14.次の手
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「こちらをお納めください」
私は神妙な面持ちで仕立て直した衣装を差し出した。
「うむ。苦しゅうない」
詩苑さんが鷹揚に頷いて、受け取ってくれた。
正直に言おう、私はまた、性懲りもなく緊張している。緊張しないわけがない。詩苑さんの着替えの時間が永遠にも感じられる。恐らくこれは、いやきっとこれは錯覚であるのだが、時間の感覚すらほとんどよく分からない。
今日は二回目の衣装合わせで、私は再び学院を訪れていた。複数の生地を組み合わせた新衣装のお披露目を、祈るように顔の前で手を組みながら待っている。心臓は破裂しそうだ。
満を持してカーテンの向こうから詩苑さんが現れたときには、全ての動きがゆっくり流れるように感じられた。その姿に息を呑む。
「うん、前回より大分良くなったな」
詩苑さんをつま先から頭のてっぺんまで満遍なく観察したあと、満足気に縹さんが呟いた。
その言葉に思わず拳を握る。久しぶりに息を吸えた感覚がする。
詩苑さんは興味深そうに鏡で全身を確認し、やはり満足気に頷いた。山蕗さんもおおと感嘆しつつ小さく拍手をしてくれている。
とりあえず第一関門突破である。さて次は……。
「こちらを認めてもらったところで、皆さんにご相談したいことがございます」
クロッキー帳を取り出しつつ主に縹さんを見据えた。演出家のお気に召すか否か、私の提案力が試される。
「相談したいこと?」
詩苑さんと山蕗さんも近くに寄ってきた。
「この衣装は、これが完成じゃないのです」
「ほう?」
「同じ色味の、複数の生地を使うことにより、派手すぎずに華やかにすることは成功したのですが」
「ですが?」
「花を贈る度に心をすり減らす男の心情を、もっと表現できないかと思いまして」
「ほう」
「一見、切ないだけの曲に思われがちですが、この曲って、もっと男の執念とか、愛故の憎しみみたいなものがあって、それにより男がどんどん深みに嵌って堕ちていく、そういう作品だと思うんです」
縹さんは何も言わずに私から視線を外さず先を促す。
「なので、こんな演出を考えてみました」
歌詞に出てくる花はユリやバラ、マリーゴールド、スイセンなど。私が考えたのは、衣装の装飾をそれぞれの花に見立て、男が女にその花を贈る歌詞が出てきたところで外していくというものだ。
クロッキー帳を広げ、持ってきた試作品を詩苑に飾り、軽く歌ってもらいながら演出案を実践し、なんとか頭の中に描いた衣装案を形にした。予算の関係で素材などに悩んでいるものも絵で表現し、思いつく限りの方法を提示した。
一通り持ってきたものを説明し終わると、沈黙が室内を支配する。腕を組んで何かを考え込んでいる縹さんを、詩苑さんと山蕗さんも固唾をのんで見守ってくれているようである。
思いついたアイディアに自信がないわけではないが、誰かに自分のアイディアを披露して許可を得るという経験が、刺繍図案以外では全くなかったために、どういう反応がくるのか想像もできない。答えを受け止めるしかできない私はぎゅっと目を瞑り、心の中で必死に祈った。この曲をより深く表現するには必要であって、決して邪魔にはならないはず。
私には永遠とも感じられる時間の末に、縹さんが口を開いた。
「うん、いいんじゃないか?」
またしても縹さんはあっさりと私のアイディアを飲み込んでしまった。無言の間ずっと緊張していたのに拍子抜けである。
「ほ、ほんとですか…?」
「ああ。俺も黄色い花の演出には少し悩んでいてな。衣装を着崩していく発想はなかった。この線で話をもう少し詰めたい。ここの装飾だが………」
縹さんは柔軟に物事を取り入れていく質らしい。私の提案を理解し、曖昧にしておいた箇所を拾い上げ更にアイディアを出してくれ、私が選択肢を残しておいた箇所については理論立てて絞ってくれる。より深い解釈とともにアイディアが洗練されていくのがわかる。
――しかし。
「…で、これをやるとなると追加で仕入れが必要になるのですが、このあたりの予算が読めなくてですね…」
「なるほどな、予算を増やすのはやぶさかではないが…」
打合せを進めていき、なんとなくアイディアがまとまってきたところで一つの壁にぶち当たった。
「詳細な相場を把握しきれておらず申し訳ありません。先日、師匠の仕入れにお供したときになんとなく見ましたけど、恐らく質を落とせばもう少し安価に手に入れることもできると思うんですよね。なので新たに予算を設定していただいて、その範囲でできることを見繕ってこようかと思っているのですが」
「でもそれだと思い通りの物ができるかは分からないんでしょ?」
それまで聞き役に、というかトルソー役に徹していた詩苑さんが久しぶりに口を挟んできた。
「そうですね」
「そしたら俺、買い出し一緒に行くよ」
「へ?」
そしてなんと買い出しについてくると言い出した。
「まあその方が話が早いな。衣装を着る当人が居た方が選ぶのも早いだろうし」
「それは、まあ…」
「こいつは人型の財布とでも思っておけばいい」
とんでもない言い様である。しかし予算をある程度気にせず装飾を増やせるのだとしたら、これ以上ない提案だった。
だとしても…。
「む、無理です」
「なんで?」
無理だ。絶対に無理だ。無理に決まっている。だってそうでしょう。こんな美しい男の隣で街を歩くなんて、私にはできない。きっと一歩進むごとに女性が振り返り、頬を染め、期待や思慕の眼差しを向ける中、隣の私を見ては眉を顰めるのだ。さして美しくもない、良くて中の上程度の見た目の女が隣にいるだなんて、どこの世界の女が許すんだ。そういう作品を見たことがあるから知っている。ついでに街中で目立ちたくない。
「なんでと言われましても…」
しかしこの胸中を正直に言うのも憚られて私はぼんやり目を逸らす。
「俺のこと嫌い…?」
私の煮え切らない態度に何を勘違いしたのか、詩苑さんが怯えたような視線を寄越す。私ごとき人間に嫌われたところで痛くも痒くもなさそうであるが。
「街で…目立ちたくない…ので」
埒が明かず仕方なしにそう答えると、思いついたように手を打ち、詩苑さんは微笑んだ。
「それなら安心して!もちろん変装はするし。俺もできるだけ目立ちたくないからね」
多分だけど存在するだけで目立ってしまう世界線に生きている側の人間に、そんなことを言われても信用ならないのですが。どうしてそんなに自信満々なんですか。
できる限りごねてみたものの、効率などを考慮に入れた末に敗北したのは、もちろん私であった。