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君を君たらしめる手作りの魔法  作者: 天海 七音
     七幕 君が祈ること
41/241

38.後期発表「原初の聖歌」

おはようございます。

夜が明けます。

 

 ――これより誘うは世界の始まり。この地を統べる、女神の時代。


 真っ暗闇の舞台に、一つ明かりが灯る。下手(しもて)に佇む詩苑はヴェールで顔を隠し、上手(かみて)を向いて発光している。前奏が始まったと同時に掌に息を吹きかけると、舞台は暗転する。

 次に詩苑が発光したときにはヴェールが上がり、この世のものとは思えぬ美しさを携えたかんばせに、観客は目を奪われる。息を吐く音なき音も、数が揃えば舞台袖まで届くほどの波になる。

 詩苑に集まる視線に、私は拳を硬く握った。これが見たかった。この観客の驚きの視線を、一気に集めるこの光景が。

 その美貌で十分に観客を驚かせた直後、歌が始まる。始めの一声で、聴覚までもが一人の男によって支配された。その声音はありとあらゆる邪念を吸い込み、浄化する。


  闇夜を裂く

  ひとすじ

  湖面に舞い降りる

  薄紅のうてな

  匂いたつ清廉

  紡がれる言霊

  暁にひらく


 春風に薄荷油を一滴足らしたような、心地よさの中に目の覚める刺激を孕んだ唯一無二の響きは、高音を突き抜ける。

 人々の理解が追いつく前にその世界に引き込んでしまう力は、一種の麻薬のようだと思った。一度魅入ってしまえばもう二度と、誰も詩苑から目を離せないだろう。その姿に幸せを希い、瞬きすら惜しい。

 歌に合わせて詩苑が一歩ずつ進む度に、一瞬だけスポットライトが当たったかのように光る。暗闇の中に光が差し、その姿が目に刻まれた頃消える。そしてまた姿を現す。緩やかな明滅は姿勢を変える詩苑を順番に現し、何枚もの絵画を次々に浮かび上がらせているように見せる。

 それはまるで神話の世界の壁画のように、神聖な空気を放った。

 瞳に聖女を写した観客たちは皆、揃って息を呑む。

 水に浮かんだ蕾は詩苑が通り過ぎると花開き、舞台上を美しく彩っていく。

 この世界は女神の吐息から始まった。吐息は風となり大地を駆け巡り、眠るものに須らく生を与える。

 舞台上の蕾が開き切ると、中央で手を組んだ詩苑は膝を折り、祈りを捧げる。

 顔を上げた瞬間、観客に持たせた花が前方の席から順番に開く。

 舞台上と同じ色彩豊かな花々は、劇場内を美しい空間へと染め上げた。劇場全体が観客席まで淡く光り、まるで天国にでも召されたかのような幻想世界だ。

 美しい歌声と、温かなピアノ、目に鮮やかな花に、心地よい魔力。

 間違いなく女神の御使いがここに降臨した。人々の心を救う、女神の代理人。

 心做しか詩苑の歌声が、いつもより優しい気がする。詩苑の目には、どんな風に観客席が映っているのだろう。

 最後の一節に差し掛かったところ、速度を落としてからのフェルマータ、その声が掠れた。練習では聞いたことのないその声に、詩苑の表情を確認すると穏やかな表情のまま、その頬に一筋の光が見えた。

 最後の最後、高くも深いその発声に全てが詰まっている気がした。確かに、そこに込められた「祈り」が心を震わせる。

 単調でつまらないだけだった聖歌は、詩苑の心にどう変化を与えたのだろう。

 舞台袖で観るしかできない私は、早く詩苑と話がしたくて堪らなくなった。


 しかし発表後に私たちがやるべきは、鳴り止まぬ歓声と拍手の中、その余韻に浸る間もなく舞台上の花を片付けることだった。

 舞台裏はいつだって泥臭い作業が付き物である。縹さんが集めた、精鋭部隊という名の雑用係に任命された後輩さんたちとともに、花を浮かべていた器を楽屋へ運び込む。花はもったいないので、劇場入口で配布してしまうらしい。

 余談だが客席の花もお持ち帰りしてもらうよう、司会の人に連絡をお願いした。

 片付けに向かない格好の詩苑は、すれ違いざまやたらすっきりとした表情で、丈の長い衣装を引きずりつつ満足気に楽屋に戻っていった。

 その表情が見られれば私も満足だった。あれは間違いなく、何かを得た顔だ。


【雑な用語補足】

フェルマータ:程よくのばす(ためみたいなやつ)

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