13.ひらめきはいつも突然に
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「はぁ……」
「あらやだ萌稀ちゃん、ため息なんてついてどうかしたの?」
「はっ、マダム!御機嫌よう。今日もお買い物の帰りですか?」
「そうなの。大通りから覗いたら萌稀ちゃんの姿が見えたから、声をかけようと思って来たのだけれど、どうかしたのかしら?」
本日はお日柄もよく、私は元気に、とは言い難い気持ちで店先の掃き掃除をしている。
ちょうど溜め息を吐いたところをマダムに目撃されてしまうなんて不覚だ。いけないいけない、乙女が暗い顔をしていたら幸運が逃げてしまうわ。うふふふ。なんて考えている場合ではない。
「ちょっと悩みごとがありまして……」
「それはどんなこと?私じゃ力になれないかしら?」
真剣に心配してくれるマダムに胸がきゅうと締め付けられる。
私が悩んでいることなど十中八九衣装のことである。本当の身内のように接してくれるマダムには何でも言ってしまいたくって、ペロッと悩みを話してしまうのはいつものことだ。
「初めての仕事で衣装を仕立てているのですけど、いまいちパッとしないというか、もうひと工夫できそうなのですが何も思いつかなくて……」
「そうなのね……」
マダムはしょんぼりと眉尻を下げてしまった。
「あ、でもいいんです、これは自分で解決しないといけない問題ですし、浮かない顔で苦しんではいますが考えること自体は楽しいので!」
「萌稀ちゃんは今、やりたいことができているの?」
常日頃から夢のことについて語っていたマダムは私の一番の理解者である。
「はい!もちろん!」
「それなら良かったけど、あんまり無理しちゃダメよ?」
マダムはそう言うけれど、無理もしたくなるというものだ。
師匠との仕入れの後、師匠の店に帰った私は早速、新しく手に入れた生地を使って衣装を仕立て直した。それはもう烈火のごとく凄い勢いで。次の日に師匠が店を開けるまでの間は、必要最低限の生活以外は作業場に籠った。この場合の「籠った」は通常の意味での「籠った」である。念のため。
作業をしている間は、常に先日の衣装合わせで目に焼き付けた詩苑さんの姿を思い起こしていた。
そして完成に近づいたときに、やっぱり物足りなさを感じてしまったのだ。
何かが足りない。でも何が足りないのか、私自身が何を求めているのか、てんでわからない。
何かを生み出したくて、でもそれがどうしたら掴めるのかわからなくて、こういうときは心臓のあたりがムズムズしてしょうがない。次の衣装合わせまでには時間があるし、せっかくならそれまでには何か掴んでいたい。
ほとほと困り果てて藁にもすがる思い、というやつである。
しかしながら、またここで考えこんでも悪戯にマダムを困らせるだけなのはわかっているので話題を変えてしまおう。
「そういえばマダム、今日の私の格好どうですか?」
着ていたスカートを摘んでお上品に礼をしたあと小首を傾げてみせる。
「あら?ひょっとして新しいワンピースね?いつもの丈もあなたらしくて素敵だけれど、少し長めの丈だと急に大人っぽくなるわね」
「そうなんです!新しく自分で仕立てたワンピースなんですけど、」
そう言いつつマダムに背を向ける。
「これ、マダムにいただいた髪飾りに合わせてみました!」
一番に見せたかったマダムを肩越しに振り返ると、マダムは可愛らしく両手で口を覆って目を輝かせている。
本日私が着ているワンピースは、マダムにもらった黄色いお花の髪飾りに合わせて仕立てたものである。普段なら膝丈くらいを好む私であるが、髪飾りの上品さを損なわないために膝下の丈で落ち着いた雰囲気に。髪飾りを引き立たせるために淡い黄緑色に白の縦縞模様で、白いレースを所々にあしらっている。胸のリボンは髪飾りと同じ黄色にして、袖や裾は黄色い糸と瞳の色から取り入れた橙の糸で花柄を縫い取った。布を真っ直ぐ裁つのに失敗したりなど小規模の事故は起こったが、そこは装飾を増やしたりなどでなんとか補った。さも初めからそういう意匠でした、という顔をしておけば意外と目立たない。
そして最後にこめかみから三つ編みにした髪の毛を、髪飾りで留めて完成である。
「とってもよく似合っているわ。髪飾りもワンピースも!私の目に狂いはなかったわね」
「当然です。マダムの美的感覚は私が保証します!」
くるりとスカートの裾を膨らませながらマダムに向き直り、拳をあてて自慢げに胸を張った、その瞬間。
「お前に保証されても嬉しくねえ、無駄口叩いてないで掃除しろ」
店から顔を覗かせ、背後に現れた師匠にぐいっと髪飾りを引っ張られた。
後ろによろけそうになったのをなんとか堪えたが、折角気合いを入れて編んだ髪型が台無しである。
「何するんですか師匠!!」
「こら達華、女の子に乱暴したらダメでしょう?」
「そうですよ!師匠が髪飾りを無理やり取るからボサボサになっちゃったじゃない、ですか?」
言いながら私はあることに気づいた。
怒っていたはずなのに急に静かになる私に、師匠は訝しげだ。マダムは不思議そうにこちらを窺っている。
「髪飾りを無理やり取ったら、髪の毛はボサボサになりますよね?」
「なってるな」
私の当たり前の質問に師匠が無表情で答えてくれる。
「ついていたはずの物がなくなったり、服を着崩したりすると、みっともなく見えますよね」
「そうだな」
私はしばし考え込むと勢いよく師匠に向き直った。
「……師匠、お叱りは後で受けるので籠らせてください!!マダム御機嫌よう!」
「は?」
そう告げるや否や持っていた箒を師匠に押し付け慌てて室内に駆け込み、受付の台に置いていたクロッキー帳を広げて頭に浮かんだことを描き留める。
詩苑さんが歌うこの曲は、恋に落ちた男が振られたにも関わらず、女を忘れられなくて花を贈り続ける物語。表面だけさらうと一途な男が花を贈るだけの綺麗な詩だけど、花言葉の意味を調べていくとその執着や怨念みたいなものが感じ取れる。
詩苑さんが歌えばもちろん悲哀や喪失感は表現できるけど、せっかく衣装まで仕立てて作品にするならそれだけじゃもったいない。山蕗さんの編曲と縹さんの演出からもその辺りは窺い知れる。
この男がもっとどうしようもなく堕ちていくところを、衣装に絡めて表現できたら。
クラバットやブローチ、カフス、いろんな装飾を花に見立てて女に花を贈る詩とともに外していく。外す度に男の衣装が崩れていけばより心情が表現できるのではないだろうか。
「でも演出にまで関わるようなら私の独断じゃダメかしら……」
装飾を増やすということはそれだけ費用もかかることだし、縹さんが万が一新たな演出を考えていたとしたら不都合が生じるかもしれない。
「私の頭の中を共有するために、見本が必要ね」
前回の教訓を活かし提案のための作戦を練る。あの様子なら否定はされなさそうだけど、より具体的に完成像を伝えたい。
マダムを見送った師匠が中に入ってきた気がするけど、私にはもう何も聞こえていなかった。