした。
さては自分がやったことなのに忘れていたな。その間はもぐもぐしながら考えていたな。
「前期末の定期発表で白シャツを衣装にしようかと思っているので、参考までに結果を教えてほしいのですが」
「嫌だね」
「なんでですか!?」
にべもなく断った師匠に、私は必死に食い下がる。少し前のめりになった拍子に、手が汁物の入った器にぶつかり慌てた。
「そんなもん聞いてどうする。目的も顔立ちも体格も、そのときとは違うだろうが。無駄な先入観が生まれるだけだ。大体表現したいことだって違うはずだ。やめておけ」
「それは…そうですけど…」
師匠の正論には毎度返す言葉もない。悔しいがその通り過ぎて、私は黙ってご飯を口に運ぶしかなかった。
衣装の制作にあたって何か助言をもらえないかと、勝手に期待した自分が悪いのだ。ここは大人しく引き下がる。
「そういえば、琳藤っていう先輩とお知り合いみたいですけど、仕立屋に弟子入りすることになりましたよ」
琳先輩は相当師匠を意識していた。師匠のことだからどうせ琳先輩のことなんて覚えていないだろうと思ったが、せめて努力が報われたらいいなと思って伝えてみた。
琳先輩は希望していたネレミリア夫人に弟子入りすることは叶わなかったが、地元の腕のいい職人に認めてもらえたそうだ。地道に経験を積んでまた挑戦すると言っていた。
「ああ、そうか。少しはまともになったか」
師匠は眉間の皺を薄くしてぽそりと呟いた。いつになく優し気な、そう、何だか優しそうな声だった。
私は驚愕に目を見開いて固まってしまった。
「何だよ」
そんな私を見て、師匠がいつもの感情ののらない声で言った。
なんか悔しい!何で!私は師匠にそんな優し気に声をかけられたことないのに!!ええ?なんでえ?
二人がどういう関係なのか訊きたいのに勇気が出ず、私はその後、下らない学院生活の話で夕食を乗り切った。気が気じゃなかったが、変に踏み込んでさらに傷つくことを回避した。
片付けを終えて屋根裏に戻り、寝床の準備をする。部屋の隅には、地獄の特訓で縫った服が山になっていた。片付ける時間もなく、とりあえず置いておいた服たちだ。
どうにかせねばと思いひっくり返していると、荒い縫い目やミシンによる拠れが目に入る。たった一年のことなのに随分酷いものだなと、我ながら技術の未熟さに自然と笑みが零れた。
なんなら二年前までは服の構造も知らなかった。ただ無鉄砲に生きてきただけだった。
「ここで私も初心に返ってみようかな」
まだ初心に返るほど先に進んでいないと言われそうだけど、澄麗さんとゆっくり歩いてみるのもいいかもしれない。
今夜も暫くは眠れそうにない。
*
「聞いてよ!師匠ったら酷いんだよ!弟子の私より学科の琳先輩のこと気にかけてて…私にはあんな顔したことないのに…!」
「お、おう?荒れてるね?」
いつもの三人と澄麗さんが揃った第三談話室で、私は顔を覆って嘆いた。わくわく里帰りだったはずの年末年始のお休みは、もやもやしたものを私の心に残したのだった。
「達華の性格を考えたら、本人を目の前にして心配はしないだろう」
冷静な縹さんの分析も、今は慰めにならない。
「どういう関係なの?その二人は」
「恐くて訊けなかったの」
山蕗の素朴な質問はより私の心を抉る。それが訊けたらこんなに嘆いていない。
「萌稀ちゃんにも恐いこととかあるんだ」
「私のことをなんだと思ってるの」
意外と繊細な心を持った乙女なんだぞ。否、意外って何だ。意外ではない、全く。見た目の通り繊細である。
「萌稀さん、一緒にその師匠さんとやらを見返してやりましょうね」
優しい声で澄麗さんが声をかけてくれる。この人は何というか、創立記念祭後から人が変わったように図太くなった。私のせいかな。でもその後押しは有り難いです。絶対に見返す!
両手で顔を覆ったまま無言で頷くと、フフと笑いを零す澄麗さんの声が聞こえる。
「とりあえず打ち合わせを始めてもいいか」
縹さんは淡々と場を進行することにしたらしい。慰めてもらおうと思ったが、ここにいる男たちは何の役にも立たないことが分かったので諦めよう。
「始めましょう」
顔を上げてキリリと答えた。詩苑から小さく「えっ」という声が聞こえたが無視だ。さあ楽しい打ち合わせだ。切り替えは大事なのである。
「題材はこの間、萌稀が提案してくれた『泉、川、海、そして空』。これに合わせて澄麗に絵を描いてもらって、その物語に沿って山蕗が曲を作る。ここまではみんな異論はないな?」
一人ひとりと目を合わせて説明をする縹さんに、みんな頷く。
「澄麗の絵については未だ不安定な部分もあるから、このくらいの大きさで区切って、それを組み合わせて展開していく予定だ」
概略図を描いた紙を並べて説明は続く。舞台上の配置図とともに描かれる絵は、簡素ながら趣があって魅力的だ。縹さんには絵の才能もあるらしい。
「板か…若しくは枠組みに絵を引っ掛けておいて、その絵の中のモチーフが移動して、展開に合わせてこの枠組みごと転換して表現していく」
「なるほど」
「何にせよ絵次第なところがあるから、曲と演出を固めるのはある程度、絵が出来てからになるだろうな」
「頑張ります」
澄麗さんは事前に聞いていたのか、縹さんと目を合わせると気合十分といった表情で大きく頷いた。
初めての定期発表参加で重要な鍵を握る役割だが、重圧を感じずに自由に表現してもらえたらいいな。
「衣装はどうだ?」
微笑ましく二人を観察していたところに水を向けられて、いそいそとクロッキー帳を取り出した。師匠に裏切られたので詩苑を観察しつつ、いくつか意匠画を描いてきた。
「今回、歌は主役にならないので、衣装は出来るだけ単純なものにします。白シャツに黒か…ズボンも白でいいかな、風景に馴染む、風を表現して。生地もなるべく粗いもので。澄麗さんの画家としての再出発の意味もあるかと思うので、私もミシンを使わず手縫いしようかと」
隣に座っている詩苑と並ぶように、クロッキー帳を掲げ持って説明すると、澄麗さんが興味深そうに見てくれた。山蕗は頷いている。
「分かった」
「今回も突拍子もない衣装だったらどうしようかと思ってたけど、普通で良かった」
詩苑は安堵に溜め息を吐く。
「どんなのがくると思っていたの」
ムッとして問いかけると目を逸らされた。
「なんでもないよ」
そんな具合で打合せは順調にまとまり、それぞれが制作に取り掛かる。一か月半後の本番に向けて、新体制の縹組が動き出した。
次回5日(土)から本番まで毎日更新します。
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