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君を君たらしめる手作りの魔法  作者: 天海 七音
     六幕 欲望と工夫
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33.声域

(毎日チャレンジ二日目)

 *


「試験お疲れ様。どうだった?」

「おかげさまで、持てるものは全て出せたと思います!」

「それは結果が楽しみだな」 

 入学試験を終えたあと、結果が出る前に後期発表の打合せのために学院を訪れた。入学試験からは数日しか経っていないので感慨も何もないが、やはり普段と入試当日の様子の違いは同じ場所とは思えなかった。見えている景色は同じでも、そこに集う人たちの意識や生活様式が異なるからだろうか。

 さて今日の私はいつも通り校門から詩苑さんに案内され、練習場にいる。山蕗さんの編曲が固まり、詩苑さんの歌練習が始まったとのことで、演出と衣装を考えるのには詩苑さんの歌を聴いた方が早いらしく、早速足を運んだ次第である。

 詩苑さんの衣装制作は苦しみを乗り越えたあとのご褒美だ。辛かった日々から解放されてそれはもう、ウキウキだ。

「縹さんのおかげで苦手分野も概ね解けたはずです!本当にありがとうございました」

「それは何よりだ」

 縹さんにも何よりもまず報告とお礼をした。深々と下げた頭を戻すと、やんわり微笑んだ縹さんと目が合った。初対面のときは冷たい印象があったけど、なんだかんだ面倒見がいい人なんだろう。

「今日は後期の発表のために、気合いを入れて衣装を考えます!」

「よろしくな」

 そんなわけで入口近くに置かれた椅子に座って、まずは詩苑さんの歌を聴かせてもらうべく、受け取った楽譜を開いた。

 軽く柔軟やら発声練習やらを終えた詩苑さんが、練習場の真ん中に立つ。詩苑さんの練習に立ち会った回数は片手で数えるほどしかないが、今日はなんだかしきりに息を吐いている気がする。十秒以上かけて吸い込んで、十秒以上かけて吐き出して、少し動きを止めてまた吸い込んで。初めて詩苑さんから緊張のようなものを感じた。

 そういえばここに来る道中も、口数が少なかったような。曲について訊いてみたが、やはり「聴いた方が早い」としか返ってこなかった。その代わりにとても低い音の鼻歌が聞こえてきた。機嫌が良いとも悪いともつかない声色に、突っ込むべきか悩んでやめておいた。

「じゃあ始めるか」

 縹さんの声かけで詩苑さんは背筋を伸ばして顎を引き、山蕗さんの手が鍵盤に置かれる。詩苑さんが目を合わせると山蕗さんは鼻から息を吸い込み、ピアノが音を奏で始めた。山蕗さんの演奏は今日も優しい。空間を丸ごと包み込むような暖かさが、聖歌に良く似合う。

 山蕗さんの前奏に合わせて、詩苑さんが大きく息を吸い込む。私は渡された楽譜に目を落とし、歌い始めの音と詩を確認して耳を済ませた。

 次の瞬間、脳が人の声を認識したと同時に、私は勢いよく顔を上げた。自分の耳が信じられなかったからだ。

 ――目の前で歌っているのは詩苑さんなのに、聞こえている声は間違いなく女性のものなのだ。

 今自分が置かれている状況を正しく把握出来ず、口を開けたまま固まった。私が今理解出来るのは、視界の端で縹さんが悪い笑みを浮かべていることと、山蕗さんの肩が震えていること、でもちゃんと演奏が続いていることのみである。一瞬、入試対策の影響による幻聴かと思ったが、縹さんと山蕗さんの様子で現実なんだと分かった。

 詩苑さんの口から発せられる声は、繊細に、しかし伸びやかに、高音を突き抜ける。

 そういえば今回は「高音域の練習」で聖歌をやることになったと、始めの打合せで言っていた気がすることを漸く思い出した。しかし男声の高音域にも、限度はあるのではないだろうか。

 自分が予想出来ることから大きく外れた事態に直面すると、頭が全く働かなくなることを突きつけられた。衝撃が大きすぎて楽譜に書いてあることも理解出来なくなった。

 一体これは何なのだろうか。

 この日ほど語彙力というものを失ったのは、後にも先にもないと思う。そのくらいの衝撃だった。初めて詩苑さんの歌を聴いたあの日にも劣らない。

 慎重に歌い終えた詩苑さんはゆっくりと目を閉じ、その場にしゃがみ込んだ。

()ピアノ(よわく)だって言ったろ。もう少し細く入れないのか」

「無茶言うな。これでも細くなった方だろ。誰この曲やろうって言ったの!」

「お前が音域広げたいって言い出したんだろう」

「でも限度ってものがあるよね!これ男声音域じゃないから!」

 あっという間に振り返りが始まった。まだ理解が追いつかない私は、今回も置いてけぼりを食らっている。

「いやあ、これが聞きたかったんだよ。いいね。でも響き硬すぎ」

「どいつもこいつも!」

 山蕗さんが椅子の背もたれに寄りかかり、天井を見つめながらやはり悪い笑みを浮かべている。しかしきっちり改善点を挙げているところは流石である。あの高音域での響きの硬さなど、そもそも耳が追いついていない私には分からない。

 どう考えてもこの人は声帯を複数持っているとしか思えないが、じっと喉元を見つめても喉仏は一つしか見当たらない。そりゃそうか。じゃあなんだっていうんだ。

「また萌稀ちゃん面白い顔してるんだけど」

 山蕗さんはまだ呆ける私を見て笑っている。

「なんか言いたげだけど、訊いた方がいいかな」

 詩苑さんは私の顔を見て苦笑いを浮かべている。私今どんな顔してるんだろう。

「えっと…とりあえず、今の声って詩苑さんなんですか…?」

「間違いなく詩苑さんです」

 なんとかして頭の整理をつけようと私が質問すると、詩苑さんは真顔で大きく頷いた。なんだか納得できなくて、私だけ理解していない状況に腹が立ってくる。

「詩苑さんって性別男ですよね」

「ちょっと下は見せられないけど男です」

 見せなくていいです。あとなんでちょっと照れながら視線を逸らすんだろう。誰も頼んでないから。

 それでもやっぱり信じられなくて、私は無い知恵を絞って可能性を考えてみた。

「部屋のどこかに影武者が潜んでいるとか?」

「いるわけないでしょう」

「喉に別人格が棲みついてるとか」

「伝説上の生き物でも聞いたことないよ」

「じゃあ……」

「否もういい、混乱してるのは分かった」

 必死に考えたのに詩苑さんに止められた。納得いかない。

「面白かったろう」

 縹さんもなぜかしたり顔で自慢してきた。面白いで片付けてしまっていいものだろうか。

「ちょっと理解が追いついていないです」

「だろうな」

 頭上の疑問符がしまえないまま一旦、楽譜を見る。うん、確かに歌唱部はト音記号の譜面になっている。

 ……でも通常テノール譜ってト音記号で書かれるじゃん!その場合はト音記号の下に「8」の字がぶら下がっているけど!でもそんなの普段気にしないじゃん!このト音記号の下に「8」がぶら下がってないなんて!だとしてもあんな声が出ると思わないじゃん!喉から出てきたの確実に女声だったじゃん!

 三人が振り返りをしている間、頭を抱えて心の中で思いつく限りの悪態をついてみた。ちょっと衣装を考えるどころの騒ぎではなくなっていた。なんとか思考を動かさねば。

音楽的な話は基本、合唱の知識で書いています(小声)

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