39.出待ち
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片付け中、一人で脱げないと駄々を捏ねた詩苑の着替えを手伝っていると、後輩さんに舞台の片付けを指示していたはずの縹さんが入ってきた。
「詩苑、それと萌稀もか。お前らしばらくここ出るなよ」
「何かあった?」
服を着ている途中の詩苑が、カーテンを薄ら開けて顔を出した。上半身が肌色な気がするが、まあズボンは履いているから良しとしよう。
詩苑に顔を向けないように脱いだ衣装を畳みながら、縹さんの話に耳を傾ける。
「珍しく人が多いと思ったら、ついにお前が定期発表に出ていることがバレたらしい」
「今まで気づかれなかったことの方が不思議だけどね」
着替えを早々に終えて荷物をまとめていた山蕗も、いつもより少しだけ目を見開いて縹さんを見た。
後ろで深い深い溜め息が聞こえたのでチラッと振り返ると、片手とおでこを壁に押し付けている詩苑がいた。
詩苑が定期発表に出ていると不味いことがあるのだろうか。学院に申請して、試験にもなるこの行事に参加しているからには、悪いことではないはずである。それともスカートを穿いたのは、やはり大きな問題だったのだろうか。
「見たくても見られない場合もあるだろう」
「なら尚更どんな強者が現れたのさ」
「今日のは、こいつが荒れてた頃を実際に目にしてないお嬢さん方、かな」
「ああ、なるほど」
何やら納得している山蕗に対して、詩苑はついにしゃがみこんで顔を両手で覆った。
「荒れてた?詩苑何かしたの?」
「俺は真面目に生きているだけだ……」
話が見えないので縹さんと山蕗に向き直ると、待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
「ほら、そちらのお坊ちゃまは見た目も家柄もいいじゃない?」
「詳しくは知らないけどそうだろうなとは」
今までの会話やらからなんとなく察している程度なので曖昧に頷く。
「あれ?萌稀ちゃん知らないんだっけ。その子、公爵家の次男なんだ」
驚いて勢いよく詩苑を振り返ると、壁と同化するように隅に蹲っている。
それなりに高貴な方だとは思っていた。山蕗は子爵家と言っていたしそれより上なら伯爵家くらいかな、なんて簡単に考えていた。正直それ以上の家柄になると、私のようなこの国で大した身分も持たぬ者は、もっと傲慢で尊大な態度を取られることが多い。
ふと今までの詩苑とのやり取りを思い出す。衣装係に誘われて、買い出しに無理やりついてこられたり、聖歌は嫌だと駄々を捏ねたり、それなりにそれなりの態度だったかもしれない。
しかしまあなんだ、公爵家か。公爵家である。この国の公爵家といえば王家の血縁とかそういう、由緒正しい偉いお家であったと記憶している。
この国の四大公爵家、次男、強い魔力で騎士クラス首席……ああなるほど、彼がグラディウスの二番目の坊ちゃんか。これまでの情報をかき集めた結果、思い当たる家がある。恐らく伝説上の聖剣の使い手として選ばれたとかなんとか云われる人なのだろう。
今までの詩苑とのいろいろを思い出すことを諦め、少し詩苑から距離を取った。
「やめて距離置かないで」
弱々しい声が壁に同化した塊から聞こえてくる。ちょっと涙声なので久しぶりに感動系の戯曲でも観たいなと、一瞬思考が逸れた。
「そうなるとこれ以上の良物件はないわけで」
「なるほど」
貴族が多く通うこの学院は、婚約者がいない人たちにとって都合の良い婚姻先を見つけるための場であると師匠が言っていた。
話の流れを汲むと詩苑には婚約者がいないらしい。それならばより良い婚約者を探すご令嬢に言い寄られることは、日常茶飯事だろう。
「今まではご令嬢が煩わしくて、定期発表に出ることは公にしていなかったとか?」
「どちらかというと、敢えて言ってなかったって方が正しいかな。好き好んで玄人でもない学生の作品を観に来る暇人は、そうそういないわけで。そもそもこの定期発表は卒業試験のためだから、まさか入って一年、二年の詩苑が出てるとは思わないでしょう」
「ただ、毎回発表内容が浮いていたのと、才能ある音楽家やらを囲いたい貴族が観に来ていたのとで、噂は出回っていたらしい」
山蕗の言葉を継いで縹さんが言った。
舞台上に立つだけで劇場内の空気を支配し、心臓を鷲掴みにするように惹きつけられる歌声と表現は到底、一学生が奏でているとは思えぬ発表である。それに加えて声楽を習う人たちと詩苑の発声は、少し違うものだった。
私が師匠に連れられて初めて発表を観た日も、明らかに浮いていた。最後に発表した詩苑に、その日の印象を全て塗り替えられたくらいには。正直それ以外のことはほとんど覚えていない。
そんな異彩を放つ詩苑が、むしろ今まで注目もされず何もなかったことの方が不思議なくらいだった。
では何故、今までは何もなかったのか、縹さんと山蕗の会話を振り返る。
「荒れていたというのは?」
「騎士クラスにいたときね、荒れてたらしいよ」
ふふ、と堪えきれずに山蕗が笑う。
「魔力が強くて剣術でも適う者がいない、そんな規格外の高位貴族が、人を射殺しそうな目をしてたら誰も近寄れないだろう?」
再び壁と一体化している塊に視線を投げる。確かにその美しい顔面で睨まれたら、育ちの良いご令嬢なぞ気絶してしまうかもしれない。美しさとは時に凶器になる。そんな女優を舞台で観たことがあった。
「僕がちゃんと知り合った頃には縹のお陰で落ち着いていたから、その詩苑は噂でしか聞いたことなかったけど、『近寄ったら殺される』くらいの話にはなってたよね」
「……」
塊は完全に沈黙を貫いている。自覚はあったらしい。
「だから今までは婚約者の座を狙おうなんて、勇気のある令嬢はいなかったみたいだが」
「実際にその頃の詩苑を見たことがなければ、今の詩苑ならもしかして、を夢見るのかもしれないね。なんせこの顔だし」
そんな凶悪な存在だったのかこの人。流石は騎士クラスの首席だ。むしろ縹さんと出会って何が起きたのだろうか。
「縹さんは一体、詩苑に何をしたんですか……?」
「何も?歌が好きなのか訊いただけだ」
そう言う縹さんは、目を閉じて穏やかに微笑んだ。
「二人の馴れ初めって……」
その表情があまりにも、世界で一番大事な宝物を慈しむようで、二人のただならぬ関係を深読みしかけた。しかしまさかと思って途中で言葉を止めた。見てはいけないものを見てしまった気分だ。
「それは僕も気になる」
「それは追々な。まあなんだ、そういうわけで今、外は出待ちで大変なことになっている。片付けの邪魔になるから、先生たちにも協力してもらって撒いているところだ」
「出待ち…」
詩苑が一年生だったときの前期公演は知らないにしても、少なくとも私が知る三回の発表の中では、今回が一番詩苑の原型を留めていなかったと思うのだが、やはりあの見た目はそうそう存在するものではないのだろうな。隠しきれるものでもないか。
「人気者も過ぎると大変だね」
「本当に何で今更」
やっと声を発した塊は顔を上げぬまま、のそのそと着替えを再開した。
その日、私たちが楽屋から出られたのは日が暮れたあとだった。
詩苑の無駄に高い身分が学院の馬車を動かしてくれたようで、私はなんとか師匠の家に帰った、らしい。
昨日は朝早くからありがとうございました!!
今日で毎日チャレンジ終了です!
次回更新は土曜日です。




