27.空色と星空のドレス
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山蕗先生との教会巡りによって、何とか詩苑さんに聖歌を歌わせる方向で発表が固まったので、私はまた入試対策の日々に戻った。山蕗さんの編曲が終わった頃にまた呼んでもらえるらしい。司祭である撫胡さんのお仕着せも観察させてもらえたし、良い発表になりそうだと期待が高まる。
発表の準備が順調に行くと入試に向けても気合が入るというもので、昨日も師匠からの課題を遅くまで、むしろ朝早くまでこなしていた。入試までひと月を切ると寝る間も惜しんでしまう。
「ふわぁ……」
朝食を片付けてお店である一階に降りると、師匠は既に仕事を始めていた。
「おい、店に下りてきた途端にあくびしてんじゃねえ」
「いくらなんでも私だって疲れますぅ……」
連日の入試対策という名の特訓のせいで寝不足が続き、流石に疲労が溜まってきていた。作業場の床で寝落ちする回数も増え、まともな睡眠をとっている気もしない。
しかしながら特訓の成果は顕著で、今までの比でないほどに技術が身についているのも実感している。それ故に、店の手伝いの幅が広がり充実した日々を過ごしていた。
今日の仕事は昨日の裾上げの続きだったかと、未だ覚醒しない頭で考えながら店の外に掛かっている看板をひっくり返し中に戻ると、師匠に青一色の光沢のある生地を渡された。
「おら仕事だぞ」
「綺麗な空色ですね」
春の空を切り取ったかのように爽やかな青は、真っ青と水色の中間で、吸い込まれそうに美しく一瞬で目が覚めた。綺麗な布は見るだけでわくわくしてくる。
「依頼主のご要望で外出用のドレスにするんだが、好きに刺繍していいぞ」
次いで渡された師匠の意匠画は相変わらず、線が少ないのに整っていて惚れ惚れする。
「なんでもいいんですか?」
「ああ」
フリルやレースの使い方を見る限りでは、師匠のお客様にしては年齢層が若め。ところどころ、シフォンやオーガンジーを使って肌や下の生地を透かしたいらしく、どことなく空の妖精のような意匠だと思った。
「綺麗な空色なので、空をイメージして雲をモチーフにしたいですね!白と……銀糸も使いたいな……」
青緑の糸で鳥を飛ばして、どこかに太陽も入れておこうか、光り輝く様子を図案化できないかな、ビーズを使って太陽の輝きを表現してもいいかも。
ささっと図案をまとめてしまおうと、受け取った生地を広げて気づいた。
「し、師匠……これひょっとして、仮縫いすらまだのやつですか……?」
「そうだが?」
布から完成が想像できない私になんという試練!「当たり前だろ」みたいな顔で言われても!!
いつもであれば、仮縫いか、もしくは縫製が終わった段階で回される仕事である。
「俺はこっちから手が離せないが、それにも納期があんだよ。いいからやれ」
そんなこと言われても無責任なところに刺繍できないです無理無理、なんか高そうな生地だし、という思いを込めて師匠の方をじっと見つめて訴える。
私の困惑、というか恐れを感じてか、師匠は作業の手を止めずに浅く溜め息を吐いた。
「流石にあたりは引いてある」
良かった。本当に良かった。ここから型とって一から仕立てろって言われたら、恐怖で吐くところだった。流石に師匠のお客様に迷惑をかけるわけにはいかない。なんか高そうな生地だし。
師匠が縫い代線と仕上がり線を引いてくれているのであれば、それを頼りに刺繍を刺すのみ。気持ちを切り替えて早速取り掛かる。
まあでもそれぞれの線の解読は必要なんですけどね。頭痛い。
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空色のドレスが仕上がった頃、店に訪れたのはマダムだった。今日は深い群青色の生地に、銀糸で星のような刺繍があしらわれたドレスをお召しになっている。一見若者向けの意匠に思えるが、ドレス自体のシルエットが落ち着いていてとてもよく似合っている。
「まあ素敵!流石あなたたちね!想像以上だわ」
件のドレスを師匠から受け取ったマダムは、その美しさにうっとりと見惚れている。
分かりますマダム、師匠の仕上げも完璧ですし、生地の重なりが妖精さんみたいで可愛いですよね。
自分が刺繍に関わっているので口に出すのは憚られたが、ついうっかり口元が緩んでしまう。
「依頼主ってマダムだったんですか?」
とっても可愛らしく仕立てちゃってますけど大丈夫ですか、という意味をこめてこっそり師匠に耳打ちすると、無言で頷かれた。
マダムには息子さんしかいないはずだし、その息子さんも今は一緒に住んでいないらしい。その代わりに私を娘のように可愛がってくれているのだ。
まさかマダムが着るわけでもないだろうし、ドレスを贈るような若い女性が知り合いにいるのだろうか。過去のマダムとの会話を思い出しつつ首を傾げていると、パッと顔を上げたマダムは満面の笑みで師匠に話しかけた。
「じゃあ達華、約束通り今日は萌稀ちゃん借りるわね」
「へ?」
「持ってけ持ってけ」
マダムは今日私を借りに来たんですか?私を借りるとは?師匠、私は何も聞いておりませんが?
説明を求めて師匠に視線を送るもまったくの無視である。それどころか無表情でドレス代の勘定をしている。今そんな場合か!?売上は大事なんですけれども。
「あ、あの……?」
師匠に助けを求めても無駄なことが分かったので、マダムに恐る恐る声をかけてみる。
「全部こちらで用意しているから何も持たなくて大丈夫よ。あ、でもいつも通り、描くものはあった方がいいわね」
……何の話だかまったく分からない。マダムすみません私、前提が欠片も分かっていないんですけれどもご存知です?とは言えず、オロオロしながらマダムと師匠を交互に見る。
「ささ、準備ができたら行きましょう」
さあ早く持つもの持って、と意気込むマダムの言う通りクロッキー帳とペンを持ち、籠に詰めた。
状況を飲み込めない私の心は置き去りに、しかし身体はしっかりとマダムに手を引かれ、私は師匠の店を出た。
「こ、ここは………!」
先程までの日常とはかけ離れた様子に、私は呆然と立ち尽くす。
私の目の前には、真新しい石造りの豪奢な装飾の建物がそびえ立っている。王都に新しく出来た劇場だ。師匠のお客様から噂はかねがね聞いている。
これがあの、王子だか何だかが力を入れて設計させたとかいう、最新の技術がふんだんに使われた例の劇場である。最近、私が舞台芸術が好きだと言うと、お店に来たご夫人達がこぞって情報をくれていた劇場だ。それを初めて目の前にした。数年前から建設が始まり、つい二か月程前に落成し、こけら落とし公演はそれはそれは素晴らしかったとか。
ど、どうしよう、初めて見る美しい建物を前に、動悸が激しくて上手く呼吸ができない。両手で口を覆い、浅い呼吸を繰り返す。
師匠の店を出たあと私はマダムの屋敷に招かれ、なんと先ほどマダムが受け取ったばかりの空色のドレスを着せられた。さらに化粧を施された上に、耳飾りや首飾りなどの装飾品まで身につけられてしまったのであった。
道理で師匠が好きに刺繍をさせてくれたわけだ。私が着るのであれば私が好きなように刺すのが一番良い。否、私が好きに刺したところで誰にも迷惑はかからないし、自分の仕事も減って尚良いといったところだろうか。ところで師匠に採寸された記憶が一切ないのだが、ドレスがぴったりなのは何故なのだろうか。
さらに驚いたことには、装飾品一式は刺繍の図案に合わせたかのように、空や雲がモチーフになったもので揃えられていた。どこから刺繍図案が漏れたことやら。
ついでに今日のマダムの星空のようなドレスと、私の空色のドレスが対になっている。マダムの美的感覚が私のツボを押さえすぎていてときめきが止まらない。




