24.ネンテウリー教会
「明日から舞台芸術は禁止ですって言われたらどうする?」
「生きていけないです」
悪戯っ子のような表情で訊く山蕗さんに私は即答した。
舞台芸術が禁止になるなんて、考えたくもない仮定だ。私の生きる意味がなくなってしまう。
山蕗さんの話を聞いている途中は「舞台芸術が縋る先だなんて大袈裟だな」と思いかけたが、禁止は無理だ。衣装を作るどころか舞台芸術全てを禁止されたら私はどうなってしまうのだろう。想像しただけで心臓が痛くなる。
「詩苑の場合は歌だね。その辺りは僕が言わなくても、自分が一番分かっていると思うけど」
一瞬、詩苑の眉毛がぴくりと動いた。表情は変わらずとも何か思い当たることがありそうだと、私にも分かった。
「君たちのように曲げられない生きる指針とか、精神的な支柱のようなものがある人は意識しないだろうけど、みんながみんな、それを持っているわけではないからね。そういうときはやっぱり、心の均衡を保つためにも神に祈るんだよね」
私が普段、どれだけ舞台芸術に縋っているかということを、妙に他人事のように納得してしまった。
舞台芸術に携わることこそが自分の生きる道、と決めているからこそ自分の価値を見出だせる。そして、それによって心の均衡を保っているということだ。
人々にとっての「神」とは、そういう自分の心の均衡を保つ役割もあるんだということを知ると、フロル教への見方が少し変わってくる。
「宗教音楽の始まりは、そうやって神に救いを求めるため。つまり祈るために生まれた。『原初の聖歌』はフロル教のそれ。そしてそれからのちに、体系的な音楽へと発展していくんだね。これは僕の推測だけど、みんなで一緒に祈りの気持ちを表すために、歌という形を取ったんじゃないかな。それぞれが個々に思うより、効果がありそうというか。そしてその文化が大陸中に広まったわけだね。なんならこの地域の言葉も、聖歌に使われたフロル語が元になっているよね」
有難い解説を聴きながら、感じたことをクロッキー帳に描き留めていく。
言葉もままならなかった時代に、ひょっとして歌を通じて広がった概念や文化もあったのだろうか。
「フロル教を中心とした宗教音楽の話をしたけど、実は音楽って、何かに祈るために生まれていることが多いんだよね。例えば雨乞いとか、弾圧からの解放とか。それこそ言葉だけではどうにもならないことを、音楽にのせて祈ったんだ」
山蕗さんは一度言葉を区切って、パイプオルガンの真ん中に置かれた女神フヨウの像を見据えた。いつもの人当たりの良い顔のまま、けれども大袈裟なくらい慎重に、言葉を紡いだ。
「――歌は祈り」
その言葉は、決して大きい声ではなかったのに、重く私の心に響いた。
「僕は音楽の師にそう教わったよ。オルガンや笛や太鼓、そういうものが生まれる前から人々が生まれつき持っている楽器が声なんだ」
『歌は祈り』。心の中で復唱する。
自分の中で少し歌への解釈が深まって嬉しくなり、詩苑さんはどうだろうかと思って振り向いた。未だに口を閉ざしたままではあるが、眉間の皺が薄れたような気がする。礼拝と山蕗さんの解説によって、何を受け取ったのだろうか。ただのつまらない宗教音楽は、詩苑さんの中でどう変化したのだろうか。
「ところで教会って音がとてもよく響くよね。響きの良い空間ってそれだけで歌が上手くなったような気がするし、歌ってて気持ち良いんだよね」
立ち上がった山蕗先生はご機嫌に鼻唄を歌っている。私はそれを聞きながら、見たこと聴いたことを更に必死に描き留める。
「萌稀ちゃんのそれが終わったら、次に行こうか」
次に連れられてきた教会は、カエルレア大聖堂と打って変わって、素朴で庶民的な木造の教会だった。敷地内にはさらに素朴な建物が併設されている。生垣に囲まれた長閑な場所だ。中から子どもの声が聞こえる。
「ここはね、ネンテウリー教会。隣の建物は孤児院だよ」
「孤児院……」
零れるように呟いた詩苑さんは眉を顰めた。
山蕗さんに続いて敷地内に踏み込むと、開け放たれた教会の入口から、オルガンと子どもたちの歌声が聞こえ始めた。先程の大聖堂でも聴いた聖歌だ。
大人が奏でる澱みのない和声とは全く異なる音だけど、子どもの声には特殊な神聖さがあると思う。侵してはならないような神秘さは、その純粋さ故だろうか。
異なる声質が入り混じった音の塊に浸りながら入口に近づくと、その思考は甲高い声に切り裂かれた。
「あ!山蕗だ!」
入口から中を覗き込んだ山蕗さんに気づいた少年が、指を差して声をあげたらしい。子どもの声は時として脳みそを貫く武器になり得ると思う。とても良い腹式呼吸の発声に、頭痛がしそうだ。
「こら、指を差したらいけないって言っただろう?」
「ごめんなさーい」
優しく頭を撫でる山蕗さんに、駆け寄ってきた少年は素直に謝った。随分と親し気な間柄であるようだ。
「お知り合いなんですか?」
「うちは両親とも音楽家の子爵家なんだけど、慈善事業は貴族の果たすべき使命だからね」
少年から手を離すと静かに教えてくれた。なんとなく予想はしていたけどやはり、山蕗さんも貴族のお家の人でした。私は本当にこの人たちとこんなに気軽に接していて大丈夫なのだろうか。半分諦めてはいるけど、たまに思い出しては頭を抱える。
「ようこそお出でくださいました、山蕗様」
山蕗さんに気づいた子どもを追うようにして、奥から壮年の修道士が出てきて、こちらに向かって丁寧に頭を下げた。丈の長い修道服がさらりと垂れさがる。装飾を見るにこの教会の司祭だろう。
「急にごめんね」
貴族然とした表情に切り替えた山蕗さんが、司祭の方へ歩き出したので後ろをついていく。詩苑さんは相変わらず気まずそうなので、服の裾を軽く引っ張って同行を促しておいた。足を動かすことはできるらしい。目は合わないが。
「こちらこそ、トスカ子爵閣下をはじめ、みなさまにはいつも大変お世話になっております。先日も来ていただいたばかりなのに」
「否、今日は私がお世話になりに来たんだ。学院の友人と社会見学させてもらおうと思って」
「社会見学、ですか?」
「ええ」
首を傾げる司祭に対して、山蕗さんはたれ目を細めてにっこりと微笑んだ。因みに私はまだ入学試験勉強に苦しんでいる段階なので、正しくは「学院の友人」ではないのだが、ここは適当に話を合わせておいていいのだろうか。
「山蕗、その人たちだれ?」
頭を撫でられていた少年が、怪訝そうな顔で山蕗さんを見上げる。当たり前のことではあるが、その場にいた十人前後の子どもたちから大注目を浴びていた。はっとして子どもたちと司祭に向き直り、礼を取った。
「申し遅れました。山蕗さんの友人の萌稀と申します。よろしくお願いしますね」
「そっちのでっかいお兄ちゃんは青生だよ。照れ屋だけど仲良くしてあげてね」
私の挨拶に続いて、山蕗さんが詩苑さんを示して紹介する。初めて聞いた名だと思って詩苑さんを見ると、口の動きだけで「偽名だ」と伝えてきたので頷いておいた。
「わたくしは孤児院でこの子たちを預かっております、撫胡と申します。山蕗様のご友人にお会いできて光栄です」
赤茶の瞳の司祭は、背筋を伸ばすと思いの外大きかった。師匠と同じくらいの身長はそうそう会うこともないと思っていたから、まじまじと見上げてしまった。
「青生お兄ちゃんがみんなに遊びを教えてほしいって言ってたから、みんな一緒に遊んでくれるかな?」
山蕗さんは子どもたちに目線を合わせると、軽率に詩苑さんを売った。流れるようなお誘いに、私と詩苑さんは目を丸くして顔を見合わせる。
※この物語はフィクションです(念のため三回目)




