23.カエルレア大聖堂
(説明が長いです。適当に読み飛ばしてください。)
山蕗さんはそう言うと、目の前の立派な建物を指し示した。
集合場所でもあるこの「カエルレア大聖堂」は王都で一番大きい教会で、高い尖塔は城下町一体から見ることができる。
「他国にも知られている有名な教会であるここは、歴史的にもこの国で一番古くて由緒正しいんだ」
およそ八百年前に建設されたカエルレア大聖堂は、古代に造られた簡素な祠のようなものから始まり、神殿を経て大聖堂へと発展したそうだ。時代が進むにつれて元ある施設を囲むように新たな建物が造られ、今となっては王都で王城に次ぐ規模にまでなっている。
大聖堂を取り囲むように整えられた植栽や広場は、荘厳な雰囲気を残しつつも周辺住民の憩いの場として解放されていて、今日も多くの人で賑わっていた。
大聖堂の中に入ると入口から真っすぐ身廊が伸びている。その奥には礼拝堂があり、入口からも大きなパイプオルガンが見える。
ちょうど礼拝の時間になったらしく、オルガンの伴奏と共に聖歌が聞こえてきた。
カエルレア大聖堂での礼拝は一日に一度、決まった時間に行われ、修道女や修道士がオルガンの伴奏で聖歌を捧げる。誰でも、いつでも参加してよく、一緒に聖歌を捧げる者もいる。
私たちは山蕗さんに連れられて身廊から礼拝堂を覗き込んだ。
礼拝堂は一際天井が高く、上部の開口からはステンドグラスを通した色鮮やかな光が降り注ぐ。ステンドグラスの模様は女神フヨウが夜明けをもたらした瞬間を切り取っているのだそう。
精緻な加工により生み出された空間は、煌めきが詰まった宝石箱のようだ。
「礼拝は神の恵みに感謝して、とこしえに加護がもたらされますようにと祈るもの。女神がこの大陸に降臨したときを描いた『晦冥』、女神が紡いだ『黎明』、目覚めを祝福した『白日』、末長い安寧を願う『黄昏』、女神の眠りを惜しむ『宵』の五部構成で、この中の『晦冥』と『黎明』の原型が教会音楽の、ひいてはこの大陸の音楽文化の始まりなんだよ。それが『原初の聖歌』。聖歌の主旋律は子どもでも知ってるくらい僕たちの生活に馴染んでいるけど、人が集って演奏するうちに発展した音楽は、土地によって特徴があって面白いんだ。ここみたいに大きな教会では混声四部で礼拝することが多いけど、男女の合唱は神聖さに迫力が加わってまた違った魅力があるんだ」
ひと通り聖歌について解説した後、山蕗さんは自然な動作で礼拝堂の中に入るので、私たちもそれに続いた。
中で直接感じる響きの渦は想像以上だった。
修道士たちの美しい歌の重なりは、硬質な素材で仕上げられた礼拝堂内の空気を震わせて、全身をその響きで包んでくれる。
澱みのない純正律の和声は、ゆったりした流れの中で繊細に変化し、心の穢れを洗い流してくれるよう。
男女の合唱は、正しく音が重なることにより共鳴し、さらに豊かな響きに膨らんでいく。
目を閉じて力を抜くとだだっ広い草原の中で、草の匂いを感じながらただ風に吹かれているように、全身が清められていく気がした。
心地良さに身を委ねながら、今日ここに来た理由を思い出し、礼拝に参加している人たちを観察してみる。私は今日得た知識を衣装に活かさねばならないので、合唱している修道士たちを含めて参考になりそうなことを拾って記憶に留める。礼拝が終わったらすぐさまクロッキー帳を広げるつもりである。
礼拝堂の席を埋める一般の人々は老若男女幅広い。具合が悪そうな人、お腹が大きい人、必死に何かを握りしめている人、それぞれの思いでここに参加しているのだろう。
病気が治りますように、子どもが無事に生まれてきますように、友達と仲直りできますように、恋人と結婚できますように、今日の夕食に好物がでますように。
願いの大きさや深刻さも様々であろうこの空間を客観的に見て、そんないろんなお願いごとをされて女神は叶えられるのだろうか、と思い至ってしまった。勝手なお願いばかりされて女神も大変だろうな。
ふと気になって横の詩苑さんを視線だけで見ると、相変わらず難しい顔をしてじっと前を見つめている。
――何が彼をそこまで意固地にするのだろうか。違う宗教を信仰しているから?それならば縹さんや山蕗さんには理由を説明していそうなものだし可能性は低い気がする。彼らの関係性を考えれば言えないということもないだろう。他宗教を信仰しているならわざわざここまで来ないだろうし、嫌々でも題材に決めたりなどしないはずだ。
そこにある形の見えない問題に、私は少し顔を顰めた。
原因が分からないと説得のしようもないのだけれど、かといって簡単に首を突っ込んでいい問題とも限らない。山蕗さんの解説につられて今日ここに来たのはいいけれど、詩苑さんのこの問題は解決するのだろうか。
根深いのかそうでもないのか、私が考えることに意味があるのか。何でも分析して勝手に類推し始めるのは私の悪い癖なのかもしれない。
頭を捻らせても解決しない問題は、ひと先ず横に置いておこう。今日、一日一緒にいれば分かることがあるかもしれない。それでもダメなら後でまた山蕗さんと作戦を考えよう。
礼拝が終わり、人気の少なくなった礼拝堂の椅子に山蕗さんが腰を下した。私もクロッキー帳を取り出すついでに隣に腰かける。
「聖歌って何で歌われるようになったか知ってる?」
ふいに山蕗さんが訊ねてきた。手を動かしながら考える。
「神の恵みがどうのってさっき言ってました、よね?あれ、それは礼拝の理由か。祈りを捧げるため、とかですか?」
「うん、そうだね。じゃあなんで祈りを捧げると思う?」
「祈りを捧げる理由…?」
ちょうど先ほど周りを観察しながら考えていたことではあるけど、山蕗さんがわざわざ質問してくるということは、もう少し形式的なことを答えるところだろうか。儀式がどうのとか、全く知らないのですが。
反射的に答えようと思ったものの考え直し、口を開けたまま止まった私を見て山蕗さんは笑った。
「そんなに難しく考えなくていいよ。僕たちが祈りを捧げるのは、神様に救ってほしいからだ。何かに躓いたとき、叶えたいことがあるとき、寂しさでどうしようもなくなったとき、どうか助けてください、救ってくださいって。人智を超えたその力でどうにかしてくださいって。自分の力でどうにもならないことを女神さまに縋るんだね」
自分の力でどうにもならないこと、か。「神頼み」という言葉があるように、自分じゃ手に負えないようなことを、私も祈ったりするなあ。
私が山蕗さんの解説を咀嚼していると、山蕗さんはチラッと詩苑さんを見遣った。
「詩苑はそんなどうにもならないことを、他人に頼るんじゃないって顔をしているね」
後ろに立ったままだった詩苑さんを振り向くと、相変わらずどこか一点を見つめて黙り込んでいるが、その表情は確かに少し不満げである。先ほどより眉間の皺が深くなった気がする。
「結局、人は何かに縋って生きていくものだから。その縋る先が、歌か、舞台芸術か、偶像の神かの違いなだけ」
「縋る先、ですか?」
「そう。萌稀ちゃんはさ、舞台芸術が大好きで、舞台衣装を作りたくて今の道を選んだでしょう?きっと、それにさえ向かっていれば概ね元気に生きていける人だと思ってるんだけど、明日から舞台芸術は禁止ですって言われたらどうする?」
【雑な用語補足】
身廊:礼拝堂に続く廊下みたいなやつ
混声四部:よくある男女の合唱の形態(ソプラノ、アルト、テノール、バスのやつ)
純正律:一番よくハモるピッチの調性みたいなやつ
※この物語はフィクションです(念のため二回目)




