25.もっとすごい歌
「青生、ゆうしゃごっこ知ってる?」
「ゆうしゃごっこしよう!」
「えほんよめる?」
戸惑う私たちを置き去りに、詩苑さんはあっという間に小さい子どもたちに囲まれていた。それぞれ口々に遊びに誘っている。時に近寄り難さすら感じる詩苑さんの美貌も、子どもたちには関係ないらしい。
「ちょ、待って、俺は一人しかいないから!一人ずつな!」
流石の詩苑さんも慌てて返事をしている。根が優しいからか、子どもたちまで無視はできないようで少しだけ安堵した。そのままついでに機嫌が直ればいいのになと、望みの薄い期待をしつつその姿を見送った。
子どもたちに連れられて庭に向かっていった詩苑さんの声は、段々遠くなる。残ったのは十歳を超えているだろう年齢の、数人だけだった。
「あっという間にいなくなりましたね…」
「ああ見えて子どもには好かれる質だから」
「確かに意外と親しみやすい性格をしているような……?」
「ただ精神年齢が近いだけだよ」
少しだけ低い声音で呟かれたそれに、口を閉じるしかなかった。表情を笑顔で固めたままの山蕗さんが言うと、冗談なのか本気なのか判断に悩む。今日これまでの詩苑さんの態度を考えると、思うことがないこともない。
「ご友人を巻き込んでしまって良かったのでしょうか」
私たちが黙り込んだのを見計らってか、眉を下げて撫胡さんが山蕗さんに向き直った。
「社会見学、いや、体験かな。たまにはいい社会勉強になります。なかなかこういった機会に放り込まれる家柄じゃないので」
恐らくこれまでの色々を鑑みるともちろん詩苑さんの家も貴族で、そうなると当然、慈善事業のようなことはしているはず。一般的に貴族とはそういうものだからだ。
それなのに経験がない理由はなんだろうか。孤児院のない地域の領主?領内に一つも孤児院がないなんてことはないだろう。事故や病気で家族を亡くし、親戚も居らず孤児院に引き取られるというのは比較的よくある話だ。故に孤児院は珍しい施設ではない。
そうなるとあとは、家自体が別の慈善活動に力を入れているか、子どもが嫌いか。後者であればあの状況になる前に、もう少し拒否反応があるだろうな。ということは前者だろうか。
「萌稀ちゃんすごい顔してるけど大丈夫?」
山蕗さんの声で現実に引き戻される。またふらっと思考の海に飛び込んでしまった。
「あ、すみません。つい癖で余計なことを考えておりました」
気になることがあると思考に没頭してしまうのは悪い癖だわ。考えたところで答えはでないし、気にする理由もないってさっき結論を出したというのに。いつの間にか皺が寄っていた眉間を揉みほぐす。
「詩苑のことは気にしなくて大丈夫だよ。実はね、聖歌はもう少し早い段階で取り上げようと思ってた題材だったんだけど、何故か詩苑には苦手意識があるみたいでね。理由を訊いても教えてくれないから、どうにかやらせる方法を考えていたところだったんだよね。聖歌以外はあんなに拒否することはないんだけど」
そう言う山蕗さんは珍しく眉尻を下げている。
「ただやりたくないことに駄々を捏ねているわけではないんですね」
「多分ね。ただせっかくあんなに良い歌が歌えるんだから、『歌』というものの理解をもう一段階深めてもらいたいと思って」
前期発表が終わった後に、解釈が苦手だって話は本人がしていたけど、曲の解釈以前の問題でしたか。音楽専攻らしい話になってきたぞ。
「といいますと?」
専門的な話が聴けそうで、少し顔がニヤついていたかもしれない。山蕗さんも悪そうな笑顔で声を潜めた。
「詩苑の歌で救われる人が出てくるかもしれないし……もっとすごい詩苑の歌、聞いてみたくない?」
「もっとすごい歌……!」
歌への理解を深めることによって、”すごく”なる詩苑さんの歌。それはぜひ聴いてみたい。
今でも十分、人々の心に刺さる凡庸じゃない歌を歌うと思うけど、そこからさらに”すごい”ことになるのであれば、聴かない手はない。
「それにはまず庶民の生活を知るところから。不貞腐れた坊ちゃんでも子どもには当たらないでしょう」
「そうだといいのですが…」
山蕗さんには山蕗さんなりの作戦があるのだろう。何がどうなって庶民の生活を知ると歌への理解が深まるのか、私にはさっぱり分からないが。
「そんなことより萌稀ちゃんは、字の読み書きができるんだよね?大きい子たちに教えてあげてくれない?」
山蕗さんの言葉に、残された子どもたちの目が輝いた。
孤児に勉強を教えてあげるのも慈善活動の一つだ。山蕗さんはいつもここでそうした活動を行ってきたのだろう。
子どもたちもやる気がありそうだ。知識を求めるのは良いことである。将来、仕事の選択肢を広げるのに文字の読み書きはできた方が良い。
「私でよければ」
了承すると、撫胡さんが孤児院の教室のような部屋に案内してくれた。いつも勉強をしている部屋だそうだ。窓の外では詩苑さんが、小さい子どもたちに囲まれているのが見えた。
*
どうしてこんなことになっているのか。腹の底から込み上げる溜息をどうにか飲み込んで、目の前の光景を受け入れる。
カミサマなんて目に見えないものを信じて祈るだけの宗教に、どんな意味があるのか。俺には分からない。
それ故に、カミサマに祈るだけの聖歌だって、どんな意味があるのかも分からない。展開の少ないつまらない歌だと思うのはそんなに悪いことか。
確かに授業で宗教音楽についても習ったけど、祈ったって本当に助けてもらえるわけじゃない。カミサマなんてものが存在しているなら、どうして俺があんな目に遭わなければならなかったのか、今すぐ説明をしてほしい。
ああ、宗教なんて下らない。そんなものに意味なんてあるものか。
萌稀が澄んだ橙の瞳を輝かせるから、この遠足のような教会巡りに仕方なくついてはきたけど、やっぱり題材を変えてもらおうか。わざわざ嫌いな歌でやる必要もないだろう。
そんなことを考えていたから逃げきれなかった。何故か俺は今、孤児院の子どもたちに囲まれている。完全に山蕗にやられた。
ここに来たことにも意義を見い出せていないのに、さらに何をやらせるっていうんだ。
「なあなあ青生、ゆうしゃごっこしよう!」
「なんだ勇者ごっこって」
年齢層の低い集団を率いている、いかにも悪餓鬼そうな少年が木の棒を持って言った。後ろには男女四名の子分がいるようだ。上から下まで八歳から三歳くらいだろうか。
「青生がわるいやつで、おれがゆうしゃのやくするんだよ。みんなをまもるんだ!」
そのくらいの年頃なら、強い者に憧れる気持ちも分かる。男とは力を求める生き物だ。正直なところ、今この心境で子どもの相手をするのはすこぶる気分が乗らないが、半ば強引にでも山蕗に任されたこの状況で無視をするわけにもいかない。
適当にあしらっておけばいいかと結論づけて、とりあえず話を振ってみる。
「俺は何したらいいんだ」
「わるいやつはよわいやつをいじめるんだよ」
「俺みんなをいじめなきゃいけないの?」
「そうだよ!!」
元気よく返事をされた。心を無にして相手をするつもりだったのに、余計なことが思考を侵食していく。
ただ勇者になりたいと言った少年を目の前にして、この間からずっと頭の中を巡っている嫌な思い出が、一層はっきり蘇って一瞬反応が遅れた。適当にあしらっておけばいいと、さっき自分で決めたことを思い出して我に返る。
宗教に真面目に向き合うから、余計なことを考えるのだ。全部山蕗が悪い。
「わたしもゆうしゃになる」
餓鬼大将の後ろから現れたのは、黒髪の少女だった。六歳くらいだろうか。声は弱々しいのにやたら鋭い視線に目を引かれた。腰にしがみつくもう一回り小さい女の子を、庇うように立っている。




