18.前期発表「僕に咲いた花」
本日二話目、舞台の世界をお楽しみください。
――さあ、始まるよ。とある女に執着した、男の醜い心の世界へようこそ。
衣装に合わせて片側の前髪を後ろに撫で付けた詩苑さんはいつもより大人びた雰囲気で、革靴で床を鳴らしてリズムを刻む。
舞台上は素朴な一人用の椅子とテーブル、外套掛けと姿見、二人がけソファなどが置かれ、下手の隅で山蕗さんがピアノを奏でている。歌詞に合わせて家具の間を移動し、時には小道具を手にしながら物語を歌う。
あの日君に出逢えたこと
運命は避けられない
僕の心に花を咲かせたのは、君
君が好きだと言ったから
陽の光、月の輝き、檸檬、卵の黄身
だから君に贈りたいスターチス
曲の始めは男の落ち着いた気性を表したアンダンテ。とある貴族の家に生まれた普通の男性。
いつもより柔らかな詩苑さんの声の響きで、一瞬にして会場は男の世界に包み込まれる。
きっと今より政略結婚が多い時代だから、恋愛なんてそうそうできるものではなかったはず。そんなときに落ちてしまった恋。制限があればあるほど、燃え上がる恋。
女と出会ってからは逸る気持ちを抑えきれない男。曲もテンポ良く進むし、詩苑さんの情熱的な声も序盤より響きが増してより心を掴まれる。
私の心臓も音楽に合わせてどんどん動きを速めるから、うっかり恋に落ちたような錯覚に陥る。落ち着け私の心臓。もう何に対して心臓が跳ねているのかよく分からない。
今日はミモザ、明日はガーベラ
どうか、どうか受け取って
ひまわり
だけど
どうして、君はどこに行ってしまったの
今日はユリ、明日はバラ
どうか、どうか受け取って
スイセン
女と逢瀬を重ねている頃の贈り物は、小道具として机に飾っている花瓶から。それがなくなると女から別れを告げられて、その後の贈り物は衣装から。
女の態度の変化を受けてさらに燃え盛る男の恋心。忘れようにも忘れられず、ただただ女の家に花を贈ることでしか繋がりを得られない。
女が別れを告げてから出てくる花は、黄色だと花言葉がネガティブなものばかり。花言葉を知らなければ哀しみに暮れた男が一途に花を贈るだけの恋物語だけれど、一つ一つの花言葉を調べると、もっと醜くてドロドロした愛憎が見えてくる。
クラバットや所々にあしらったリボンをきちんと結び、整えて始まったのに、曲が進むにつれてリボンは解け、クラバットやシャツのボタンを外し、だらしなくなる衣装。
それぞれの花に見立てた装飾を、贈る花の歌詞が出てくるたびに外していく演出は、詩苑さんの色気と相まっていい感じ。縫製が雑なのを逆手にとった部分もあった表現だけど、なんとか上手くいったみたい。
別れを告げられてからの詩苑さんの掠れた歌声も好きなんだよね。少し鎖骨に落とした響きがお腹に伝って全身を震わせるのが心地いい。
ユリの刺繍を入れたクラバット、バラの紋章が入ったカフスボタン、マリーゴールドの装飾ボタン、スイセンに見立てたチーフ……。
どんどん装飾がなくなって崩れていく衣装に、男の悲痛な叫びのような歌声。
ビブラートの使い方まで綿密に計算された詩苑さんの表現は、一瞬たりともこの世界から観客を離さない。
残された僕の中にはマリーゴールド
後奏、舞台に膝をついて、空を見上げて愛しいものを見つめる瞳。
――完璧だ。
練習中は衣装と演出に集中するようにしていたから我慢の連続だったけど、改めて始めから終わりまで演奏に浸ると、心地よい没入感と興奮。
何度聴いても詩苑さんの歌が私の心を満たしてくれる。
舞台芸術って最高だ。
今日は舞台袖で聴いていたというのに、色んな感情がない交ぜになって視界がぼやけてきた。
初めて手掛けた舞台衣装で、こんなにも情熱的な世界を観客に観てもらうことができた。私が表現したいことを実現できたことがどんなに貴重な経験であることか。
ああ、この作品に関われて良かったな。誘いを受けて、良かったな。
観客も男の悲哀にのめり込んでくれているのが伝わった。……嬉しい。
演奏が終わり、詩苑さんと山蕗さんが同時に礼をすると、割れんばかりの拍手が巻き起こった。今回もスタンディングオベーションである。
その光景に私は小さく拳を握った。
「観客の反応は上々だな」
私と同じく舞台袖で見守っていた縹さんも安堵の表情を見せた。
「はい……!」
出来ることなら拍手をしてくれているお客さん一人ひとりに、どんなところが良かったか感想を訊いて回りたいくらいの気持ちである。込み上げてくる思いで顔が緩むけれど、こればっかりは止められそうにない。視界がぼやけて前が見えないし、たぶん今の私は酷い顔だと思う。
「大成功だね」
先に山蕗さんが舞台袖に戻ってきた。この緩々の顔を見られてしまったことを恥じつつ、満面の笑みを向ける。
「お疲れ様です!!詩苑さんと息のあった演奏、素敵でした!!」
「ありがとう」
「お疲れ」
「詩苑さんも、お疲れ様です!」
続けて戻ってきた詩苑さんは私の前に立つと両掌をこちらに向けて言った。
「やったな、萌稀」
「はい!」
私も両掌を広げて詩苑さんの掌をパチンと打った。
幕が降りてから急いで舞台上の演出に使った道具を下げ楽屋に戻ってくると、気分の高揚が少し落ち着いて、舞台上の景色を反芻する。たぶん、この景色を忘れることは永遠にないのだろう。
前期定期発表、大成功である。




