11.師匠と白いシャツ
「達華といえばさ、あいつの退学直前に廊下を歩いてたら、唐突に話しかけられたことがあってさ」
『ちょうどいいところに』
『は?』
『お前のような見た目のやつに出会う機会もそうそうないだろうから、ちょっと付き合え』
「つって、白いシャツ十着…いや二十着くらい着させられたよ」
「にじゅっちゃく……?」
「そう、どの白いシャツが一番似合うのか検証だって。色とか形とか微妙に違うの」
な、なんだその検証、とてつもなく面白そうである。詩苑さんといえばサラサラで滑らかな指通りであろう輝く色素の薄い金髪に、髪と同じ金の豊かな睫毛に縁取られ、見つめられると吸い込まれそうに目が離せなくなる宝石のような不思議な光を宿す緑の瞳、白く透き通りそうな肌理細やかな白磁の肌、通った鼻筋、形の良い唇、取り立てて長身ではないものの、手脚は長く細すぎない均整のとれた身体という、誰の欲望を詰め込んだのかと言わんばかりのお人形さんのような見た目の持ち主である。
そんな詩苑さんに似合う服装なんて考え始めたらキリがない。初めて師匠と発表を観たあの日、詩苑さんの見た目を活かすための衣装案が、次々溢れて仕方なかった。この見た目にあの歌の技術を与える神とは不公平なものだと羨んだりもした。
きっと誰もが目を奪われて息を呑む美貌のその少年に、どんな白シャツが一番似合うのか……その検証は私も参加したかったし師匠の検証結果も知りたい。
「やっぱり萌稀もそういうの興味あるの?」
「それはもう!ただの『白』といっても黄色みのある白と青みのある白では印象が大きく違いますし、襟の形やボタンの位置、生地の質感も、少し違うだけで印象は異なります。通常は一緒に着るジャケットやズボンに合わせて選びますが、そういう余計なことを考えずにただ詩苑さんの素材に似合うシャツを選ぶ……この上なく難しいですが、是非とも師匠と議論を交わしたいですね」
突然熱く語りだした私に、詩苑さんが若干引き気味なのは気のせいだと思いたい。
「最終的には二つのシャツを手渡されて、右と左それぞれに袖を通せとかよく分からないことをさせられたけど」
確かにそれだけ白シャツがあれば、一つに選んでしまうのはもったいない。どういう雰囲気を際立たせるかによっても変わってくるけど、金髪に合わせて黄色みも優しげな雰囲気になるし、逆に青みにすると清潔感があって神聖な雰囲気になりそう。そこに白い糸で刺繍を施すと、主張しすぎずに神聖さに拍車がかかりそう。
しかし師匠も右と左で別のシャツに袖を通せだなんて、そんな衣装みたいなこと……。
と、そこまで考えたところではたと気がついた。
「あら?そうよ、別に一種類の布に拘らなくてもいいのね」
どちらか選べないのであればどちらも選んでしまえば良いのである。
改めて衣装を着た詩苑さんに視線をやる。
師匠の作業部屋に同じ色味で柄が入ったベロアか何かの生地があったな。全身柄ベロアはないと思って見送ったけど一部分に使うなら全然有りだわ。ついでに襟と袖も同じような色味の別の生地を使おうかしら。
「達華の変人伝説が何かのきっかけを与えたっぽい?」
「そうみたいだな」
「良かったね」
私を観察しながら話す三人に目もくれず、持ってきた鞄の中を漁り、予備で持ってきていた生地やリボンを取り出す。詩苑さんに勝手にあてがいながら頭の中で生地を組み合わせ、アイディアをクロッキー帳に描き留める。
大体イメージが固まってきたところでまた我に帰る。視野を広げると三人それぞれと目が合った。
「あら?また私、籠ってしまって……ごめんなさい」
三人の注目を一身に浴びて気恥ずかしさと申し訳なさで後退る。
「否、アイディアが浮かんだなら良かった!で、どういう感じ?」
視線でアイディアを共有することを促されている。助けて貰ったにも関わらず、また一人で籠ってしまった。今度こそ自分の意見を伝えようと、軽く息を吐いてから口を開いた。
「えっと、複数の種類の生地を使って仕立て直そうと思いまして。同じ色味の柄があったりなかったり、素材が違ったりする生地を組み合わせれば、派手になりすぎず舞台映えする華やかな印象になると思うので」
言葉にすると単純なことなんだけど、これが伝わるのか、自信がない。却下されたらどうしようという気持ちが滲んで声が小さくなってしまった。
「なるほど、確かにこのままだとちょっと印象が薄い?感じだもんな」
詩苑さんが衣装を見下ろしながら頷く。
「分かった、その修正はどのくらいでできる?」
縹さんにも予想外にあっさりと受け入れられてしまった。普段、師匠にコテンパンにやられているせいで反論もなく受け止められると本当に大丈夫なのか、少しだけ不安になる。
「ちょうど良い生地があるはずなので、一週間か二週間あれば恐らく」
「じゃあ二週間後に再度来てもらおうか」
「はい!」
衣装の直しは確定したものの、せっかく遠いところに足を運んだからとのことで、その後も三人の練習を見学させてもらった。
本番まで約二か月かけて完成させる定期発表のための演目は、その日の練習だけでも見違えるほど進化を遂げていて学ぶことが多かった。細かい演出もこれから増えるらしい。
来たときの不安はどこへやら、私も衣装の修正を頑張ろうと決意を新たにした。
帰りは校門まで詩苑さんに見送られた。衣装の入った鞄を受け取り、もと来た道を馬車が拾えるまで歩いていく。大きな街を繋ぐこの道は定期的に馬車が通る。学院の坂の下で待っていればいいものの、完全に浮足立った私はとにかく動きたかった。充実した衣装合わせと練習見学に、足取りも軽くスキップでもしたくなる。鬱蒼とした森の中の道をこんなにるんるん歩くのはきっと私くらいだろう。
空は雲に覆われ日が傾き始めた時刻の今は、だんだんと薄暗くなってきており、怪しくカラスの鳴き声が響いている。もしかしたら雨が降るかもしれない。
ふと耳を済ませるとガサリと枝が揺れる音がする。意識を音のほうに集中させると人の気配が近づいてくるのが分かる。
様子を窺いつつ足を止めた瞬間――。
刃物を構えた男がすぐ上の枝から私に飛びかかってきた。鈍い金属の光を視界に捉え、咄嗟に自分の眼前に両手をかざし、掌に魔力を集中させる。男との間に魔術で氷の壁を作り攻撃を防いだが、男はすぐに体勢を立て直しもう一度間合いを詰めてくる。片手でもう一度壁を作り二回目の攻撃を防ぎつつ、今度はもう片方の手で鋭利な氷柱を作り出し男に向けて飛ばした。氷柱は男の頬や服を掠め、男がよろけた隙にさらに氷柱を繰り出し木に縫い付けた。
――上手く魔術が作動して良かった。
動けないよう足下の一部を氷で固めて観察すると、男は目深にフードを被り鼻から下を覆面で隠している。薄いマントの下はくたびれた黄土色のシャツに青味がかったズボン、茶色のブーツという格好であるが、絶妙に趣味が悪い。否、私と死ぬほど美的感覚が合わない。
何がいけないんだろう…青の彩度が高すぎるからか、とはいえ着古しているからか色褪せも相当だし。あとは何より清潔感がない。どうせ大した素材でもないんだからせめて洗えばいいのに。汚れを落としてから出直してきてほしいわ。
つい癖で着ているものを観察してしまったけれど、そういえばこれは一体誰なのだろうか。今日の私は特段狙われるような身分に見える格好はしていないと思うし、恨みを買うようなこともしていないと思う。多分。
そんなことより急に攻撃されたからうっかり魔術を使ってしまったじゃないか。誰にも見られてなくて良かった。
ホッとしつつ首を傾げているとまた一つ、気配が近づいてきた。急に雲が薄くなった空を視界の端に感じつつ気配がする方を見遣ると、見慣れた色素の薄い金髪の美少年が木を伝って移動し、音もなく隣にひらりと舞い降りた。