60.創立記念祭
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外は冷え込みが厳しくなっても、中は燃え滾るように熱い。
「萌稀、これ持って下手行って!」
「はいい」
「それ終わったらこっち手伝って。手が足りない」
「今すぐ!」
舞台裏は嵐のような騒がしさだった。創立記念祭一日目における被服科の重要な催し、新作発表会の開始がいよいよ数時間後に迫っていた。
先輩方渾身の作品をモデルに着付けるだけでなく、髪型と化粧も自分たちで整える。
当日の会場は学院全体で順番に使用するため準備に時間が取れず、そこは最早、戦場と化していた。
当然、一番の下っ端である私と椹火だけでなく、つーちゃん先輩を含む学科の下級生は馬車馬の如く働かされている。
「ねえ誰か赤い糸持ってない?この際どこのでもいいから!」
「誰かのボタン落ちてるんだけど大丈夫?」
「あー!そこ踏まないで!」
罵声とも取れる会話が飛び交い目が回りそうだ。
表に出るのは華麗で美しい面だが、こちらも舞台芸術と同じく、泥臭い作業があってこそなんだと思わずにはいられない。
「萌稀、次こっち化粧直して」
「はい!」
宣言通り当日も琳先輩にこき使われている私は、いつの間にか化粧担当になっていた。
「あんた化粧上手いわね」
「お褒め頂き光栄です!」
「どこで学ぶのよ」
「ちょっと今集中しているので、話しかけないでください!」
他人に化粧を施すことに慣れているわけでもないのに、この慌ただしさである。うっかりで手を滑らせるなどあってはならない。
震える手をどうにか抑え込み慎重に色を乗せた。客は貴族。肥えている目を満足させるために、予め決めている色を使うだけではあるものの、もう既に頭は限界を超えそうだった。
先輩たちの渾身の作品はどれも素敵で、目移りしてしまうのを堪えるのも大変だった。
美しく着飾った姿を堪能したいのに、運営側であるが故にそんなことは許されない。半泣きで刷毛を握る。
「ちゃんと、ちゃんとドレス見たい…うぅ……」
「泣くんじゃないよ。ドレスは後で展示するんだから我慢しな」
つーちゃん先輩に窘められながら、どうにか手を動かす。本音はちゃんと人が着たところを見たいのだが、嗚咽とともに飲み込んだ。
さらに新作発表会が始まってからも、複数回にわたり衣装替えがある。
「次これ着て!」
「私の髪飾りどこやったか知らない!?」
発表会が終わるまで、ずっと舞台裏は慌ただしい。続々とモデルが舞台に上がり、戻っては着替えてまた出ていく。その間も衣装の微修正や化粧直しは続く。
そんな中、私がお手伝いした琳先輩の衣装を身に纏った比和先輩が出番を迎えた。いつもの眠たそうな瞳が妖艶さを演出し、いつも以上に不思議な雰囲気を醸し出すお人形さんのようだった。
主となる広間に簡易的に作られた舞台で、さぞ目を引くことだろう。ああ、出来れば特等席でその姿を観たかった。
琳先輩も比和先輩が縫ったドレスを着て舞台に立っているし、他の先輩もかっこいいやら可愛いやらで、いつもの課題でヒイヒイ言っている学科の人たちとは思えなかった。
私も何年か後には同じようにドレスを縫ったり舞台に上がったりするのだろうか。
発表会が終わったあとは急いで会場を片付け、荷物を教室に運び終わった頃の被服科は死屍累々としていた。
琳先輩は件の白波から合格点はもらえなかったようで、片付けが済んだあとは早々に姿を消していた。
人生は上手くいくことばかりではないが、少しでも望む未来に近づければいいのになと、疲れた頭でぼんやり思った。
*
日付が変わって創立記念祭二日目、被服科の新作発表会を乗り越えて本日は丸々自由時間が持てるらしく、早速私は絵画科の画廊へとやってきた。
発表会の片付けが終わったあと、先輩たちは被服科の教室でどんちゃん騒ぎをしていたらしいが、私は今日のために早めに切り上げてよく寝た。お陰で気合は十分である。
学院の校門入って正面の建物は、来客向けの施設がある。その建物の一階の画廊は、絵画科や彫刻科の常設展示空間になっている。そしてその一画に、創立記念祭用の企画展示がしてあるそうだ。
午後は舞台科の演劇を観に行くため、午前中は画廊に入り浸ってやろうかと思っている。何故かと言われれば今日、澄麗さんの婚約者様が来るらしいからだ。
それはそれとして、あれから予定通り琳先輩含む学科の先輩たちに順番にこき使われたがために、澄麗さんの練習がどう実を結んだのかも確認していない。どんな絵になったのか想像を膨らませながら足取り軽くやってきた。
「澄麗さん、こんにちは!」
画廊の入口、来場者の対応をするために座っていた澄麗さんに挨拶をすると、深まってきた寒さを吹き飛ばすような笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい、来てくれてありがとう」
「縹さんも椹火も後で来るって言ってましたよ」
「そうみたいね」
縹さんは午後の演劇のために少し準備をしてからこちらに顔を出す、椹火は先輩たちに押し付けられた力仕事を片付けてから顔を出す、とそれぞれ忙しく動いている。
受付で記名をすると、澄麗さんは隣に座っていた方に声をかけてから案内を買って出てくれた。
「萌稀さんのお陰で企画展示に作品を出すことが出来たわ。本当にありがとう」
「改めて考えてみても、余計なことばかり言った気がしますが…」
「そんなことないわ。一度無心になってから練習を始めたらね、何で絵を描いていたのか思い出すことができたの」
目を細めてにこやかにお話ししてくれる澄麗さんは、とても可愛らしい。本当にどうしてこの方が椹火の姉なのか、未だに理解ができない。
「そうしたらね、過去に描いた作品も生き生きし始めて。そう、これとか」
澄麗さんが指し示したのは「雨後の湖」と題名がつけられた、雨上がりの湖畔の風景画だった。遠ざかる雨雲の隙間から差す太陽の光が柔らかく広がり、湖面に反射する様子が美しい。ここで深呼吸をするだけで、湖の清涼な空気が感じられる。
「素敵…」
「二年くらい前に描いた絵なのだけれど、最近は少し曇りがちでね。雨も降っていたかしらね」
雨が降ってしまったら題名と齟齬が生まれてしまう。本来の絵の魅力が戻ってきて本当に良かった。
「肝心な企画展示の方は、『絵を描くことが楽しい』っていう気持ちで描いたの。集中力を途切れさせないために、まだ少し小さめのキャンバスだけれど」
澄麗さんが企画展示用に描いた絵はまな板程の大きさで、油絵としては小さい。
しかし「極彩色」の題材の通り、鮮やかな色で描かれた絵は、青空、白い雲、空より深い青の花で埋め尽くされた黄緑の丘、という構成を素朴に表現していた。一見子どもが描いた落書きのようにも感じられるが、細かな筆遣いや構図が見事である。
「青、好きなんですか?」
「ええ。空の青が好きなの。好きだと思った空を忘れたくなくて、絵を描くようになったのよ」
お互いに絵を見ながら静かに言葉を交わす。澄麗さんが描くのは風景画が多いが、特に空の色や雲の表現が多彩だった。その原点に触れられたようで、暖かい気持ちになった。
――その時だった。
「澄麗」
聞き慣れないざらついた声が、澄麗さんの名を呼んだ。一瞬、絵の中の木がざわりと揺れた気がした。




