63.全然関係ない
「もういっそ詩苑が背景になっちゃえばいいんじゃない?」
詩集から目を離さずに小指で髪を耳にかけた。
「え?」
「は?」
「っふふ」
今日も三者三様良い反応をありがとうございます。
視線を上げると詩苑は若干焦り気味に、縹さんは虚を突かれたように固まっている。山蕗は肩を震わせ、否、既に堪えきれずに声を出して笑っている。どこにツボがあったのだろうか。
「いつも主役なんだしたまには背景音楽になってみたら、新しい表現とか視点が見つかるかも…よ?」
なんとなく主旋律じゃない部分で苦戦する詩苑は、主役以外の役割が苦手なんだろうと思って言ってみただけなのに、三人が考えもしなかったというような反応を見せたことに、むしろ私は驚いた。
因みにご令嬢に囲まれる詩苑が脳裏を過ぎっているが、これは今回の発言には全くもって関係ない。
「ふふふふ…くくっ…」
山蕗は卓子に突っ伏して笑っている。相当ツボにハマっている。楽しそうで何より。
「やっと一つ人間らしい感情を覚えたのに…今度は背景って…ふふ…萌稀ちゃんって結構スパルタ…くくっ」
「詩苑の歌を背景に…か」
縹さんは私の言葉を反芻しながら、思考を巡らせているようだ。完全に予想外だったのだろうか、縹さんにしては反応が鈍い。視線が明後日の方向に飛び、そのまま帰ってこない。
「何か一つ、否、一つじゃなくていいかもしれないですけど、澄麗さんに大きめの作品を描いてもらって、その絵の動きに合わせて山蕗が曲を作って詩苑が歌うと。物語でも風景でも面白くなりそうじゃないですか?」
澄麗さんが心のままに生み出す作品が見てみたい、というのも本音だ。そして縹さんと山蕗はそれを正確に汲み取って、舞台表現に落とし込むだろう。
絵が主役になると詩苑の衣装もそんなに凝った物ではなくなるだろうが、その塩梅を探るのも私の役目なのだ。
背景に徹するのであれば、それこそ白いシャツだけでもいいかもしれない。その場合は以前に詩苑が教えてくれた、師匠による「詩苑にどのシャツが似合うか選手権」を勝ち抜いたシャツを、師匠に紹介してもらおう。
私は楽しくなってきたし、山蕗はずっと笑っているが、縹さんは考え込み、詩苑は捨てられた子犬のような顔をしている。
混沌と化したこの空間で、澄麗さんはおっとりと様子を窺っている。
「澄麗さんは、何か題材が決まっていた方が描きやすいですか?」
「ええ、そうね…何か指定してもらった方が描きやすい、かしら」
相変わらず紫戯の詩集を捲っていた私は、一つの作品に目を付けた。
「あ、これいいんじゃないですか?『泉、川、海、そして空』!詩の内容としては風景が移り変わるだけですけど、色々な解釈ができますし、澄麗さんの得意な空の絵が活かせそうで」
詩集を広げて皆に見せると、縹さんが漸く遠くから戻ってきた。
「ああ、それなら場面毎に描いてもらって、その中を何かが移動しているような演出ができそうだな」
「詩苑は背景音楽に徹しつつ、何か意味を込めてもらって」
「背景に徹しつつ意味を込める……?」
私の提案に、詩苑は初めて聞いた言語のような反応を見せている。「その他大勢」になったことがない人種だからだろう。
「私もその詩を見てもいいかしら」
「もちろんです」
澄麗さんに詩集を渡すと、横から縹さんも覗き込む。
「……本当にただの風景の詩なのね」
「描けそうか?」
「ええ」
寄り添う二人を見て、ついうっかり創立記念祭のことを思い出してしまった。
私はあんなこ汚い婚約者なんかより、よっぽどこの二人でいるところを見たい。一緒に詩集を見る澄麗さんと縹さんを、頬杖を付きながら眺めてしまう。
「背景の意味……?」
横で引き続き戸惑っている歌唱担当は、いったん放置で良い。曲が出来てから真剣に向き合ってくれ。
「頑張れ詩苑」
私があまりに無視するものだから、ついに山蕗が励ましてくれた。優しい友達がいて良かったねと、心の中で伝えておいた。
珍しく昼間に集まった縹組だが、このあとはそれぞれ授業があったりなどする。縹さんがいったん持ち帰って考えたいとのことで、次回の打合せ予定だけ決めてその場は解散となった。
そして談話室には山蕗と私だけが残った。
「はー笑った。萌稀ちゃんはいつも本当に面白いね」
「何がそんなにツボなの?」
目尻に涙を溜めながら暫く笑っていた山蕗が、やっとまともに話し出した。
「ああ見えて縹って、詩苑至上主義なんだよね」
「詩苑至上主義?」
これはまたけったいな趣向である。
「そう。基本的に詩苑の歌をどう活かすかを常に考えているから、まさか詩苑を脇役にしようなんて発想はそもそもないんだ。あと詩苑の気持ちが乗らないと良い表現が出てこないから、詩苑が好きな題材ばかり扱いたがる。聖歌を無理やりやらせなかったのがいい例だね」
「あー…そういうこと」
数か月前、前回の後期発表でやった「原初の聖歌」は始め、詩苑がそれはそれはめちゃくちゃ嫌がった。
山蕗と私でなんとか説得して演奏と相成ったわけだが、その件については縹さんからの援護は確かになかった。
「だから萌稀ちゃんがいると、三人だけだったら絶対に通らない道が選択肢に上がってきて本当に楽しいよ」
何だかんだ山蕗も、やりたくないことを無理に推し進めるような人ではない。「原初の聖歌」は音楽関係の学科に所属している学生であれば、通って然るべき題材だから、ひいては詩苑の歌をさらに向上させたいから、という理由でやらせたがっただけだ。
「楽しんでくれてるなら良かったよ」
詩苑が楽しいかは知らないけど。普段持ち上げられてばっかりなんだから、たまには舞台上でも目立たない役に徹してみたらいい。
全然、ご令嬢の件は関係ないんだからね。
*
お店の扉に取り付けられた呼び鈴を揺らしながら中に入ると、受付に座っていた師匠はこれでもかという程に怪訝そうな顔で迎えてくれた。
「ただいま戻りましたー!」
「何しに来た」
「年末なので里帰りですけど」
「ここはお前の里じゃねえだろ」
「まあ細かいことはいいじゃないですか。弟子の久しぶりの帰還ですよ」
「勝手に言ってろ」
創立記念祭が終わると、年越しのため学院には短い休暇が訪れる。貴族がそれぞれ王都にある別宅に帰省するのに合わせて、私も久しぶりに師匠の店に帰ってきた。
もちろん一番の目的は、「詩苑に一番似合う白シャツの件」を聞くためだ。そしてもう一つの目的は、師匠に学習の成果を見てもらうことなのである。
「師匠見てくださいほら!」
帰ってきて早々、荷物も置かずに被服科初めての課題である白衣を広げて見せた。
師匠は帳面に何かを書き付けながらこちらを一瞥し、また作業に戻る。
「ミシンガタガタ。三十点」
厳しいお言葉をいただきました!遠目に一瞬見ただけなのに何故バレてしまうのか。学院に入る前は何点だったのかという話は、今後一切禁止だぞ。
師匠に見てもらって満足したので、白衣はそそくさとしまってやった。お前にもう用は無い。
「さて師匠。弟子が帰ってきましたよ。何を手伝いますか?」
戯れが済んだところで、続いては寝床の確保だ。直ぐに学院に戻れと言われる可能性も無きにしも非ずなので、早いうちにやる気を見せておく必要がある。
「……何日いるつもりなんだよ」
「そうですね、五日くらいですかね」
「……チッ」
出ました舌打ち。乾いたいい音が店内に響き渡る。しかし今更そんなことで怯む私ではない。最早懐かしさすら覚えて自然と笑みが零れる。
「買い物行ってこい」
食材の買い出しが先でした。今日の夕飯係が私になるからには、張り切って行かせていただきましょう。




