43.第三の天国
つーちゃん先輩について教室がある棟から外に出たところで、不自然な人だかりが目に入った。
ご令嬢が団子のように固まって、何やらきゃいきゃいと黄色い声をあげている。真新しい制服を見るに、恐らくほとんどが一年生だ。暇な学科もあったものだ。
「何だあれ」
椹火が鬱陶しそうに吐き捨てた。
中心にいる人物はどうやら、騎士クラスの首席として話していた学生だ。背が高く、サラサラの銀髪は遠くからでもよく目立つ。
詩苑のように美しい顔立ちだが、より精悍で男らしさも感じる。
「自治会長は人気だから。周りも婚約者がいるのによくやるよね」
つーちゃん先輩は人だかりを一瞥して溜め息を吐いた。年頃の貴族子息だというのなら婚約者くらい居るだろう。どうせ政略なんだろうし、なんの勝ち目があると思ってのことなのか、私にも謎だ。
通り過ぎざまに人だかりの声が聞こえる。
「詩苑様のお話もとても励みになります!」
「詩苑様のお陰で学生生活が楽しくなりそうですわ」
覚えのある名前に耳を澄ませる。詩苑様のお陰で、ねえ。皆様が言う詩苑様とやらは大層立派なお方らしい。神か何かなのだろうか。きっと私の知る「詩苑」とは別人に違いない。
そういえば色々なことを考えていたばっかりに、詩苑の話を真面目に聞いていなかった。芸術クラスの首席として何を話していたのだろうか。
「それは良かったですね」
ここ一年で聞き慣れた中低音は日頃の爽やかさなど微塵も感じさせずに、ほぼ抑揚なく返事をしていた。
聞き慣れた声の、けれど聞いたこともない冷ややかな声色に目をやれば、自治会長の向こう側、こちらからは隠れるような位置で何の感情もなくご令嬢方を見返す詩苑がいた。初めて見るその眼差しに思わず心臓が跳ねる。
『こいつが荒れてた頃を実際に目にしてないお嬢さん方、かな』
後期発表のあと、楽屋で縹さんが言っていたことを思い出す。荒れていた頃は人を射殺しそうな目だったとは山蕗の談であるが、あれよりももっと、鋭い目つきだったのだろうか。
そして新入生の彼女たちも当時の詩苑を知らないのだろう。わざわざ近づいた割には、今誰か「ひっ」って声出したぞ。
しかしそんな詩苑を見た私が抱く感想はといえば、やっぱり負の感情を前面に出す表現を舞台上で観たい、それに尽きるのであった。
つーちゃん先輩に連れられて着いた場所は、恐らく寮の裏手ほどの位置になると思う。古そうな見た目の、この敷地内では小ぶりな方の建物だった。
歴史のある建物が多いこの学院でもそれなりに古そうに見えるのは、壁に蔦が這い、ひび割れた壁を補修していないからだろう。備品庫の名に恥じない、人が近寄らなさそうな建物だ。
「こんなところにこんな施設が…どこを通ってきたかいまいち分かっていないんですけど、学院広すぎますね」
「まあ初めのうちは大体の人が迷子になるね」
さらっと恐ろしいことをつーちゃん先輩は言う。
大小合わせて何十にもなる建物が立ち並ぶ、この街のような敷地内で迷子になったら助けてくれる人はいるのだろうか。
「つーちゃん先輩は?」
「寮と教室の往復くらい出来たわ」
いつもしっかりしているつーちゃん先輩の、入学当時を知ることができるかと思って興味本位で訊ねたら、うっかり矛先を変えられてしまった。
「私だって出来ますよ!どうせ同じ方向に行くなら、一緒の方が楽しいと思っただけで!!」
実は今朝、寮を出る時間がそれほど変わらないことを知り、劇場に向かうのに途中までご一緒してもらったのだ。もちろん理由はつーちゃん先輩と仲良くしたいからである。
因みに明日以降も教室に一緒に行こうとお誘いしているところだ。先輩が一緒だととても安心できる。
さて備品庫とやらの中は、外ほどの古めかしさはなくきちんと手入れがされているようだ。少し埃臭いのは仕方がない。
つーちゃん先輩は階段を昇り、三階の部屋の扉に鍵を挿した。重そうな扉が軋みながら開く。
そして手前の壁に手を翳して魔力を流し灯りを点けると、中には教室よりはるかに多い素材がぎっちりと詰められているのが見えた。
「おおー!宝の山!」
「おお…」
黒猫男改め椹火と二人、その素材の量と種類に浮き足立ち、キョロキョロと部屋の中を見回した。
初めて見る異国の染め物や、輝く糸に繊細なレース、毛糸にボタン、リボン、刺繍枠、巻き尺、棒針、果ては何に使うかよく分からない部品…。素材だけでなく道具も瓶や籠に詰められ積み上げられている。
この規模は裁縫道具の問屋と言っても過言ではない。これが「王立」の財力か。
「三つ目の天国見つけた…」
「表現が気持ち悪いわ」
「なんでよ。椹火だってこの空間は心踊るでしょう」
「………」
どうやら図星らしく、何かを堪えるように口を一文字に結んでいる。素直じゃない男だ。
「勝手に持ち出すんじゃないよ」
「はあい」
つーちゃん先輩は扉近くの棚から冊子を取り出しながらこちらに目を光らせる。
「ここに在庫の一覧があるから、持ち出すときと仕舞うときは書く。今日は白衣の生地とこれと…」
つーちゃん先輩は一覧の冊子と見比べながら、少し背伸びをして箱から二種類の生地を引っ張り出した。薄暗い灯りの中で黒っぽく見える布と白っぽく見える布は、どことなく今着ている制服のジャケットと似通った配色だ。
「何するんですか?」
「戻ったら説明するからこれ持つ」
「うはい」
そして引っ張り出したばかりのそれを、ひょいと私に手渡した。触ってみると生地が中々しっかりしている。
「はいあんたはこれ」
「おっも…何入ってんすかこれ」
「戻ったら説明する」
椹火が腕に乗せられたのは、作りの良さそうな二つの木箱だ。椹火の身長をもってしても前がやっと見えるくらいの高さになっている。
「よし、出るときは必ず灯りを消すこと。貴重な素材が仕舞ってあるから施錠も忘れないように」
備品庫から戻り、教室の一番前、出入口に近い作業台に椹火と二人。その前に立つ、つーちゃん先輩は私たちの先生になった。「教育係」とは新入生の面倒を見る係なのだそうだ。
「うちの学科は先生が二人しかいないから慢性的に人手不足なのよ。だから基本中の基本である一年生の始めの課題は、二年生の教育係が針と糸の使い方から教えるの」
「つーちゃん先輩が教えてくれるんですか!」
私が目を輝かせて見つめると、反対につーちゃん先輩は虫の死骸でも見るような顔をする。
「って言ってもあんたたちは大体分かってるんでしょ」
「まあ大体は」
私も椹火も入学試験ではお題の服を仕上げて合格している。意匠や装飾で個性を出した私とは対照的に、椹火は簡素ながらも形に拘って丁寧に仕立てた。
私は師匠に扱かれて技術を磨いたが、椹火はどこで誰に教わったのだろうか。つーちゃん先輩の話が終わったあとで訊いてみよう。
「さて、なんとなく気づいてるかもしれないけど、被服科はみんな白衣を着てる。うちで一番始めの課題がこの白衣制作よ」
つーちゃん先輩が資料を見ながら説明をする。
先輩たちの服装が個性的な理由はこれだった。学院七不思議が集まる前にあっさりと解決してしまった。
自分で縫った初めての課題を制服代わりにしてしまうなんて、中々尖った課題ではなかろうか。




