8.初めての打合せ
「あ、じゃあこちらへどうぞ」
王都の隅に佇むこの仕立屋は、お世辞にも広いとはいえない庶民的な建物である。豪奢な応接室は言わずもがな、専用の接客場所すらもなく、私は二人を普段の作業場へ案内した。何故ならそこにしか、四人で座れる広さと机が無いからである。
ささっと四人分のお茶を出し私も席に着くと、師匠に見守られながら作品の打合せ兼衣装の要望の聴き取りが始まったのだが。
「まず今回の題材は…」
「あ、あの」
私には事前に伝えるべきことがある。意を決して説明を始めた縹さんの言葉を遮った。
「どうした?」
「その…大変言いづらいのですが…私まだそんなに作れるものが多くなくてですね…」
「あぁ、その辺のことなら気にしなくていい。達華は何も言っていないと思うが大体のことは聞いている」
「師匠いつの間に!?」
椅子の背もたれに身体を預け、足と手を組んだ師匠は暇そうに窓の外を見ながらあくびをしている。照れ隠しにもほどがある。
分かっていますよ、師匠。私のこと本当は心配してくれているんですよね。私は内心でニヤリとした。
「今回俺は課題曲を与えられていてね。山蕗に編曲はしてもらっているんだけど、曲自体の特徴は保ったままで、それに合わせた衣装を頼みたい」
「そうなると演出もそんなに手を加えられないからな、曲に合わせて小道具を使うくらいだ」
「なるほど」
話しながら縹さんが企画内容が書かれている書類を差し出した。
「予算はこのくらいで考えているんだが」
「よさん…?」
「予算、もしくは報酬とも言うか」
聞き馴染みがない単語に固まった私を見て、師匠が溜め息を吐きながら頬杖をついた。
「仕事として依頼されてんだから当然だろうが」
知っての通り、今までの私はというと師匠の下で必死に家事などの雑用をこなしつつ、刺繍でお店のお手伝いをしていたわけで。その他にやっていたことといえば簡単な裾上げとか、ボタン付けとか基礎中の基礎ばかり。採寸だってまともにやったことがない。
少しずつ知識を教えてくれてはいたものの、あまりに素地が無さ過ぎたために最近ようやくミシンを触らせてもらえるようになったという具合である。
そしてこの仕事が決まってからというもの、今までの比じゃない量と早さで扱かれていた。
しかしお店に出せるような技術にはたどり着かず、未だに商品として自分の作品をお店に出したことがなかった。
となると、当然一人で一着仕立てるような仕事ができるわけがない。そのため生活費以外にはお手伝いの見返りとして、僅かばかりのお駄賃をもらっていた程度の金銭感覚であった私には、「予算」や「報酬」といった概念は無縁なのであった。
「その辺りを相談したくて達華に同席してもらったわけなんだが」
縹さんが師匠に視線をやると、師匠は悪魔のような笑みを浮かべてこう宣った。
「萌稀、必要な材料費の五倍くらいもらっとけ」
「ひえ!?」
あまりの悪魔ぶりに変な声が出てしまった。何を言い出すんだこの師匠は。材料費の五倍はぼったくりというやつなのでは!?
突然の師匠の暴言に狼狽えて目の前の二人の顔を交互に見るも、二人は真剣な顔で師匠を見つめている。
あれ、慌てているの私だけですか!?
「いいか、最初の仕事の報酬なんてほとんど勉強代だ。提示された予算の中でやろうと思ったって絶対に失敗して材料費が嵩むんだ。今のお前じゃ技術料として付加価値を乗せられるわけでもないんだし、利益なんて出るはずもない。だからふっかけるだけふっかけときゃいいんだよ」
さも当然かのように言っているけど、ふっかけるにしたって限度というものがあるのでは?と思いつつ、でも確かにまともに一着も仕立てたことのない私にしてみれば予算内にことが済む自信もないし、相場なんてのも知らないので何も言えない。そうだとしても、それは商談相手を目の前にして堂々と言って良いものですか?
「なるほどな。俺たちとしても然るべき技術料を支払わないのは本意ではない」
師匠の言葉を飲み込み、しばし考えていた様子の縹さんが書類に何か書き込みながら続けた。
「じゃあこういうのはどうだ。こちらからの材料費の目安はこれくらい。これで仕立ててもらって、最終的に失敗分も含めてかかった材料費と出来上がりを見てから報酬を決める」
もともとあった予算を消して、新たな提案を書き記した書類が差し出された。
「随分お優しいこって」
師匠はつまらなさそうに視線を逸らして溜め息を吐いたが、「ま、いいんじゃね」と若干投げやりに同意した。
「萌稀も、それでいいな?」
優しい口調ではあるのだが、少々目つきの悪い縹さんに真っすぐ見つめられると緊張もするというものだ。文句を言える立場ではないし言うつもりもないのだが、萎縮して若干目が泳いでしまう。
「は、はい…!」
「決まりだな。予算の目安はこのあとの打合せで多少前後しても構わない。全体の構成は詩苑から」
あっさり決まってしまった。普通の商談とはこうもあっさりしているものなのだろうか。
そして流れるように次の説明が始まる。
「はいよ。それで今回の課題曲はこれね、楽譜は読める?曲自体は有名らしいから知っていると思うけど」
楽譜に書かれた曲名を見るに、少し前に流行った大衆音楽であることが分かる。
「この曲なら分かります。女に裏切られた男の執念みたいな曲ですよね。こんな曲が課題になるんだ」
比較的きれいな旋律が耳に残る良曲なのに、歌詞をよく聴くとそれはまあ男の執念や恨みつらみがこめられたやっかいな曲なんだと、誰に聞いたことであったか。
「そうそう、よくそんなことまで知っているね。俺の担当ちょっとやらしい先生でね。確かに俺の練習にはなるんだけど…」
詩苑さんは苦く笑った。曲の好みはそれぞれあるだろうから、気に入らない曲だと大変そうだなと他人事に思う。
「そうしたら基本は、その主人公の男を想定した衣装ですよね」
私は左手を顎にのせつつ右手でペンを走らせ始めた。
主人公はそれなりの身分の男、貴族の正装であれば余計に悲恋が醸し出されるであろうか。しかしあくまで舞台衣装。何か一つ大きなモチーフを入れたいところ。
楽譜を捲りながら音楽記号や歌詞に目を通していく。
「ああそっか。この曲、事あるごとに花の名前が出てきますよね。編曲もそれに合わせて速度が変わるんですね。ここまではアンダンテで純粋に相手を思う気持ち、このあたりからアレグロを挟みつつ急にレントに落ちるから恨みへと変化していって…」
であればその速度が変わるときに衣装にも何か仕掛けを入れられると面白いな、でもそのあたりは演出もあるし、小道具がどうのって言ってたな、と思考を巡らせながら動かしていた手を止め、演出担当の縹さんに話しかけようと顔を上げた。
すると縹さんも詩苑さんも目を見開いてこちらを見つめている。
「私、何か変なこと言いました…?」
「いや、むしろ的を射すぎていて驚いた」
「最初に目をつけるのが速度記号と心情の変化なんだ?」
縹さんがほう、と息を吐くと、詩苑さんも同じように息を吐く。
なんというか、複雑な心境だ。とりあえず悪くない反応であることはわかる。「驚いている」ということは、予想と違った、ということなのだろう。
単純に解釈の程度を低く見積もられていたというのであれば、舞台愛好家を舐めないでいただきたい、と思う。逆に予想を超えて「良い」という判断なのであれば重畳だ。
舞台愛好家の矜恃と、褒められたことに対する嬉しさが私の中でせめぎあっている。
まあ確かに、仕立屋の住み込みアルバイトごときが楽譜まで読んで解釈を述べるなんて、普通ならあり得ないのだろう。
だが私の情熱はそんな常識すらも超えてみせる。なぜならそれは、好きなことだから。
「それで、小道具での演出というのはどういう?」
「ああ、それは…」
楽譜の解釈にのめり込むと、時間はあっという間に過ぎた。
初めは無表情で、時折窓の外を見つめながらこちらに耳を傾けていた師匠であったが、順調に進むこちらの打合せの様子に安堵したのか、途中からは自分の作業に戻っていた。
「よし、これである程度は固まったな」
「そしたら次回は衣装を形にしてもらってから、詳細をつめようか」
「分かりました。頑張ります」
方向性を決めてしまうと、縹さんは広げたものを片付け始めた。
「なかなか良い解釈だったな」
「俺たち衣装については全然詳しくないから任せっきりになっちゃうけど、楽しみにしてるね」
「頑張って仕立てますね!」
引き受けたからには精一杯やるのみ!
【突然の音楽用語】
アンダンテ(Andante):歩く速さで
アレグロ(Allegro):速く
レント(Lento):遅く