10.一緒に作るということ
「面白くない!?」
私の発言に一番困惑を示したのは、たった今、一通り今回の曲を歌い終えたばかりの詩苑さんだった。
私は詩苑さんの言葉を聞き流し(正しくは頭に入ってきていない状態なのであるが)放置してじっと着られている衣装を詩苑さんごと観察する。
生地の色味?でもこれ以上明るくすると品がなくなるし、逆に暗くしすぎても衣装としては地味すぎる。柄を入れすぎてもいやらしくなるし、襟や袖の刺繍はもう少し増やしてもいいか。でも糸の色は慎重に選ばないと。主人公の男は一途に黄色い花を贈り続ける真面目な人。とはいえ詩苑さんの持っている外見の特徴も活かしたいし……。
「あ、あの…萌稀?そんなに見つめられると流石に恥ずかしいのですが……?」
漸く耳に届いた詩苑さんの声で我に返った。
「それも『籠る』ってやつ?」
「似たようなものかもしれません……考えごとに集中すると外の音をすべて遮断するので。申し訳ないです」
師匠との会話の途中で籠ることも多く、そういうときは大体どつかれる。
「はは、なるほどね。ぜひ今考えていたことを共有してくれると嬉しいんだけど」
詩苑さんの「考えていることを共有」という言葉にぎくりとした。
私なりに楽曲を解釈し、情景や心情を思い浮かべ仕立てた衣装であったが、体裁を整えるのに必死で衣装としての面白みに欠けている。いくらなんでも初めての仕事とはいえ、これは酷い。自分が自分を許せない。なんとか修正案を頭に描きつつもすぐにアイディアが出てくるわけでもなく、気持ちは焦るばかりで説明しようにも言葉が上手く出てこない。
これは私一人の問題ではない。私は依頼主の要望に添えねばならない立場である。でも私自身が持ってきたものに満足できていないことを知られるのも恥ずかしく、素直に考えていることを打ち明けられない。これは衣装係としての矜持の問題である。
どう伝えるべきか悩んでいると詩苑さんが続けた。
「たぶん考えているのは衣装のことだと思うんだけど、万が一俺の歌に不満があるとかでも率直な意見を聞かせてほしい。これってそういう場だから」
はて、歌のこと?歌のことに私なんぞが口を出すことがあるというのか。今のところ衣装以外に思考を割く余裕はないのですが。
全く想像もしていなかった言葉に理解が追いつかない。
「そもそも初参加の子に一番に意見を言わすって苦行じゃない?萌稀ちゃんだんだん険しい顔になってるけど」
思考が迷宮入りし、言い淀んでいた私を見て笑いながら山蕗さんが言った。
「それもそうだな。衣装については後で話し合うとして、いったん詩苑に突っ込みを入れるとしよう」
様子を窺っていた縹さんは詩苑さんをひと睨みしてから楽譜に視線を移した。
「縹の突っ込みの前に萌稀に褒められて自信をつけようとしたのに失敗したな」
「甘えんな。まずは十四小節目。ここは毎回言ってるがピッチが低い」
「ここ苦手なんだよなぁ……」
「次、二十八小節目からはこの間直して正解だったな。こっちの方が歌いやすいか?」
「ああ。次に繋げること考えるとブレスは今の方が楽」
「その次は……」
私が何も言えないままでいると、縹さんと詩苑さんは自然に、今やった演奏の振り返りを始めたようだ。この一回で縹さんが気づくことの多さにも目を瞠るが、それを飲み込み瞬時に修正をかけていく詩苑さんにも驚いた。
「びっくりした?」
呆然と二人のやり取りを眺めている私の横に、いつの間にか山蕗さんが座っている。
「へぁ!?いつの間に!?」
「いきなり意見求められて萎縮しちゃったかなと思ったんだけど 」
山蕗さんは少し困ったように眉尻を下げて私の顔を覗き込んだ。
「あ、いや、そうではないんですけど……」
「何かあった?」
柔らかそうな栗色の癖毛から覗くたれ目は優しそうで、けれども逃さないと言わんばかりにこちらを見つめている。
その瞳に誘導されて私は少しずつ考えていたことを打ち明けた。
「衣装担当としてここにいるのに自分の衣装に悩んでしまって…そんな情けないことを口に出していいものかと……」
「なんだそんなこと?」
恐る恐る心境を口にした私に対して、山蕗さんの反応はあっさりとしたものだった。納得できない私が眉根を寄せると、山蕗さんはあっけらかんとして続けた。
「今日は本番じゃないよ?」
しかし私には山蕗さんの言わんとしていることがいまいち飲み込めない。
「僕達は集団で一つのものを作っている。それはその日、急に出来上がったものではなくて、その前から準備をして漸く当日、人前に出せるようになるものだよ。当然それまでに何ヶ月も試行錯誤しながら少しずつ整えていくし、もちろんそれをお客さんには見せない」
そして縹さんと詩苑さんを見てその目を細めた。
「でもね、ここにいるみんなは一緒に一つのものを作り上げる仲間でしょ?だからお互い専門にしていることは異なっても、頼って意見を出し合うんだよ」
山蕗さんは私に向き直ると、膝に頬杖をついて一段と柔らかく微笑んだ。
「萌稀ちゃんも、衣装の担当ではあるけど、一緒に一つのものを作る仲間だから。一人で抱え込まずに相談してほしいし、衣装以外で意見があれば言ってほしい」
「相談……」
「そう、相談。一人で考え込んでも思考がまとまらなくて出口が見えないときってあるでしょ?だったら参考になるかどうかは置いておいて、いったん話してみようよ。何かしらの手がかりが掴めるかもしれない」
そこまで言われて私は漸く山蕗さんの言葉を理解した。今まで完成した作品しか観たことがなかった私には、青天の霹靂ともいえることであった。
商品として価値がつけられるものとは、一朝一夕に出来上がるわけではない。それまでに様々な人が関わり、様々な意見が取り込まれ、紆余曲折を経て世に出る。それは舞台芸術も同じ。企画され、練習して、準備を整えてから本番を迎えるのだ。
当たり前といえば当たり前のことを、「舞台芸術」や「集団で何かを作り上げる」ということを、私はどうやらちゃんとは理解していなかったようだ。端から一人で衣装を完成させようというのが烏滸がましいことである。
ならばと、私は重い口を開いた。
「あの、ですね。衣装がどうにも衣装らしくないと言いますか、色も生地もこれ以上のものは現状ないと思っているんですけど、物足りないと言いますか…」
自分の頭の中でも上手くまとまらない感覚を口にしてみるものの、これが伝わる自信はない。なんとなく山蕗さんと目を合わせづらく詩苑さんを見ながら説明していると、ふいにその詩苑さんと目が合った。
「なるほどね。とりあえず俺の歌が面白くないとかじゃなくて良かったあ」
詩苑さんは苦笑しながら大袈裟に胸をなで下ろした。振り返りをしつつこちらの会話にも耳を傾けていたらしい。
「なんだ、詩苑への文句じゃなかったか」
対する縹さんはつまらなさそうな物言いである。
「詩苑さんの歌を面白くないと思うわけないですよ!」
私は両手をぶんぶんと顔の前で振り、一生懸命に否定した。
今日だって仕事だと思ってなんとか意識を衣装に集中させていたものの、気を抜くと詩苑さんの歌に全神経を持っていかれそうになっていた。本当に素晴らしくて大変頭を悩ませてくれる。
だからこそ余計に、中途半端なものは作れないと思っているわけで。
「でも確かに、萌稀ちゃんが考えた衣装にしてはなんか普通だよね。この間、発表の後に描いてたやつに比べると」
相変わらず微笑んでいる山蕗さんに話題を戻され、私はぎくりとして動きを止めた。とても痛いところを突かれたと思う。
「今までにいろいろ考えてきてはいたんですけど、いざ実際に誰かが着る衣装を作るとなると、なかなか勇気が出ないものでして…」
観劇しては思いついたアイディアを描き留めて、自分だったらこういう意匠にしたいなどと自由に妄想を広げていた今までとは異なり、仕事として依頼を受けるということは相手がいる。その要望を聞き、着る人のことを考慮し、そして世に出すことになるわけで、責任というものを感じて臆病になっている自分を無意識下では理解していた。
だからこそ口に出したくない葛藤があったわけなんだけれども。考えれば考えるほど、情けない自分に嫌気が差してくる。
「それは意外!何が何でも我が道を突き進む質の人かと思った」
そんな私に対して目を見開いたのは詩苑さんだった。
それは失礼な、と言おうとして口を開いたものの直ぐにその口を噤んだ。冷静に過去の行いを思い返してみると、初対面の人の楽屋でしゃがみ込んでまでアイディアを描きとめたり、見ず知らずの人に住み込みで弟子入りしたり、「我が道を突き進んだ」結果が今のこの状況であることに気づいてしまったからだ。
とはいえそんなことはいったん横に置いて、私は私なりにこの仕事に多少の重圧を感じているが故の結果である。
「こちらのやり方もまずかったか?何しろ今まで依頼してたのが達華だったからな…あれは我が道を突き進みすぎて俺の意見に耳も貸さなかった」
縹さんも思うところがあるらしく、顎に手を置いて苦い顔をしながら呟いた。
「でも結果、仕立てられた衣装に文句はなかったんだから、あれはあれで達華に合ったやり方だったというだけだな」
最初からいきなり師匠を超えようなどと大それた考えを抱いてはいないけれど、自嘲気味に吐かれた縹さんの言葉は私の心にチクリと針を刺した。師匠に出来ることが私には出来ない、当たり前の事実を突きつけられたのだ。
自分の至らなさに、開いた穴から空気が抜けるように自然と頭が下がっていく。
少しだけ重たい空気になったのを感じ取ってか、そういえばと詩苑さんが徐に口を開いた。