46.噂の
背後を振り向き改めて凝視したその人は、美しく指通りの良さそうな銀髪を私より長く伸ばしており、どこから見ても気品に溢れている。良く澄んだ夏の青空のような瞳は、真っすぐに私を見下ろしていた。
そう、乾杯のご発声をしていた、自治会長である。まだここにいたのか。
「何のことやら」
あれだけ女学生に絡まれていた人だ。迂闊に関わらない方がいいに決まっている。入学式のあとに詩苑と二人でいたことを考えるとそちら側の関係者なわけで、面倒なことになりそうで仕方がないのだ。
そんな理由で取り敢えず惚けてみたが、相手は私の適当な返しに誤魔化されてはくれなかった。
「私も後期発表を観させてもらったよ。まさか詩苑にあんな格好をさせるなんて、本当に君には驚かされた」
「はは…お褒めに与り光栄です」
衣装について褒められても、それを素直に喜べる心境ではない。創作意欲をかきたてられる芸術関係の知り合いが増えるのは大歓迎であるが、貴族の知り合いを増やすつもりはさらさらないのだ。
繰り返すがご令嬢に囲まれるような男性は、関わらないに越したことはない。詩苑だけでお腹いっぱいである。
そもそも私のことをどこで知ったのだろうか。定期発表関連で学院を訪れていても関わるのは、詩苑たち三人の他は縹さんの後輩である舞台科の数名程度だ。
それに、自分自身が特段目立つような容姿をしている覚えもない。
対応に困りなんとなく椹火を見れば、「お前が?」と言いたげに口を歪めて睨んでくる。
「今後も楽しみにしている。あいつのお守りは大変だろうが、どうか見捨てないでやってくれ」
そう言って小粋に片目を瞑ると、手に持っていたグラスを掲げて颯爽と立ち去った。
何やら大層なことを仰せつかった気がする。そもそも詩苑とはどういう関係の人なんだろうか。
歳が近い貴族同士、幼い頃から交流があることは不思議ではないが、詩苑の兄的な存在とかそういうことだろうか。これは後程じっくり詩苑に問い質さねばなるまい。
居心地の悪さを感じつつ、手元にあった果実水に口をつけると隣からぼそっと声がした。
「お前があの衣装作ったんかよ」
椹火に視線を移すと、先ほどと同じく睨んでくる。
「あの衣装って?」
訊くまでもなく、話の流れから後期発表のことで間違いない。
しかしみんな揃って何かと勘違いしている可能性も、なくはないと思う。悪あがきでこちらも惚けてみた。
「後期発表の原初の聖歌」
間違いなかった。もうこれは間違いない。後期発表が予想外に学院中で話題になってしまった可能性を考えると、頭痛がしてくる。
反響があるのはいいことであるが、もし後ろ向きな評判が歩いているのだとしたら、私は学院で刺される危険性を考慮した方が良かったりするのだろうか。
「ねえそろそろ帰らない?もうお腹いっぱいだし」
何やら周りの新入生の視線を俄に感じる気がして、さっさとこの場を辞する作戦に出た。
「前期は?」
んん?後期だけかと思ったら、この子前期も観てるのね。必死に表情を笑顔で固めて目を逸らした。
「お土産にお菓子くれるらしいよ」
「前の年の後期」
ここで否定しておかないと、師匠の作品まで私の仕事にされてしまいそうだ。それは流石に、申し訳ないを通り越して烏滸がましい。
「あれは私の師匠の作品」
小声で事実を絞りだした私の言葉に、椹火はふーんと鼻を鳴らした。
*
「ねえ、椹火君。お願いだよ」
「……」
講堂から被服科の教室に移動しながら、私は一生懸命お願いをしている。
一年生はクラス関係なく、特待生向けに礼儀作法の授業もある。平民と貴族が共同生活をするこの学院において、将来どのような関わりが生まれても良いようにと、必修科目になっているのだ。
そんな必修科目に微塵の興味も湧かない私は授業中、課題の白衣の意匠を考えていた。
「私はどうしてもこの形を作りたいのよ、頼むよ〜」
かわいい裾の形を思いついたは良いものの、実現出来なければ意味がない。そこで私はこの型取り大得意男こと、椹火に協力を求めている。
「何で俺がお前のために型紙を考えなきゃならねえんだよ」
「同期の好みでしょ」
「俺になんの得がある」
「……練習になる!」
「練習が必要なのはお前だろうが。自分で考えろ」
分かってはいたが本当にすげなく断られた。しかしちょっと断られたからといって諦める私ではない。
「協力してくれたっていいじゃん!」
「だったら先輩を口説き落とせよ」
「私だってそう思ったんだよ!口説こうと思ったんだけど!」
『私、展開図を考えるのとか型紙とか、苦手』
「……って目逸らされたんだからしょうがないじゃん!」
つーちゃん先輩はどうやら私と同じく展開図を考えるのが苦手なようで、そちらの教えを乞うたときには全力で逃げられた。なんなら部屋に閉じこもって出てこなかった。天岩戸を開けるには、私では力不足だったのだ。
「じゃあもう諦めろよ」
「諦めちゃったら課題の意味がないでしょう!昨日の自分を超えていかないと」
「……」
そんなこんなやり取りをしつつ、理想の白衣を作製すべく、座学の授業以外は被服科の教室に入り浸る日々を送っている。
*
「よう」
被服科第一課題である白衣を制作し始めて二週間。時たま上級生にちょっかいをかけられつつ、教室の隅っこで椹火と言い合いながら仮縫いをしていたときのこと。
何かから隠れるように、金髪の男が被服科の教室に滑り込んできた。物音に振り返ると私の席の背後で、廊下側の壁に凭れ、廊下の様子を窺いながらしゃがみ込んでいる。
「こんなところで何してるの?」
ぎょっとして小声で叫んだ。大声を出さなかった自分の判断力を褒めたい。
入学式以来に見たその姿は、やはり中のシャツは制服ではなかったが、相も変わらず輝きを放ち、近くで見ると目を灼かれそうになる。定期発表後に出待ちが湧くのも納得である。
入寮してからというもの、噂には聞いていたので存在は把握していたし、入学式でも遠目に見かけたが、実際に会話をするのは初めてのことだった。
私自身、新しい生活に慣れようとつーちゃん先輩にくっついてまわっていたために、他学科に顔を出す余裕もなかったし、学院は敷地が広ければ学生も多い。芸術クラスは食堂などが共用であるものの、出会おうと思わなければ出会えないものなんだと思っていた。そしてその状況に少し、安心もしていた。
「ちょっと逃げ場を探してて。後期発表のあとから大変なんだ」
入学式での、ご令嬢の肉食獣のような視線が頭を過ぎった。
「もしかして、ずっと追いかけ回されてるの?」
「まあな。教室を移動する度に足止めくらって、おちおち萌稀に挨拶すらできない」
厳しい目で廊下を注視する、その姿勢の良い薄い金髪の男は、紛れもなく詩苑だった。
教室を移動する度に話しかけられ足止めされたら、私に会うどうこうの前に、まともに授業を受けられないのでは?
思いの外大変なことになっている詩苑に同情しつつ、後期発表をやりすぎたかな、と少しだけ反省した。
この状況は詩苑の顔、身体の造形と身分による面倒事ではあるものの、後期発表で顔に手を加えた結果が面倒くささを助長させているんだとしたらと思うと、ほんの少しだけ責任を感じた。
「と、いうわけでやっと会えた。入学おめでとう。元気そうで何より」
下から上目遣いで緩めた表情は、周りにご令嬢どもがいたら倒れていてもおかしくない。見てはいけないものな気がして、反射的に私は目を閉じた。




