28.ときめきが畳み掛けてくる
そうして一通り飾り付けられた私は、またもやマダムに連れられて現在に至る。展開が急すぎてやはり状況は飲み込めていない。
ただこの場所には、マダムのご厚意による更なるときめきが待っているのだろうということだけは、なんとなく理解した。
「とっても、喜んでくれているのかしら?」
ふふふと、マダムが扇で口元を隠しながら微笑みかけてくれる。
「あ、あの……え?どうしよう……なんで?何でですか?」
混乱を極めた私は何を考えて何をマダムに伝えるべきか分からず、意味のないことを口走る。自覚はあるがどうしようもない。誰かに助けを求めようにも、ここにはマダムとそのお付きの人しかいない。
挙動不審になりながらキョロキョロしていると、マダムがそっと手を引いて中に案内をしてくれた。想像していただけの憧れの建物に足を踏み入れるなど、膝が笑っても仕方がない。
「今日は萌稀ちゃんのために席を取ったのよ」
「わ、わたしのために……?」
あ、ちょっと待って、泣きそう。慌てて籠から手巾を取り出す。
「達華からね、もうすぐ萌稀ちゃんが学校に入るって聞いて、居てもたってもいられなくなっちゃって……」
目を細めるマダムに、私は目を瞠った。
「いつの間に師匠はそんな話を」
私が入試対策で苦しんでいる間に、マダムと楽しくお喋りしていたなんて許せない。…違う、そうじゃない、私に黙ってマダムにそのことを話していたなんて。落ちたら恥ずかしいから、受かったときに話そうかと思っていたのに。
「学校に入ったら中々会えなくなっちゃうっていうじゃない?だったらせめて学校に入る前に、萌稀ちゃんと観劇がしたいと思ったの」
「いやいやいや、気が早いですよマダム!まだ受かってもいないので」
家族のように接してくれて、私の話を楽しそうに聞いてくれるマダムに会えなくなってしまうのは私も寂しいけれど、マダムもそう思ってくれていることが嬉しくて、胸の真ん中がじわりと熱くなる。
でもこれで試験に落ちたら今まで通りの生活なのですよ。合格祝いとかなら分かりますが。
「達華が萌稀ちゃんならきっと受かるって言ってたわよ」
マダムの言葉に私は再び目を瞠った。
「師匠、私にはそんなこと一つも言ってくれないのに」
師匠が私の実力を認めてくれるようなことを言ったなんて信じられない。せっかくきれいにお化粧をしてもらったのに、目から零れ落ちるものを堪えることができないではないか。
そんなこと言われては、余計に頑張らないと落ちたときに師匠に恥をかかせてしまう。つまりはただ単に圧をかけられているだけなのかもしれない…そう思ってなんとか冷静さを取り戻そうと試みる。
喜んでいいやら怒っていいやらで、どんな表情になっていることか。今日は感情が忙しい。
「達華は照れ屋さんだからね」
「そんな可愛らしいものじゃないですよう」
優雅に微笑むマダムには、師匠ですら孫と同じようなものなのだろう。私たち二人まとめて兄妹とでも思っているのかもしれない。あんな兄要らないです。
ふと、遠い記憶の、窓の外の景色を思い出す。外の世界はいつだって、眩しかった。ガラス一枚を隔てた向こう側、恋焦がれた景色。
師匠に拾ってもらってからというもの、本当に人に恵まれていると思う。何のために生きていたのか分からなかったあの頃と比べると雲泥の差がある。それまで周りにいたのが悪人だったわけじゃないけれど。
一生懸命やった先に悦びがあってこそ、人は生きられるというものだ。それなくして生を全うするだなんて以ての外。私には到底考えられない。
繋がった縁で生きる価値を得られている今がなんと尊いものであるか、心に染み入ってしまった。いろんなことを考えてしまうのは、試験対策の疲れが溜まっている証拠だろう。感情が昂ると泣いてしまっていけない。
洟をすすりながら連れられた席は、下手側の後ろの方だった。
「あまりいい席を取れなくてごめんなさいね」
「ここに居られることが幸せなので、十分有難いです。本当にありがとうございます」
席について落ち着いて周りを見渡すと、薄暗い照明の中、少しの騒めきとともに観客の後頭部が並んでいるのが見える。
久しぶりの観劇に、緊張と期待で心が震えた。学院の定期発表を除くと、観劇自体が師匠と出会ったあの日以来だし、玄人のちゃんとした公演を観劇するのは一体何年ぶりのことだろうか。
何度足を運んでも慣れることはない、劇場特有の小さな音でも反響する空間、高い天井、質量を持って垂れ下がる緞帳、広い面積に等間隔に並ぶ背もたれ、そこから覗く人々の後ろ姿、これから始まる演目に対する高揚感。
マダムに手掛けられた格好と劇場というまさに非日常の空間に、私の心臓は一段階加速したまま動き続けている。
落ち着くために持ってきたクロッキー帳を広げ、内装のスケッチを始めることにする。舞台に対して左右に広い空間は、どちらかというと演劇寄りの造りなのだろう。客席は三階建てで両側に貴賓席が設けられている。貴賓席の装飾は繊細な彫刻になっていて、もっと近くで見たくなる。
「絵も上手って達華から聞いていたけど、本当に上手ね」
クロッキー帳を覗き込んでマダムが目を丸くしている。師匠のお店で受付をしているときに、意匠のアイディアを描き留めているところを目撃されているけれど、衣服以外の絵を見せたのは初めてだったようだ。
それにしても師匠は一体何人に私の情報をどれだけ流しているのだろうか。マダムだからこそだろうか。
「劇場を見るのも好きなんです」
来たからには全て楽しみつくして帰らねばと意気込む私を、優しく見守ってくれるマダムに少し気恥ずかしさを覚えて、スケッチに夢中になりすぎないよう話しかけることにした。
「そういえば今日はどんな演目なんですか?」
何も知らされずに連れてこられた私は、当然これから何が始まるのか聞いていない。何でも楽しめるので、幕が上がれば内容はあまり関係ないのだが。
「女神様と妖精を題材にした歌劇だそうよ。最近流行りの戯曲なんですって」
「女神の話を題材にした戯曲は多くありますけど、妖精が出てくるのは珍しいですね」
「それが可愛らしく描かれていて、貴婦人に人気なんだとか」
このアルブメリ王国を含む大陸五国では、人口の殆どが世界を創造したという女神を信仰しているため、世界の始まりを表した神話やそれを信仰する修道女の話などが一般的によく知られていて、児童書なんかでも見かける。
そこに妖精という空想上の生き物が出てくることにより、より華やかで幻想的な世界観になるだろうことが予想された。これは衣装観察のしがいがあるやつだな。
広がる脳内の妄想に、口元の緩みを隠しきれない。
続きがたまってきたので今月は週2で、土曜日も更新してみようと思います。
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