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君を君たらしめる手作りの魔法  作者: 天海 七音
     二幕 心揺れ動く絵画
59/241

54.橙色の灯火

 *


 小さな灯りが等間隔に照らす薄暗い廊下を、頭の中を整理しながら歩く。どうやって話を切り出すか検討に検討を重ねたが、未だ良い案は浮かんでいない。

 それでもせめて距離が近づけばと思い、ゆっくりと扉を開いた。

「こんばんは…今日も来ちゃいました」

「あら、いらっしゃい」

 そろりと扉から中を覗くと、澄麗さんは快く私を受け入れてくれる。安心して近寄っていくと、依然として真っ白なままのキャンバスが目に入った。

「描くもの、決まらないんですか?」

「ええ…創立記念祭に出す絵を、描こうと思っているのだけど」

 出た、創立記念祭。結局のところ誰も教えてくれない創立記念祭!

「澄麗さん…私に創立記念祭が何か、教えてくださいませんか?」

 分かっている。この学院において創立記念祭とやらが、当たり前の行事であることは。なのでそんなにキョトンと目を丸くしないでいただきたい…!

「ええと、年末に学院の創立を記念して行われるお祭りで、二日間に渡って()し物をしたり、二日目は盛大に夜会を開いたりするのよ。特に芸術クラスは定期発表のように劇や演奏会をしたり、私の学科は画廊に作品を展示するのだけれど、被服科はドレスとか…夜会服の新作発表会をしているわ」

 戸惑いつつも、澄麗さんは人差し指を顎にあてて説明しながら、一つ椅子を用意してくれた。

「なるほど、それで(りん)先輩は新作を発表するために、後輩をこき使いたいということなのですね」

 その発表会のため、課題の隙間を縫って先輩たちは新たな作品に取り掛かっているということだ。

 漸く琳先輩が言っていたことが腑に落ちて一人で頷いた。椅子に腰かけつつ独り言を呟く私に、澄麗さんはくすりと微笑んだ。

「一年生は入学したばかりでなんとなく雰囲気を味わう程度だから、上級生が手伝わせるっていうのは比較的どこの学科でも聞く話ね。外のお客様も入れる行事だから、みんな力を入れて作品に取り組むのよ」

「澄麗さんも、その画廊に展示するための作品を描くところなんですね」

 精力的に次の作品に取り掛かるのかと思って喜色を示した私に対して、澄麗さんは表情を曇らせた。

 またこの反応だ。今度こそ慎重に話を聞かねば。私は気づかれないように、ごくりと唾を飲み込んだ。

「ええ。課題で描いたものもあるのだけど、企画の題材が決まっていて、それに合わせて一つは作品を描かないといけなくて」

「どんな題材なんですか?」

「今年は『極彩色』なの」

 真っ白なキャンバスに触れてそっと囁くように、澄麗さんは教えてくれた。眉尻を下げてキャンバスを見つめている表情は、やっぱりどこか苦しそうで言葉に詰まる。

「……描けないかもしれないわ」

「え……?」

 どう言葉をかけようかと息を止めたまま様子を窺っていると、先に口を開いたのは澄麗さんだった。

「私が不安定だと、色が濁ってしまうから…」

 その震える弱音に、私は心臓がきゅっと掴まれたような感覚になった。

 縹さんが言うには、澄麗さんの絵には次のような特性がある。

 描いているときに考えていること、感じていることに影響を受ける。そして完成したあとそれに関わる事象について澄麗さんの感情が揺れると、呼応して絵が変わってしまう。

 同じような症例と対策法がないか一縷の望みをかけて学院に入ったが、その当ては外れ、現状では周りから有効な助言も得られていない。

 さらに厄介なことに椹火が言うには、澄麗さんには婚約者がおり、その人は澄麗さんが絵を描くこと、特に油彩画を描くことについて良く思っておらず、結婚したあとはやめてほしいとまで言っていると。

 決められた結婚の相手はご実家の取引先で、断る理由もないそうだ。

 今まではそれでも好きなように絵を描いていたはずなのに、学院に入ってから、否、正式に婚約を結んでから思うように絵が描けなくなったらしい。

 だから、今の澄麗さんは絵を描くだけでそのことが頭を過ぎり、不安定な作品になってしまう。

 物心がつく前から共に歩んできた大好きな絵を、将来の伴侶から否定されるのはどれほど辛いことだろうか。

 二人の話と澄麗さんの様子から釈然としない気持ちをどうにかしたくて、私は意を決して言葉を紡いだ。

「あの…少し事情は縹さんから聞きました。あと、椹火にも」

 俯いたまま少しだけ目を瞠る澄麗さんの手を握った。私より体温が低いその手は、しっとりしていて柔らかい。

「私と、絵を描く練習をしませんか?」

「絵を描く、練習…?」

「完成された絵は、描いているときに考えていたことに影響されると聞きました。そうだとしたら、絵を描くときに楽しいこととか、好きなことだけ考えたらいいと思うんです!良くないことを考えそうになったら、いったん筆を置いて気分転換をするとか!」

 私の勢いに呆気に取られて目を丸くする澄麗さんに、尚も言葉を重ねる。

「そうして、なるべく完成品が影響されなくなるように練習をして、もし創立記念祭の作品を仕上げることができたら、私たちとのこと、また考えていただけませんか?」

 掬いあげた澄麗さんの手を、両手で再度ギュッと握り直して、真っ直ぐにその瞳を見つめた。大きく開かれた銀灰の瞳は、灯りを反射して薄橙に煌めいた。

「ええと…」

「あの…余計なお世話かもしれないんですけど、でも、どうしても、私は澄麗さんの絵を諦められなくて。なんか本当に、すみません勝手なことばかり…よければ、考えてみてください!では」

 煮え切らない澄麗さんの態度に居ても立っても居られずに、それだけ言い残して返事も聞かずに足早に教室を立ち去った。


 *


 澄麗さんが「絵を描けない」などと、あんまりにあんまりなことを言うものだから、結局言いたいことだけ一方的に伝えてしまった。

 言った後で自分の暴走に気づいて我に返り、返事も聞かず逃げるようにその場を後にしてしまった。

 昔から直情型なのを咎められることが多かったが、この性格はどうしたら直すことができるのだろうか。後悔も反省もしている。

 これ以上うじうじしているのを見せられたら、椹火と話したとき同様に心配が怒りに変わってしまうかもしれないと思った私は、大人しく自分の課題に力を注ぐことにした。

 結果、完成した白衣の出来をつーちゃん先輩に確認してもらってから、遊梨ちゃんに提出しようという段階にまでなった。

 トルソーに着せた私と椹火の白衣を見ながら、つーちゃん先輩は手元の資料に何かを書き込んでいる。

 そんなつーちゃん先輩の様子をぼーっと観察していると、急に背後からその人が現れた。

「ふうん、まあまあな仕上がりじゃない」

「うわあ琳先輩、何処から現れたんですか」

 慌てて振り向くと、こげ茶の髪を掻き上げて仁王立ちした琳先輩がいる。無駄に偉そうだが、その仕草には色気があって少しときめいた。

「ちゃんと扉から入ってるわよ失礼ね。ちょっと貸してみなさい」

「え」


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