【幕間】伝令と悪魔と弟分
前日から続く雨が少しばかり強くなった頃だった。
「自治会長はいるか」
その男はぶっきらぼうに自治会役員室に入ってきた。今更失礼だなんだと口煩く言うつもりもないのは、弟のように目をかけている詩苑の、大事な友人だからだ。
「どうした縹」
書き物をしていた手を止めて顔を上げると、縹の後ろには可愛い顔をして邪悪な空気を纏った、詩苑のもう一人の友人がいた。
縹が詩苑を伴わずここに来る時点でそれなりの用事であることは明らかだが、こちらの友人までついてきたとなると、輪をかけて面倒な気配がする。
「これを見た詩苑が殺気を撒き散らして出ていった」
縹が渡してきたのは深い緑色の封筒だった。中から取り出した手紙を見て絶句する。
「なんだこの趣味の悪い手紙は」
絶妙に読みにくい文章に、主張の激しすぎる薔薇の模様。何も言われずとも騒動の犯人が分かってしまうくらいには数々の面倒ごとをやらかした男が、久しぶりに動いたらしい。
「それで、状況はどうなっている」
「萌稀が数時間前から姿を見せていない」
「何だと?」
あのバカ、最近は大人しくしているから諦めたと思っていたのが間違いだったようだ。自分の読みの甘さに溜め息を吐いた。
私自身は新入生の歓迎会で一度話したきりだが、詩苑の入れ込みようは規響を介して縹から聞かされている。
「これを受け取ってから直ぐに詩苑が出て行った。どうせ央智は詩苑に何も出来ないだろうが、萌稀が心配だ。居場所に心当たりは?」
縹のこの様子からも分かる通り、縹組の衣装担当は彼らにとって余程大きな存在らしい。
「流石に分からないな」
学院はとにかく敷地が広い。校舎や寮以外にも大小様々な施設や建物が存在する。それこそ森の奥に作られた物置小屋でも使われた日には、ちょっとやそっとで見つかるものでもないだろう。
そうは言っても央智のやることだ。やつの行動を鑑みて候補を絞ろうと思考を巡らせると、ついに悪魔が口を開いた。
「ほんっと、こういうときに使えないんだから。普段はあれほど兄貴面しておいて肝心なときに役に立たない。その実力と身分を以てしてたかだか学生の一人も繋いでおけないならなんのための自治会長なわけ?詩苑一人が暴れて済む問題ならともかくとして、関係ない他人を巻き込むんだから騎士クラスの品位が知れるよね」
その栗色の柔らかそうな髪の下から覗く琥珀色の瞳が、鋭くこちらを刺した。黙っていれば人畜無害そうな顔をしているのに、一度口を開けばその顔に似合わない毒を吐き続ける。
私が詩苑の兄貴面をしているのは間違いないので、今回のように詩苑を刺激することが起こると、こうして文句を言いにやってくる。縹組の衣装担当が絡んでいればなおのことだろう。
本来の立場を考えれば不敬極まりない態度故に、毎度室内がピリッとした空気になるのも仕方がない。しかしここは学院だ。学生たちが何の不自由なく過ごせるように動くのが私たちの役割である以上、この悪魔の如き主張も間違ってはいない。
そして央智が問題を起こすのもまた、初めてではない。毎度どんな罰を与えようとも諦めないあいつにも問題があるが、それを御せないようでは騎士団に入ってからも苦労するだろう。それもまた、間違いではないのだ。
もっというと詩苑と央智がぶつかると、学院が破壊される。これ以上の損害は避けたい。
「二人の居場所はそのうち分かるだろう。兎種と刻和は二人の魔力を辿ってそちらへ向かってくれ。出来れば止めろ」
二人が出会えば必ず央智が詩苑を攻撃する。大きな爆発音や魔力がする方に行けば大体見つかる。
「うわまじっすか。止めるのは任せたぞ兎種」
「俺にも無理だよ…」
「騎士クラスで普段何を学んでいるんだか」
自治会役員に指示を出すと二人して情けないことを言うものだから、悪魔の毒が私以外にも及んでしまった。自業自得だろう。二人は顔を引きつらせつつ早々に出て行った。
「祢珠は私と先に教官室だな」
「ああ」
途中だった書き物はさっさと横に片付けて立ち上がると、自治会で会計を担当する付き合いの長い相棒も立ち上がった。
央智は何かと派手にやらかすから、その度に騎士クラスの教官へ報告を上げねばならないのだ。他のクラスの学生を巻き込んだとなれば余計に。
「今後の対応も期待しているぞ」
縹はそう言うと、用は済んだとばかりに悪魔とともに立ち去った。
「縹さんも山蕗さんも相変わらずね」
「仕方がないわよ、相手は例の彼女なんだもの」
残された役員が呆気にとられるのも無理はない。窓の外を一度確認してからローブを羽織り、私もまた相棒と共に外に出た。
教官室に寄ってから詩苑の魔力を辿っていくと、途中で央智を運ぶ兎種と刻和に行き会った。
兎種に担がれた央智は気を失い伸びてはいるが、外傷の少なさを見るに大して時間もかけずにやられたのだろう。詩苑が手荒に事を済ませたと考えると、人質の相手が如何に良くなかったかが分かる。少しだけむず痒いような、不思議な感覚がした。
「気持ち悪い顔をしていると詩苑に嫌われるぞ」
隣を歩く相棒に冷ややかな声をかけられる。
「これが親心なのだろうか」
「知らない」
更に詩苑を追っていくと、最近ではあまり使われない鍛練場に辿り着いた。端に並ぶ建物に近づくと、その中の一つから詩苑が出てきた。
「詩苑、どうした」
慌てて声をかけると、私に気づいた瞬間、氷の塊を飛ばしてくるではないか。避けられる程度には手加減をしてくれてはいるものの、相当に虫の居所が悪いらしい。
「どうしたもこうしたもあるか。縹から聞いているんだろう」
「簡単には」
「ならあいつをどうにかしろ。これ以上萌稀に手を出すならただじゃおかない」
私は予想外の事態に驚いた。今まで央智が詩苑にちょっかいをかけることは何度もあったが、詩苑が央智に対してここまで怒りを露わにしたことはなかった。どちらかといえば自分の立場の不条理さや自分の無力さに打ちひしがれていたからだ。央智の相手をすることは、ある意味その感情を発散させるのに役立っていたとも言える。
ましてや詩苑に守りたい仲間や友達なんて、存在しなかった。
そんな詩苑の変化に、私はただただ驚いた。雨の中、詩苑に大事そうに抱えられた女学生は、青い顔をして気を失っている。
詩苑にそんな距離で守りたい相手がいるという事実が、不謹慎ながらも私の胸を熱くさせた。
「ああ。分かった」
私が返事をすると詩苑はさっさとその場を立ち去った。
「…泣くなよ」
その場に立ち竦んでいると、相棒に背中を叩かれた。
「これが親心か」
雨が降っていなかったら、詩苑から一発くらっていたかもしれないな。帰ったら規響に手紙でも書こうと思う。
あけましておめでとうございます。
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