22.わくわくとどんより
何を思ってかそっぽを向いたまま固まってしまった詩苑さんを無視して、縹さんが私に問いかけた。
「萌稀は台詞だけの演劇より歌劇とか演奏会とか、音楽が絡む方が得意なのか?」
「舞台芸術は全般的に好みますので、あまり偏りはないですけど」
「音楽の知識も例の『お世話になった人』から?」
「いえ。音楽は別の教会絡みの人からですね。こちらも別の時期にお世話になった人なのですが、楽器の演奏が得意でオルガンを少々教わったりしました。その関係で楽譜が読めます」
「へえ、なるほどな。それこそ聖歌の伴奏で楽器を演奏する修道女は珍しくないしな」
「私には楽器演奏の才能はまったくありませんでしたが、音楽の知識が得られたのは貴重な経験でした」
演劇には演劇の、演奏会には演奏会の良さがある。音楽だからこそ伝えられる表現があるからには、やる側にはしっかりそこを理解してもらわねばなるまい。果たして学院ではどんな授業を受けていることやら。
話しつつ、視界の端で詩苑さんをちらりと観察する。
「話は戻るんだが、いつもなら詩苑の歌を聴いてから編曲や演出について考えるところ、今回は詩苑の歌が全然のらなくて困っているんだ」
「なるほど、それは由々しき事態ですね」
この拗ねているような様子から薄々察してはいたけど、本当にやりたくないんだな。しかし縹さんにしたって、口では困っていると言っていても表情は全然困っているように見えない。
「萌稀の思う宗教音楽、もしくは聖歌について訊きたいんだが…」
そんな縹さんはなんとも難しい質問を吹っ掛けてきた。それを私に訊くのですか。ううんと唸りながら、手を顎にあてて少し考える。
「私の思う宗教音楽……歌について偉そうに言った手前お恥ずかしいのですが、実は身近すぎてそんなにちゃんと考えたことはないんですよね」
物心ついた時から教会には通っていたし、出会った人に音楽について教わりはしたけど、音楽的な素養が備わってからは改めて聖歌の楽譜を見るようなこともなかった。
「意外だな。なんでもかんでも勝手に思考を深めていく印象があったが」
「物心着いた頃にはすでに触れていた、ある種、習慣のようなものは流石に。『空の青さ』と同じようなものですかね」
敬虔な教徒でなかったにしろ、日常生活の一部となる程度には当たり前だった。修道士からの有難い説法をなんとなく聞き流して、良く響く建物にはパイプオルガンがあり、その調べにのせて聖歌を合唱する。大変気持ちよく声を出していた記憶しかない。
「そう考えると、定期発表を作る上で改めてフロル教について知るっていうのは必要かもしれないですね。修道士や修道女の服装についてもちゃんと考えたことがないですし」
「結局そうなるのか……」
私が縹さんと話している間、ずっと一点を見つめて固まり続けていた詩苑さんが突如として口を開いたかと思うと、とても苦々しい顔をして呟いた。
「どうなるんです?」
「課題に文句を言ったこいつが山蕗に火を点けて、じっくり宗教音楽を学ぶべく城下の教会を巡ることになったらしい。なんとしてでもこいつの心を入れ替えさせるって、珍しく山蕗が息まいてたんだ」
項垂れる詩苑さんを指さしながら縹さんが呆れたように解説してくれた。
「それは楽しそうですね」
「萌稀ならそう言うと思った。諦めてお前も行ってこい、詩苑」
「………………分かった」
溜めの長さから気ののらなさが大いに窺える。逆に何がそんなに嫌なのか不思議で仕方ない。
最終的にどう解釈するかによってはくるけど、山蕗さんの編曲と、縹さんの演出が加わった宗教音楽について詩苑さんが何を表現するのか、私は今この時点でも想像しただけで楽しいというのに。
女神といえば絵画などで描かれる白いゆったりとしたワンピースの印象が強いし、聖職者は白を基調とした丈の長い服が制服のようなもの。衣装としてどう面白く出来るか、私の力が試される。
少し考えただけでも、終始暗く沈んでいる詩苑さんとは真逆にわくわくが芽生えてきてしまった。
「教会巡りの詳細が決まったら私にも教えてくだいね」
そう思いっきり笑顔で言ってやった。
*
打合せから間もなく、山蕗さんにお誘いをいただき、とある日の昼下がりに王都の城下町にある大聖堂前の広場で、山蕗さんと詩苑さんと待ち合わせとなった。
入試対策の間にすっかり冬の気配はなくなり、段々と強くなってきた日差しが暖かい、春らしい気候である。
休日の広場は多くの人で賑わっている。その人混みに紛れるような、買い出しのときと同じように庶民的な格好の詩苑さんの隣には、七分丈のズボンをサスペンダーで履いた山蕗さんがいた。白いシャツが爽やかさを演出していてとても眩しい。
「いやあ、萌稀ちゃんのおかげで助かったよ。詩苑が意固地になっちゃってどうしようかと思ってたんだよね」
「……」
集合場所で挨拶を交わした山蕗さんは爽やかな笑顔だ。対する詩苑さんは先日に引き続き眉間に皺を寄せて難しい顔をして黙りこくっている。
「私もやるからには理解を深めないと、と思ったのでむしろ有難いです。教会が身近すぎて改めて考えることが今までなかったので」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
「……」
にこやかに会話を進める私たちを邪魔する程度には、不機嫌そうな雰囲気を纏う詩苑さんが、視界の端で何かを主張している。チラッと目配せすると山蕗さんはさらに笑みを深めた。
「これね、『聖歌はつまらない』とか言い出すからね、『この学院で歌を勉強してる人が何言ってんの』って言ったら拗ねちゃって」
「拗ねてはないしあのときのお前はそんな生易しい言い方じゃなかったぞ」
山蕗さんの説明に、詩苑さんが間髪入れずに反論した。しかし山蕗さんは美形の鋭い視線も簡単に受け流す。
「だから縹と相談して萌稀ちゃんに助けを求めに行ってもらったの」
「おい無視するな」
なるほど、私と同じような突っ込みが山蕗さんから既にあっての、あの打ち合わせだったわけね。残念なことに詩苑さんの味方がいなくて、さらにへそを曲げているということなのかしら。
「だって有り得ないでしょ?そもそもこの地域一帯の現代音楽は元を辿れば教会で生まれているし、今回取り上げる『原初の聖歌』なんて歌文化の始まりだよ?それをつまらないで切り捨てるおバカさんがどこにいるって話だよね。これだって音楽系の学科の一年生の授業で最初に習う音楽史なんだよ。それを蔑ろにするなんて音楽に対する冒涜だよね」
「それだよそれ!」
そんなに俺の心を折る必要はないだろうと必死に訴える詩苑さんを完全に無視して、山蕗さんは片手を頬にあてて一息に吐き捨てた。愁いを帯びた瞳は妙に演技くさい。
想像していた以上に詩苑さんはボロクソに言われているが、しかし山蕗さんの言っていることが正しいのは明らかであるし、私もその点については同意するしかない。
「……分かります」
「分かるよな、分かっちゃうよな、知ってた知ってた」
山蕗さんに同調する私を見て、段々と詩苑さんには諦めの色が滲むようになり、表情が虚ろになってきた。
「私もなんとなく知識としては頭の片隅にある程度のものでしたが、音楽史の始まりにも絡むということは歌う人にとって、とても重要なことですよね。それを『つまらない』だなんてそんなことないですよね」
「二人ともどこで息継ぎしてるの」
ついつい熱くなると一気に語りすぎてしまうのは、習性なので許してほしい。
「今日は教会を巡りながらそのあたりの解説も聞けると伺ったのですが」
「もちろんだよ。理解を深めてまた一緒に良い発表にしようね」
「はい!」
山蕗さんは琥珀色のたれ目を細めながら問いかけるので、私はそれに素直に応えた。ふわりと揺れる栗色の癖毛は山蕗さんの不思議な雰囲気を際立たせ、詩苑さんに対して有無を言わせない圧を感じる。
「なんか話がまとまっちゃったな。歌うの俺だけどね」
詩苑さんは両手で顔を覆いながらか細い声を出している。
「安心して。詩苑が二度とつまらないなんて言えなくなるように、ちゃんと隅々まで解説するからね。うちの学院って必修科目以外に他学科の科目を履修できるんだけど、丁度前期にフロル教の授業を取ったんだよねえ」
頼もしすぎる。なんて頼もしいの山蕗さん。フロル教の授業は私も気になるかもしれない。フロル教は今や私たちの生活の中に自然に存在していて、起源や成り立ちを考えることなんてないけれど、音楽を表現するにあたってはやはり重要なこと。きっと天性の才能で歌う詩苑さんは、まだその辺りをちゃんと理解はしていないだろう。
「それで、まずはここね」
※この物語はフィクションです(念のため)




