1.住み込みアルバイトと師匠
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私は王都の隅にあるしがない仕立て屋の住み込みアルバイトである。店番をしながら、師匠の技を盗むべく仕立ての手伝いをしている。
「お前いい加減、その壊れかけの機械を後生大事に使うのどうにかしろよ」
師匠は私の手元を見ながら顔を顰めた。
お店を開ける前の短い時間も、弟子として技術を磨くために練習に励むのが日課だ。つい最近ミシンを触らせてもらえるようになった私は、布を縫い合わせるべく足踏み式ミシンの踏み板を足で押し込んだ。ゴンゴンと音を立てながら針が動く。
「今時そんな前時代の機械を使ってるやつなんかいないだろうが。いい加減手動の機械を置いてる方が珍しいってーの」
「ははーん、師匠が流行り廃りを気にするなんて珍しいですね!でも残念ながらこれは手動じゃなくて、足踏みだからええと…足動?でしたー!」
「黙れクソアルバイト」
「あいたっ」
口答えをしたら脳天に師匠の手刀が直撃した。涙目で頭を抱える。
「しょうがないじゃないですか…魔力で動かす機械は私には難しいんですよ」
「修行が足りないだけだろう」
師匠は嘲笑いながら温情の欠片もない言葉を吐き捨てた。その後ろ姿を眺めて鼻の頭に皺を寄せる。
私だって分かっているのだ。魔力によって動かす機械の方が便利であるということくらいは。
しかし漸くミシンの使い方に慣れてきたという程度の私の技術では、その他のことに気を取られている余裕はない。どうせ魔動式ミシンが上手に使えたところで師匠の技術には遠く及ばないのである。
作りたいものだけはどんどん溢れ出てくるのに、それを形にすることの何と難しいことか。刺繍だけは得意なのになあ。
「ごたごた言ってねえでおい萌稀、そろそろ畑に水やりしてこい」
まったく人使いの荒い師匠である。大した補佐もできない私は、いつもこのように雑用を頼まれるのであった。でも仕方がない、畑とは師匠が大事に育てている繊維のもとになる、麻などを植えている大事なところだ。
「はあい!」
私は元気よく返事をし、こちらに一瞥もくれないで作りかけの上着と格闘し始めた師匠をちらっと見てから裏口を出た。
あれはどこぞの商人に依頼された、「安価だけどそれなりに見える衣装」だろう。採寸を手伝ったときに「そんなケチなこと言ってるから儲からないんだぞ」と皮肉の一つでも言いたくなったが、師匠はありとあらゆる発想でもって価格と要望を調整してみせた。
どういう脳みそをしているのか一度中を覗いてみたいものだ。年齢だって五つくらいしか変わらないと思うのだけれど。
師匠のことを考えつつ、畑を前にしてじょうろを手に取った。
「上着と格闘している今ならちょっと横着してもいいかな」
じょうろに手をかざし、中身の水に集中する。そのままかざした手を畑に向けると、じょうろの水が空中を移動し、雨のように畑に降り注いだ。
畑の前面に水を降らせる間にぼーっと畑を観察する。建物の裏手に植えられた畑の植物たちは、木製の柵に囲まれ、きちんと整列している。
「師匠の性格がでているわ…」
師匠は左右非対称の前髪で(右側は生え際が見えそうなくらい短く、左側はもみあげが隠れるくらい長く伸ばしている)、左の耳には五つのピアスをし、目つきの悪さは折り紙付き、加えて言葉遣いがとにかく粗雑という、一見すると完全に輩と間違えそうな印象を受ける人だ。
なのにその実、丁寧に採寸し、正確な線を引き、皺の一つも許さず、手際よくさまざまな服を仕立てる生粋の職人だった。初めて会ったあの日、見た目に負けず、勇気を出して話しかけた自分を褒めてやりたい。
「おい今、悪口言ったか」
急に背後から聞こえたどすのきいた声に、私は「水やり」の手を止めて勢いよく振り向いた。
「ほ、褒めていたに決まっているじゃないですか」
口元を引き攣らせながら答える私を睨みつつ、師匠は作業に戻っていった。
なんて地獄耳なんだ。持っていたじょうろを落としそうになるので、驚かすのはやめてほしい。ついでに見られたくないものもある。危ないところだった。
わざわざ作業の途中に私のことを見に来たわけでもないだろう。作業場から畑までは廊下を挟んだだけの距離であるが、少なくとも扉は閉まっていたはずだ。何しに来たんだろう。
疑問を抱きつつ畑の水やりを終え、室内に戻るといつものお客様がいた。
「あら萌稀ちゃん、こんにちは」
背の低い白髪交じりの女性は、ご近所に住む男爵家のご夫人だ。いつも素敵な笑顔で挨拶をしてくれる。
「こんにちは、マダム。今日はいい天気だから市場までお散歩ですか?」
マダムは天気が良いといつも、最寄りの市場まで歩いてお買い物をする。それが数少ない趣味なのだそうだ。お付きの人が何やら袋を持っているから、今日も散歩帰りに寄ってくれたのだろう。
「そうなの。それでね、萌稀ちゃんにぴったりだと思って買っちゃったの。もらってくれる?」
そう言ってマダムがお付きの人から受け取って見せてくれたのは、黄色い花を模した髪飾りだった。
「おい夫人、『馬子にも衣裳』って言葉があんだろ。こいつには勿体ねえ」
受付の椅子に座りながら、師匠は偉そうに腕を組んだ。その顔には邪悪な笑みを浮かべている。
「まあ、達華ったらまたそんなこと言って、年ごろの女の子を預かっているんだから、仕事以外も気にしてあげなきゃダメよ」
「そうですよ師匠。年頃の女の子なんですからもう少し優しくしてください!」
揶揄う師匠を窘めるマダムに乗っかり文句を言ってみたが、師匠は眉間に皺を寄せこちらを睨んでくる。まったくもって目つきが悪い。
師匠からそっと視線を外した私の手を取り、マダムは髪飾りを乗せた。
輝石があしらわれた髪飾りは、普段の私の格好に合うだろうか。少しドキドキしながら手の上の髪飾りを凝視してしまう。
「気に入らなかったかしら…?」
心配そうにマダムが私の顔を覗き込んだ。
「い、いえ!ただ可愛らしくて見惚れてしまいました。でもいいんですか?いただいてしまって」
少し困ったような表情を向けると、マダムはにっこりと唇に弧を描いた。
「いいのよ。萌稀ちゃんは私の孫のような存在なんだから」
「いつもそう言ってくださって嬉しいです。これ、ありがとうございます」
つられて私もにっこりと笑い返した。
「これに似合うドレスを仕立てたくなっちゃいました」
「あら、それはぜひ見てみたいわ」
私の言葉にマダムは目を輝かせて両手を組む。
「出来たらマダムに一番に見せますね」
「そういう台詞は一丁前に仕立てられるようになってから言え」
私とマダムの嬉し楽しい空気を、師匠は一刀両断した。
「なんですかー!夢を語るくらいいいじゃないですか!ね?マダム」
「えぇ。私だって萌稀ちゃんの夢を応援しているんだから」
「お前の夢ぇ?なんだっけ?」
私の怒りをさらりと受け流して、師匠は乾いた笑いを零す。
「なんですか師匠!白々しい!あっ、鼻ほじんないでくださいよ汚いなぁ!」
「あ、舞台の絨毯になること?」
「なんですかその子どもがちょっとよく分からない物に憧れちゃった結果みたいな夢は!確かに舞台上に永遠に居られればそこで行われる夢の世界を余すことなく観られ、否そもそも舞台の絨毯って何……って違います!舞台衣装を作ることです!」
「へーへー」
「相変わらず仲がいいこと」