31.脳内の妄想なので許されたし
聞こえた声のする方を見れば、明らかに不満そうな顔で、同じ作業台の向かい側に座る男がいた。周りに他に人がいないので、恐らく私に話しかけているのだと思われるが、微塵も目が合わない。
男は師匠に負けず劣らず上背があるけれど、癖の強い黒髪はどことなく猫のような雰囲気を醸し出している。人に懐かない猫ってこんな感じなんだろう。
「そういうあなたは随分余裕がないのね」
微笑みながらそう返せば、僅かに鼻を鳴らして顔を逸らされた。フードのついた楽な服装を見るに、恐らく幾分か年下だろう。とにかく反抗したがりの子どものような嫌味は、相手にせず受け流すのが一番。机に頬杖をついて、脚を組んで座っている姿はまさしく猫。そのうち手の甲を舐めて、毛づくろいでも始めるのではなかろうか。
じっと見ているとまた文句を言われそうなので、教室内の観察を再開しつつ試験開始時間を待っていると、徐々に人が増えてきた。
教室には大体十人くらい集まっただろうか。受験生はみんな同じ年頃か、少し下に見える。十五歳前後での入学が一般的らしいのでそんなものなのだろう。
隣の作業台には無心で刺繍を刺している女の子がいる。なんとなく緊張を誤魔化しているんだろうと思った。分かるぞ、その気持ち。
集合時間を過ぎた頃、前扉から白衣を着て用箋挟を小脇に抱えた、試験監督らしき人が入ってきた。赤みの強い明るい茶髪は緩やかに波打っている。襟足は肩につくくらい長く伸びているせいか、性別がよくわからない。ある程度身長があるところを見ると男性だと思われるが、両耳のピアスも首元のチョーカーも白衣の下の衣服も彩度の高い色使いで、簡単に表現すると「派手」であることが、性別がよくわからない理由の一つだろう。
流石の被服科というべきか、個性的な見た目に少しだけワクワクした。装いは人を表すと云うし、この人はどんな発想で服を仕立てるのだろう。想像しただけで涎が垂れそう。危ない。
「みなさんお揃いかしら?」
うん、言葉遣いは女性的だけれど、声は思ったより低そうである。まあ要はそういうことだろう。
「今から試験の説明をしまーす。よく聞いておきなさいね」
用箋挟を開いて黒板に文字を書きつつ、試験監督は説明を始める。内容は事前に師匠から聞いていた通りだ。制限時間六時間の中で、これから出されるお題にそった衣装を仕立てる。使用できる布は机上にある白い生地のみ。それ以外の素材は今運ばれて教壇の前に並べられたものが使用できる。ミシンとアイロンは席に設置されているものを使用する。その他の道具類は持ち込み可。よしよし、ミシン以外の準備はばっちり。
机を挟んで向かいの黒猫少年も既知の内容だったのか、相変わらず頬杖を付きながらあくびをしている。人のことを余裕呼ばわりした割には、お主も随分余裕そうじゃのう。
「それでは早速始めましょうか。今年の課題はこれでーす!『お忍び貴族の街遊び風ワンピース』」
白衣の試験監督は、子気味良くチョークで黒板を叩いていく。ただのお題発表が何だかとても楽しそう。
それはさておき、なんだその課題。「お忍び貴族の街遊び風ワンピース」?ある程度の身分のお方がお街で遊ぶときのようなワンピース……?なんかもっとこう、かっちりした感じのお題だと思っていたのだけれど。「街遊び」ということは、お買い物にしろデートにしろ対象は若い女性よね。
そして考え始めた直後に、私は頭を抱えた。
これはまずいわ。なにがまずいって、意匠を考えるとき、物語がない限りは誰か実在する人を思い浮かべた方がやりやすいんだけど、今私の周りに丁度いい年齢の女性っていないのよね。お店のお客様はどちらかというとマダムのような年齢か、若しくはお子ちゃま。
師匠の店に文句があるわけでは、当然ないのだけれど、あの店の客層はちょっと上すぎた。流行を気にしないで我が道を歩む師匠のせいである。もちろん私も流行より自分の趣味を優先させる質だ。欲望には正直に生きたい。
困ったな、誰を想像したらいいの。こういうときに自分の交友関係の狭さを思い知る。若い女性…最近会った若者…私の生活では基本的にお客様以外だと師匠にしか会わないし、あとは…あの三人か。
狭い交友関係の中から、つい最近仕事を引き受けた、無駄に見た目が整った男性たちの顔を思い浮かべる。
縹さんはもちろん、目つきが鋭すぎてトルソーにすらなり得ない。山蕗さんは小柄でふわふわしていて、花で飾ったりするととても素敵だと思う。捨てがたい。でもなんか、そういうことを考えたらいけない気がする。これは野生の勘である。
そうなると……やっぱり。最近関わった中で、一番中性的で美しい顔をしているのが悪いのよ。
そう決心してそっと拳を握る。
――詩苑さんを脳内で女性に変換してくれるわ!まつ毛だって長いしきっといける。頑張れ私の妄想力!
脳内の詩苑さんがまつ毛は関係ないだろうって言っている気がする。年頃の女性にとってまつ毛の長さは、腰の細さと同じくらい重要なことと言っても過言ではないのよ。否、過言だったかもしれない。価値観は人による。ってそんなことはどうでもいいのよ。
初めて詩苑さんの発表を観たあの日、あの場で籠ったのは短い時間だったけど、師匠の店に帰ってからというもの発表を反芻しては思いつくことを描き続け、クロッキー帳を埋めつくしたくらいには着せたいものがいっぱいある。
たまたまスカートを履かせてみたかったから、とかでは決してない。信じてほしい。誰に脳内を晒すわけでもないけど、なんとなく弁明したくなるのはどうしてだろうか。
と、思い立ったはいいものの、女性に変換するって案外難しい。詩苑さんの目元がキリッとしてるせいだろうか。ああ、涼やかな視線がこちらを見つめている。
ちょっと脳内の詩苑さんに話しかけてみようか。瞳を潤ませて伏し目がちになってみない?あ、いいわねその調子。ちょっと頬を染めてみましょうか。目元に赤みが足されると美人度が増すわね。ついでに唇にも紅を挿してみましょう。うんうん、いけそう。
髪は直毛だから、腰あたりまで伸ばしてもきっとサラサラ。スラリと伸びる手足は透けそうなほど白くて、出るところは出ているはず……。身体の線が出るようなスッキリした型のワンピースを身につけてほしいけど、如何せん型紙を考えるのが難しい。というかまだ覚えていない。
現実のトルソーに布を巻き付けながら、脳内で美女化した詩苑さんを観察する。
考えれば考えるほど美しすぎて、一周回っていっそ腹がたってきた。本当の女である私より美しいって何事だ。脳内の詩苑さんが急に妖艶に微笑み始めた。すいません、見つめられると緊張しちゃうので、ちょっと一回目を瞑ってください。
さて方向性が固まったら、おふざけはこのあたりにして真剣に衣装を考えねば。今日は時間との戦いだ。正装ではないということは、ある程度どんな形でも許されるものだ。その代わり流行が重要になってくるのかもしれないが、そんなの知ったこっちゃない。私は私の好きな道を行く。
街歩きであれば裾が多少短くてもおかしくないだろう。スカートの丸い裾を丸く切って縫うより、四角く真っすぐ縫ってしまえば時短になるし、遊びのある意匠になると師匠に教えてもらったのだ。今こそこの技を使うべき。腰にドレープを寄せて左右も非対称にしてしまえば、多少の縫製の粗さも目立たなくなるだろう。
使える素材が限られているというのも、なかなか考えるのが楽しい。どうせ美女に着せるワンピースなら、布でお花とか作っちゃおうか。
ドレープを仮止めしつつ、アイディアをまとめていく。大体固まってきたところで念のため型を取ろうと紙に手をかけたところで、ふと目の前の黒猫少年が目に入った。




