4.金色の神秘
少年は暗い色の布を被り、オルガンに凭れている。素朴で目立たない衣装なのに…否、それが余計にその手回しオルガンの古びた意匠を際立てているように見える。
音が鳴った瞬間から佇む少年の周りの空気が変わり、一瞬にして会場中の視線を惹きつけた。
少年の演目は古い伝統的な詩を旋律にのせ、手回しオルガンとともに奏でるというものだった。
風は光を運び
やがて花は芽吹く
歌う大地
広がる調べ
祝いは花を染める
短い詩は、繰り返される度にオルガンの伴奏と少年の声と、そして被っていた布によって少しずつ色を変えた。美しい演奏と、角度や面によって様々な色で魅せる布だけで演出された、とても言葉では言い表せないほど神秘的な演目であった。
少年に操られる円形の布は特殊な加工がされているのか、角度によってうっすらと色が変わるし、部分的にビーズ刺繍やレースが施されていて光の加減によって美しく輝く。曲の雰囲気に合わせて見事に煌めきが演出されていた。
今までの発表とは打って変わって、演出まであまりに完成されすぎている舞台上に私は心を奪われてしまった。演奏の技術も、衣装の使い方も、何もかもが他と違っていたのだ。そして何より、夏の日の夜明けに湖を通り過ぎる風のような、爽やかな少年の歌声に完全に耳を奪われた。
演奏が終わり、少年が清々しい笑顔で丁寧に一礼すると、思わず私は立ち上がって拍手を送った。立った拍子にクロッキー帳を落としたが、そんなことより舞台から目を離すことができなかった。
感動に浸っていたのでよく覚えていないが、会場は全体的にスタンディングオベーションが巻き起こっていたようだ。
終演後、緞帳が降りても呆然と立ち尽くすばかりの私に師匠が声をかけた。
「気に入ったか」
「気に入ったなんてものじゃないですよ、なんですか…今の」
「まあそこそこやるよな」
「そこそこ!?」
絶対に「そこそこ」なんて評価で足りるものではない。絶対にだ。師匠にちゃんと目と耳がついているか確認するためにその顔を見上げると、言葉とは裏腹に随分と満足げだ。
「おし、行ってみるか」
「『行ってみる』?この後さらにどこか行くんですか?」
「ああ、良いところに連れて行ってやる」
そう言うと、師匠はニヤリと口の端を吊り上げた。
「ひ、ひえ…これは一体どういう……!?」
目の前の部屋にいるのは、黒髪を真ん中で流した切れ長一重の男性と、栗色の猫っ毛から覗くたれ目が印象的で小柄な少年、そして先ほど舞台上で圧倒的な歌を聴かせてくれた色素の薄い金髪の少年である。
近くで見る少年は橄欖石のような緑の瞳を輝かせ、ひどく整った中性的な顔立ちがまるで人形のようだった。有名な劇団でもこれほど整った見た目の俳優は見たことがない。
しかし舞台上の神秘的な雰囲気とは打って変わって、現在は親近感がある子どものような屈託のない顔で椅子に座っている。
「よう」
開け放たれた扉を軽く叩き、短く声をかけた師匠に三人が振り向き、口々に話し出した。
「お、達華!久しぶり」
「来てくれたのか」
「僕は初めまして、だね」
師匠は面倒くさそうに扉に寄りかかり、無言で片手を上げて返事をした。
そんな師匠に苦笑すると色素の薄い金髪の少年の視線が私に移る。
「君が例の『萌稀』ちゃんかな。ぜひ今日の感想を聞かせてよ」
なぜ私の名前を知っているのだろう。気づかぬうちに自己紹介をしたのかもしれないな…否、そんなことあるものか。師匠の差し金か?
目まぐるしく展開する状況に混乱している場合ではない。この人今、何て言いました?先ほど舞台上で凄まじいものを魅せてくれたこの人に、感想を伝えられるなんてことがあっていいものだろうか。掌が湿ってきた。
「直接感想を伝える栄誉に与れるのですか…?」
「栄誉って…そんなに畏まらずに率直な意見を教えてほしい」
思わず打ちひしがれる私に苦笑しながら、少年はそれでも気さくに話しかけてくれた。
「そ、それでは僭越ながら…あの、歌声が本当に素敵で、劇場に喜びが満ち溢れるというか、心地いい響きに圧倒されてしまって、短い詩の繰り返しでかつ単純な構成なのに展開があって景色が変わっていくような感じもあって。歌声だけでなく所作も美しくて、中性的な雰囲気がより神聖さを引き立てているというか…着ているものは質素なのに、被っていた布の輝きと相まって存在感が際立ったというか…」
「ああ、達華が残してくれた布、良い感じだよね」
私が息継ぎも少なく全力で褒め称えていると、「被っていた布」で思い当たったのか、少年が口を挟んできた。
「あの布は師匠の作品なんですか!?」
「ああ、まあ」
驚きのあまり勢いよく振り返る私に対して、師匠は何ともつまらなさそうな返事をした。
「なんで教えてくれなかったんですか?え?というより師匠はこの方たちとどういう関係なんですか?」
驚きに師匠の腕を両手で掴み、ガクガクと揺らして必死に訴える。やっぱり師匠の考える衣装は素晴らしい。派手じゃないのにとても印象に残る。
「あーうるせえうるせえ」
片耳に小指を突っ込んで、視線を逸らして適当な返事をされた。
「え、達華まさか何も言わずに連れてきたの?」
そんな師匠の様子を見て少年も目を見開いている。
「こいつが浮かれたら面倒だろうが」
「失礼な!どういう意味ですか!」
私と師匠のやり取りに笑みを零しながら、少年は立ち上がって私の前までやってきた。
「萌稀、改めまして、詩苑と言います。よろしくね。こっちの黒髪が舞台演出担当の縹で、こっちの栗毛が作曲担当の山蕗」
「どうも」
「よろしくね」
詩苑さんはそれぞれを指し示しながら紹介してくれた。師匠とは違って海よりも深い、心優しい気遣いである。しかし近くで見ると神々しいまでの顔面に目を灼かれそうになる。あまり近寄らないでほしい。……と、そんなことを考えている場合ではない。挨拶を返さねば。
「初めまして、弟子の萌稀です。よろしくお願いします」
うっかり飛び立ちつつあった思考を無理やり現実に押しとどめ、スカートを摘んで一礼した。
「俺と縹は達華がこの学院に在籍していた頃からの、まあなんだ、友達で、俺らの衣装を仕立ててくれたこともあるんだ」
「今回の衣装は無理やりぶんどったみたいなものだけどな」
おや?何やら聞き捨てならない情報が聞こえてきたぞ?
「待ってください、師匠……学校に通ってたんですか?」