悪役令嬢がヒロインルートに入ったので、私は退場させていただきます
これは、乙女ゲームの世界に転生したが故に、断罪を避けられないヒロインの物語
不運な事故で死んで、乙女ゲームの世界に転生するってよくあるよね!
高校の下校中に駅のエスカレーターから転落し、私はあっさり死亡した。
そして気付いたら、世間で話題の乙女ゲーム『恋する貴公子達』の世界に転生していた。ヒロインとして。
これ見た。ネット小説で散々読んだ。
ヒロインに生まれ変わったから推しキャラとイチャイチャ出来るわ!
だがしかし、同様に転生していた悪役令嬢が、断罪回避のため前世の知識でチート無双して、推しキャラ達に愛されて、逆にヒロインが驕り昂って断罪されるヤツだと。
確認の為にゲームの舞台となる学園を覗いてみたら、悪役令嬢と、本来ならとっくに辟易している筈の婚約者の王子が、仲良く寄り添っていたし。なんなら、騎士団長の息子、宰相令息、悪役令嬢の義弟とも仲睦まじくしていた。
もうオワタ。私の入る余地ないじゃん。何の為に生まれ変わったの?悪役令嬢が幸せになる為の踏み台?
本当なら学園にも入学したくなかったが、前世の記憶を思い出す前に、可愛くて賢くて健気で天使なリナちゃんとして、有名になってしまった私は、国民の教育環境の見直し及び改善の試金石と言う、国のプロパガンダに利用される事が決定していた。
そして有無を言わせず、私は編入生としてフランク学園へ入学するのだった。
ヒロインのリナが学園に編入した。
わたくし、悪役令嬢アウリス・デ・ラマルティーヌ公爵令嬢を、断頭台へと送るヒロインが。
素直で天真爛漫で、桃色の髪に青空色の瞳、体は小柄で華奢なリナ。
婚約者である王子は瞬く間に彼女に恋に落ちる。義弟も自分をいじめる義姉をあっさり捨てる。幼馴染の騎士団長の息子も、同じ家庭教師を師事する宰相令息も、可愛らしいリナに恋をするのだ。
菫色の髪と同じ色の吊り上がった瞳、肉感的な体を持つわたくしとは大違い。
愛される為に生れてきたリナに、悪役令嬢のアウリスが太刀打ちできる筈がなかった。
そして醜い嫉妬心を燃やし、彼女に牙を剥くのだ。
このまま行くとわたくしは、王子の恋人を害したとして、斬首刑の未来が待っている。他の攻略対象者でも同じ様な結末で、良くても国外追放だ。
勿論リナをどうこうしようなんて思っていない。王子達とは良き友人関係を築いてきたと思っているし、家族や使用人達とは、強い信頼関係があると信じている。
リナが誰を選ぼうともわたくしは邪魔をしたりしないし、協力するのも吝かでない。
物語の強制力がどこまで有効なのか分からないけれど、わたくしは絶対に、悪役令嬢になったりしない。
この乙女ゲームの世界で、平和に平穏に生きて行くんだ…!
「あなた、庶民の癖に殿下に近付くなんてどういうつもり!」
「それに、そのご友人達にも色目を使っているそうじゃない!」
「貧乏人が高貴な方々に擦り寄って、一体どう言うつもりでしょう。ああ恐ろしい!」
編入して僅かに一週間。私は悪役令嬢の取り巻き(仮)に絡まれていた。
(仮)なのはゲームで彼女達は、悪役令嬢の手となり足となりお囃子となり、リナの何もかもが気に入らなくて、悪役令嬢と共にいじめを繰り返す。
しかし現在の悪役令嬢は、婚約者達と仲睦まじく学園生活を送っており、いじめ何てちんけな事には素振りさえ見せていない。
「殿下方とは一度しかお会いした事がありません。困っていた所を偶々助けて頂いただけです」
王子は迷子になっていた所を助けられ、悪役令嬢の義弟には落とし物を拾って貰い、騎士団長の息子には、庶民出身を揶揄されていた所を助けられ、宰相令息には図書室で偶然鉢合わせた。
何と言うヒロイン力。全く狙ってないのに、悉く攻略対象者達とイベントが発生している。
しかも全現場を悪役令嬢に見られている。
その度に『困っていた彼女を助けただけだ!』と、浮気男みたいな言い訳をする攻略対象者達。悪役令嬢は『やっぱりあなた達は惹かれ合う運命なのね…』的な、悲しそうな顔をして無言で去って行く。それを追い駆ける攻略対象者。取り残される私。
…もうよそでやってくれ。
「嘘を仰い!殿下はアウリス様の婚約者なのよ!お前みたいな下賤な者が近付く何て汚らわしい!」
「アウリス様程、国母に相応しいお方はいないわ!画期的な発明で医療水準を向上させて、国内外に名を轟かせたのよ!」
「更に長年犬猿の仲だった隣国との関係を改善させ、来年度の皇太子殿下の留学まで成し遂げたのよ!」
ええ~…、悪役令嬢めっちゃチートしてるじゃん。絶対転生者じゃん。ゲームと前世の知識活かして、断罪回避に勤しんでんじゃん。
取り巻き(仮)が聞いても無いのに色々教えてくれたので、悪役令嬢の状況が大まかに把握できた。
王子を筆頭に完全に攻略されている。間違っても、断罪される事はないだろう。
しかも隣国の皇太子って、続編のメイン攻略対象者じゃん。進捗順調すぎない?オーバーワークじゃない?
リナが違う方向で泣きたくなっていると、近くの茂みから物音がした。
嫌な予感がする…。これまでの経験上、あの人が…でた~!
困惑の表情を浮かべた悪役令嬢アウリスだった。
偶然通りかかっていじめを目撃して、ヒロインは天敵だと知りながらも黙って見ていられなくて、義憤に駆られて出てきてしまった悪役令嬢様や~!(予想だけど多分あってる)
「あなた方、これは一体何の騒ぎですの?」
「ちっ違うのですアウリス様!わたくし達はこの無礼な小娘に一言注意を…!」
「アウリス様のご威光が理解出来ない小娘に、教育的指導を…!」
「全部この小娘が悪いのです!身分を弁えないこの小娘が…!」
何で一斉に一話目で消える、モブ悪役みたいな言い訳するの?と言うか、小娘言うなや。私が小娘ならあんたらも小娘だからね!
「三人で詰問する必要がありまして?こんな人気の無い所に呼び出して。わたくし同級生の方達が、誤解を受ける様な事をなさっていたら…、悲しいですわ…」
はふうと、片手を頬にあてて嘆息を吐く。エロい。片腕は心細い自分を支えてるかの様に胴体に。腕に胸が乗っている。デカい。
取り巻き(仮)達は言い訳ばかり繰り返し、悪役令嬢は取り巻き(仮)達に、私への謝罪を求めている。
もういいよ。私の事は放置していてくれ…。
その時、再び茂みから物音が。
何だ今度はと、うんざりしながら音の方向を見やると、あらまあ何と言う事でしょう。王子様とその他、攻略者様ご一行がこんにちは!
てっ、なんでやねん!
あんた達、この国でも指折りの大貴族じゃないの⁈何でそれがデフォルトかの様に出て来るの⁈
「アウリスこんな所にいたのか、探したぞ」
「殿下…。それに皆も…」
「姉さん何をしているんです?」
「アウリス嬢、そのお嬢様方はご友人ですか?」
「君達、一人の令嬢を囲って何をしてるんだ?」
悪役令嬢の義弟、宰相令息、騎士団長の息子が順に尋ねてくる。
待て待て。唯でさえ混沌としている状況を、更にカオスにするな。
ほら攻略対象者勢ぞろいで、悪役令嬢が戸惑ってるじゃないか。『ヒロインをいじめてると思われてる!やっぱり私は断罪される運命なのね…!』みたいな顔して絶望しているじゃないか。取り巻き(仮)達よ、大丈夫か息してるか?
「アウリス一体どうしたんだ。顔色が悪いぞ。こんなに震えて…。ん?そこに居るのは編入生のリナ・アボット嬢じゃないか?彼女と何か…」
王子が私を認識した途端、もう耐えられないと、悪役令嬢はその場から駆け出した。
「アウリス!」
咄嗟に引き止めようとした王子の手を躱し。
「姉さん!」
立ち塞がった義弟を華麗に無視し。
「アウリス嬢!」
温室培養箱入り宰相令息はお話にならず、一秒も足止められない。
「アウリスちゃん!」
これは凄い!未来の近衛騎士団隊士のディフェンスを躱したぞー!何て優雅なターンだ!彼も呆然と何も掴めなかった己の手を凝視している!
あんたらそればっかりだな。悪役令嬢には、遭遇と回避のスキルが備わっているものなの?
放心していたのは束の間。しかしその間に悪役令嬢の姿は彼方へと消えて行った。
お嬢様なのに健脚すぎる。前世は陸上部だったのかな~。
王子達は現実逃避するリナを放置して、慌ててその後を追って行った。
はっ待て。人生詰んだと嘆いて崩れ落ちている、この取り巻き(仮)回収どうするの?
ちょっと、責任取って持って帰ってよ~!
※※※※
「リナ・アボット。君をここに断罪する!」
どうしてこうなったと、私は立ち尽くす。
定期的に行われる学年集会。教師の話も終わり、ではお開き…と言うタイミングで、第一王子が壇上に現れ、戸惑う生徒達を前にそう宣言した。
私の周囲からは、あっと言う間に人が居なくなり、スポットライトが当たっているかの如く、ぽっかりと取り残される。
その台詞は、この場面は、リナの名前以外は、悪役令嬢が断罪されるシーンのそれだった。
どうして。私は最初の一回以外、直接王子達と話した事すら無い。『ヒロインらしく、攻略対象者と結ばれる為、邪魔な悪役令嬢を排除する』と言う、逆断罪ルートは徹底的に避けた筈だ。
取り巻き(仮)に追及された時も、悪役令嬢と直接会話すらしていないし、まともに顔を合わせたのはあれが最初で最後だ。
王子の他にも、悪役令嬢の義弟、宰相令息、騎士団長の息子も揃って、リナを壇上から冷たい目で見下ろしている。
「何の、こと、ですか…」
「白を切る気か。君が編入してからというもの、学園が動乱の渦中の様な有様だ。アウリスは君を見る度に怯えている。公爵令嬢の彼女が、庶民の君に怯える何てあり得ないだろう?聞けば、高貴な男性と縁組を狙って、アウリスに圧力をかけていたそうだね。『特別に許された編入生』の意味を履き違えてないかな?それは礼儀を無視して好き勝手しても良い、という事ではないんだよ?」
「姉さんはあんたと違って、未来の王妃となる人なんだぞ!それを知っての行いか?国家反逆罪を疑われたって、文句は言えないぞ!」
「貴女の編入は、国家プロジェクトの一環というのを忘れていませんか?我が父、宰相閣下から直々に言明された事、忘れたとは言わせません」
「身分云々関係無く、人として許せない行動だ!騎士道を志す者として、君を許す事は断固として出来ない!リナ・アボット、罪を受け入れて処罰されたまえ!」
私の言い分を聞かずに、言いたい事を言って満足気する王子達。そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだ。切っていいよね?よ~しぶった切る!
「殿下!それに皆も…!」
「アウリス。やっと君を恐怖のどん底に突き落とす毒婦を成敗できるよ」
「誤解ですわ殿下!わたくしは彼女に何もされていません!」
「だったらどうして彼女を見かける度に怯えて、『殿下がいつ婚約破棄を申し出ても、わたくしは覚悟が出来ております』何て言うんだい?そう言う様に脅されていたんだろ?」
「違う…、違うの…!」
おい悪役令嬢。突然登場したと思ったら、いきなり痴話喧嘩すな。王子達は、こんな時でさえ悪者を庇える君は、まるで聖女の様だ…と、うっとりした瞳で見つめてるな!
アウリスは涙を浮かべながらリナを振り返った。何か言おうとして、でも恐怖に震えて縮こまる。
「この期に及んでまだアウリスを追い詰めるのか!学園追放では生ぬるい。いっそ極刑に…」
「喜劇はもういいです」
冷淡な声が自分に向けられたとは思わず、王子は更に誰かが加わったかと、辺りを見渡した。
しかしそこに居たのは、遠巻きにされ奇異の視線を浴びるリナだけだった。
「喜劇だと…。貴様苦しむアウリスの姿を楽しんでいるというのか⁈何処まで性根が腐って…」
「いや、愉快なのは圧倒的に殿下達です」
「なっ何だと⁈」
「そもそもの根幹が間違っているのに、同じ展開を何度も見せられたら、飽きてくるんですよ。天丼は精々二回までにしておいた方が良いですよ」
リナ以外の全員が絶句して、何が起きているか理解に苦しんでいる。あと天丼って、何だと。
王族に対する不遜な物言い、自身が断罪されている側なのに、愚者はお前達の方だと言いたげな態度。彼らは、異星人と対峙しているかのような心地になった。
「リナ・アボット!殿下に対して不敬であるぞ!今すぐ謝罪したまえ!」
「ああ、宰相閣下の…。そもそも私リナ・アボットじゃないですし」
「は?突拍子も無い事を言って、場を混乱させようとしても無駄だぞ」
「違います。私リナ・キュリーです。結婚したので」
そう私キュリー夫人なの。
「は…?」
「編入前に入籍したんです。学業と家庭の両立は無理だと、宰相閣下にお話して編入辞退を申し出ましたが、もう決まった事だからと、旧姓のまま通う事を強いられました」
別に苦肉の策では無い。
幼馴染のジャックが、「高貴な連中に惹かれる前に、俺の事を男として意識して欲しい」と告白してくれたのだ。
会った事も無い話した事も無い、好きでも無い興味も無い、他の女に靡いてる男より、自分の事を一途に思う、幼馴染に惚れるのは自然でしょ?
貴族は婚約発表・開示期間があって、最低でも一年は入籍までに時間が掛かるが、庶民にはそんなもの無い。
気持ちが盛に盛り上がった私は、即両親から結婚の承諾を取り、即ジャックを教会に引き摺って行った。
ジャックは若干呆れていたが、惚れた弱みなのか何も言わず(超絶嬉しい)、告白した日に結婚すると言う荒業を受け入れてくれた(超スキ結婚しよ。あっ、今したわ!)
「在学中に入籍何てあり得ない…」
まあ学園は、より良い結婚相手を探すお見合い会場みたいな意味もあるしね。結婚=仕事みたいな認識の貴族には、お互いの気持ちで結婚する庶民の考えは、とんと理解出来ないのだろう。
「ついでに言うなら、国王陛下もご存じの筈ですよね?なんせ名誉学園長ですから」
異例中も異例の庶民のフランク学園編入。しかも国策である。国王が私の身上を知らない筈が無い。結婚の事実も。
自分達の都合の為に、逆らえないのを良い事に庶民を利用する。しかも既婚の事実を隠されて。どっちが『悪』なんだか。
喜劇の役者達も、事態は理解出来たらしい。
宰相令息は、自分の父親の卑怯な振る舞いに肩を震わせ、王子はまだ受け入れたくないのと、父への猜疑心で表情を曇らせた。
「お前が、俺達に媚びて来たのは…」
「ラマルティーヌ令息様。何度も言いますが、その事実はありません。編入自体嫌だったのに、媚びもへったくれもないでしょう?」
学習能力の無いお坊ちゃまに、諭す様に優しく言ってやると、子供扱いされて屈辱なのか、赤面して震えている。
「富と権力を目の前にして、夫から乗り換えるつもりだった…」
「はあ?脳みそまで筋肉になった?だったらそもそも結婚せずに、黙って編入すればいい話でしょ?私が新婚早々浮気する女だと言いたいの?騎士道の必修科目に『良心』ってないんですかぁ?」
私の不貞を疑った色ボケ騎士見習いを睨み付けると、デカイ体を竦ませて固まっている。
もう宜しいでしょうかと締め括ると、場は静寂に包まれた。大勢の人間がいる筈なのに、衣擦れの音すら罪であるかの様に、誰一人物音を発さない。
攻略対象者達は、女性からこんな仕打ちをされた事など人生初なのだろう、許容範囲を越えたのか完全に沈黙している。
何も反応がない、ただの脱け殻のようだ。
そうだ、肝心な事を言い忘れた。
「公爵令嬢アウリス・デ・ラマルティーヌ様」
婚約者達の暴挙、からの威信暴落を目の当たりにして、脳が麻痺してしまったのか、アウリスは機械仕掛けの人形の如く、ぎこちなく反応した。
「は、い…」
「そもそもあなたが、徒に私を意識して怖がったのが原因ですよ。一体何が不安だったんです?」
「わたくしは…」
「悪役令嬢だから婚約破棄されて、断罪されると?それを防ぐ為に努力して来たんじゃないの?あなたは自分の努力も、自分を愛する殿下達の気持ちも、踏みにじったって、どうして気付かないのよ?」
はっとアウリスが目を見張った。
「リナ…あなた…」
問いには答えず、私は壇上のアウリスや攻略対象者達を一瞥して、更に周囲の生徒達を見回してにっこり微笑んだ。
「では私はここでお暇させていただきますね。後はこの物語の主人公達にお任せします」
制服のスカートを摘まみ上げ、極上のヒロインスマイルを花開かせ、私は学園を去ったのだった。
乙女ゲームの舞台であるフランク学園に、主役である『リナ・アボット』が現れなかった時点で、この物語はリナの手から離れていたのだ。
アウリスは『悪役令嬢』である自分に向き合っている様で、『ヒロイン』から逃げ続けて現実を見ていなかった。
全て杞憂だった事にもっと早くに気付いていれば、只幸せな日常を送れていたのに。
※※※※
「リナ、言われた通り迎えに来たけど、まだ授業の時間じゃないのか?」
「ジャック!来てくれたのね!さすがお貴族様の使う伝令、仕事が早いわ!」
「なあ何があったんだよ?物々しい上に場違い過ぎて、俺昼飯吐きそうだ」
「吐いたら私が幾らでも作ってあげるわ!これからは、主婦業に専念出来るだろうからね!」
「まず、吐かせないようにしてくれないの?専念て学園は?」
「こんな所熨斗付きの退学届け出して、さっさと出てってやるわよ!私はキュリー夫人するのに忙しいの。歴史に名は残さないけど、夫に愛され愛する良き妻として、ご近所に名を轟かせるの!子供は子孫を含めて百十八人よ!」
腕に抱き付いて楽しそうにする妻を見て、何かやらかしたなと察したが、ややこしそうな気配がしたので、ジャックは聞かない事にした。知らなければ、何もなかった事にしていいのだ。うん、そうだ。きっとそうだ。
それに、妻が笑顔で幸せそうにして、側にいてくれる。
これ以上の幸福は、自分一人では受け止めきれないので、早く家族を増やして対応しなくては。忙しくなるぞ。
乙女ゲームのヒロインリナは、夫と共に幸せに包まれながら、学園から退場して行ったのだった。
……………筈、だった。
本日は様々な困難を乗り越え、めでたく結婚を迎えた新郎新婦の晴れの日。
国一番の大聖堂は、着飾った来賓客で溢れかえっていた。
神話の世界を描いた巨大なステンドグラス。柱の一本一本にまで施された金銀装飾。この日の為に国中から集められた多彩な花々。
しかし天上の楽園も斯くやと言う光景も、霞ませて程の美しさを放つ者がいた。
本日の主役の一人、花嫁である。
リナは花嫁の控え室で一人手持ち無沙汰にしていた。
会場の準備はその専門の人が全て滞りなく済ませた。衣装も化粧も完璧。来賓への挨拶は披露宴のあと。
やる事がない。暇だ。
花嫁の控え室にまで花が所狭しと飾られ、室内はむっとする程匂いで充満していた。
換気しておいた方がいいかな…。
窓を開けようと近寄ると、扉がノックされ返事をする前に開かれた。
「…何をしてらっしゃるのです?」
「換気をしようと思っただけよ。何、逃げると思った?」
「あなた様の今までの言動を省みて、そう結論に到っても仕方がないと思いませんか?」
「心外ねぇ」
肩を竦めて言ってやると、控え室に入って来た女性はむっと顔を顰めた。
「今さら逃げないわよ。これで縁が切れると思うと清々するもの」
「っ…!貴様…!」
その時再び扉がノックされた。
私でなく女性が返事をして、剣呑な雰囲気を完全に隠して扉を開ける。
「まあ、素敵なお部屋ね。……ああ、今日は来てくれてありがとう。リナさん」
「ーーーこちらこそ、またとない栄誉をお与え下さり恐悦至極に存じます。王太子妃殿下」
入室して来た人物に、さっと最上級の礼をする。
本日の主役、元悪役令嬢アウリス・デ・ラマルティーヌ王太子妃に。
※※※※※
本当ならフランク学園を光の速さで辞め、ジャックとイッチャイッチャな新婚生活を送る筈だったが、そうは問屋が卸さなかった。
私の特殊な立場上、最低でも半年は通ってもらわなければ困る。他国への面子が立たない。王家の威信が、云々…。
お貴族様の事情なんて知ったこっちゃ無かったし、腹が立ち過ぎておかわりが三回しか出来なくなっていたが、優しい夫のとりなしで半年間だけ在学する事になった。
交換条件として、この国と経済戦争真っ最中の大国と、規制なしの商売を許可させた。
迷惑料、つまり口封じの金一封も払うと言われたが、そんな賄賂みたいな汚い金は要らぬと、丁重に尊大に断った。
在学中の半年間は地獄だった。
悪役令嬢側の。
アウリスは私を見る度に罪悪感に心を痛め、それを見た攻略対象者達が 「お前のせいでアウリスが…!くっ、しかし、これ以上あいつに関わればもっとアウリスを苦しめる…!無念だ…!」 的な顔をして見てくるのだ。うざかった。
喜劇の追加公演なら私のいない所でやってくれ。
そして、晴れて学園を退学して、平穏な日々を過ごしていたらーーーー
「この度、無事学園をご卒業なさった王太子殿下とラマルティーヌ公爵令嬢様とのご成婚が執り行われます。新王太子妃殿下におかれましては、元学友のリナ・キュリー様に付添人をして頂きたいとのご所望です。準備にかかる諸々は王家が負担致しますので、ご列席の程、何卒宜しくお願い致します」
と、愛の巣に突然押し掛けられて言われた。
それは、お願いと言う名の命令だよね?
あと、王子いつの間にか王太子に出世してたのね。
いいのか国王。あの恋は盲目王子に跡を任せて。
話を詳しく聞くと、フランク学園に編入しながら退学となったリナの為、王太子妃殿下直々に名誉回復の機会を設けて下さった。との事。
王太子妃殿下の付添人になれば、貴族達に一目置かれる様になり、今後の生活も安泰だと。
いや、名誉もクソもないんだけど。恥かいたのあんたらでしょ?事実を歪曲すな。
もう関わりたくないのに、何でそっちから関わってくるの?あんたらだって、私の顔なんて見たくないでしょうに。
多分、アウリスが完全なる善意で提案して、王太子達が惚れた弱みで断れずに渋々承諾したのだろう。
何も出来なかったプラス、しかも前世の同郷に。と言う負い目と罪悪感は、想像していたよりも強かったみたいだ。
「分かりました。でも結婚式の付添人の一度きりで最後です。今後王太子殿下や妃殿下達には二度と関わらない様に厳命して下さい。あっ、一筆書いて貰えますか?」
「なっ…。お前の様な庶民がアウリスお嬢様と知己の仲と言うだけで烏滸がましいのに、その言いよう。何様のつもりだ!恥を知れ!」
おっとこの感じ覚えがあるぞ。
何だお前、さては。
悪役令嬢を幼い頃から一番側で見守り、病める時も健やかなる時も常に味方で相談役で、絶品な紅茶入れ入れ方から、スパイ活動まで何でも熟す側近中の側近メイドだな。場合によっては、主の敵を末代まで駆逐する、パーフェクトバトルメイドだな?
今はシンプルなスーツ姿だけど、メイド服が死ぬ程似合いそうだし、多分そう。
「それを約束して貰えるならやりますよ。どうします?」
「…良いだろう。後でアウリス様の威光に縋ろうとも無駄だからな。その時は私みずからお前に引導を渡してやる!」
やっぱりバトルメイドだった。
バトルメイドは殺気を私に突き刺して我が家から去って行った。
当日も迎えに来るらしい。監視する気満々だ。
「あれ?お客さん帰った?」
「あらジャック。仕事の邪魔しちゃった?」
「いや平気。配達も終わったし、発注も終わったし。お前はどうしたの?」
夫のジャックは家業である革の卸売業を継いでいる。
因みに、私の実家は靴屋だ。
もう、結ばれる為に産まれて来たとしか思えない。
「何でもないわ。女々しくて獰猛な高貴な人間に目を付けられただけだから」
「それ、だけって言わないよな…?」
※※※※※
そして、今に至る。
バトルメイドは私にだけ分かる殺気をバシバシ飛ばしながら、控え室の角で微動だにしてない。忍か。
何かしたらヤる、と目がイッている。
「リナさん今日は来てくれて本当にありがとう。殿下もあなたに会いたがっていたけど、どうしても時間が取れないらしくて」
「(来たくて来てないけど、あと王子のそれテイの良いの断り文句な) 勿体無いお言葉です。妃殿下方にお心を砕いて頂いたと思うだけで、この下賎な身には有り余る光栄です」
「そんなに畏まらなくていいのよ。わたくし達同級生じゃない。ほら、ちょっと特殊な…」
「(畏まらんとあんたのバトルメイドに処されるんだよ、あとその言い方だと、乙女の花が咲きそうだからヤメテ!) だからこそです。『親しき仲にも礼儀あり』ですよね?」
親しきと聞いて少し心が軽くなったのか、アウリスが微笑んだ。
バトルメイドも少し肩から力を抜いた様子だ。
それ程時間も無い。今日は秒単位で予定が詰まっている。
「妃殿下。そろそろお時間です」
バトルメイドが、時間で~すと剥がしに来た。
推しじゃないから喜んで離れよう。
「リナさん…。わたくしこれであなたとお別れしたくないの。同じ運命を辿った者同士仲良く…」
最後まで言わせねぇよと、ビシッと掌をアウリスに向けた。
「妃殿下。私を思うならそれ以上は仰らないで下さい。私達は身分が違い過ぎます。関わってよい者同士では無いのです」
「身分なんて…!そんなの関係無いわ!」
身分は関係無いか…。その身分を使って私に『親切』をしてやった気でいる癖に?無自覚だろうがね。その無自覚の親切に今後も振り回されるのか?
そんなのゴメンだ。
じゃ、いいかと、私は開き直る事にした。
「こうしてお会いするのは今日で最後です。妃殿下達に関わらない事は既に書面で約束して、第三国の行政文書庫に特別に保管して貰っています。だから無理ですね」
国内なら権力でどうにか出来そうだけど、他国はどうやっても無理だろう。
笑顔でそう言うと、綺麗にお化粧された顔でポカンとアウリスは言葉を失った。バトルメイドも呆気に取られている。
「確かに、そんな契約書に、サインした覚えが…。えっでも、第三国?行政文書庫?何て、一般人が、利用出来る、所じゃ…ええ?」
「うちの家業が革の卸売業だって知ってます?昔、半年学園に籍を置く代わりに、大国と取り引き出来る様にして貰ったんですけど、その時のあれこれでうちの父親の作る靴に、とある人が惚れ込みましてその縁で」
まさかそれが、大国の政府高官だとは思わなかった。
だって革の加工業者の所に仕入れに行ったら、熱心に作業を見学してた人がいたんだよ。ただの拘りが強い人かと思ったら、革だけになる前の動物の生育・交配まで熟知してるんだって。変態だよね。
私の父が職人だと知ったら『ほう…腕前はいか程か見てやろう……バチクソ好みじゃーーー!パトロンになってやるーーー!金を出させてくれーーー!出させて下さいーーー!』と、歩く金庫になってしまった。
そのツテと入れ知恵で、契約書を行政文書庫に保管して貰えたのだ。もしかしなくても、これ職権乱用だよね…。
私の本気が伝わったのか、アウリスが青ざめている。動揺で瞳が忙しなく動き、口もはくはくと言葉を紡げない。
「お前…!大国だと?!祖国を裏切るつもりか…!」
「やだな、大国とうちの国は、商売の良きライバルで良き取り引き相手でしょ?そんな事言ってると逆に怪しまれますよ。あなたも、私も、私の元学友も」
バトルメイドから表情が無くなった。主を脅しの材料に使われて感情が振り切ったのだろう。
ごめんね、私、今普通じゃないから。
「リっ、リナさん…?」
謝罪の気持ちを受け入れて貰えていない、と解釈したアウリスが震えながら己れを抱き締めた。
胸が相変わらず腕に乗っている。デカイ。
つか、ボリュームアップしとる。エッッッロイ。
「ごめんなさい。でも、別に怒ってないよ?」
「でっでも…。大国との関係を匂わせて…。わたしくは妃で、だから…だから…」
可哀想に、めっちゃ絶望してるじゃん。でも本当に怒ってないよ。だって。
「ほら、妊婦は感情が不安定になるって言いません?」
……………………。
「妊婦?誰が…?」
「私が。結婚して何年経ったと思うの?妊娠くらいするわよ!」
おほほほほほほと、まだ殆ど目立たないお腹を撫でた。
待望の第一子である。もう可愛い。愛おしい。愛で空も落とせる。
アウリスは私の顔とお腹を交互に見て目を白黒させた。
いつの間にか暗器を取り出していたバトルメイドも戸惑っている。さすがに妊婦を処するのは躊躇うらしい。
「そっそれは、おめでとうございます…」
花嫁からの祝福を快く受け入れ、私は我が子が入っているお腹を見せつける様に背中を反って自慢する。
「ほらもう時間よ。メイドさん花嫁を連れて行きましょう?」
完全に白けた雰囲気になったが、私は構わず二人を促した。さっさと終わらせてさっさと帰るのだ。
「あっそうだ、ひとつだけ聞きたい事があったんだ」
アウリスが身構えた。バトルメイドも緊張の面持ちで主を見守っている。どんな責めも受け入れる覚悟を決めた主を…。
「前世、陸上部でした?もしくはバスケ部」
「……………。いえ。器械体操を習っていました……」
そっちかー!
ガラーンゴローンと、大聖堂の鐘の音が響き渡った。
※※※※※※
「リナ、言われた通りに迎えにきたけど、まだ披露宴とかの時間じゃねえの?」
「ジャック!来てくれたのね!さすが王家が使う伝令、仕事が早いわ!」
王族の結婚式で盛り上がる大聖堂を背中に、私はジャックに駆け寄った。
子供がいるのだから程々に!と怒るジャックも愛おしい。
「披露宴はお城でやるんですって。あんな古狸達の巣窟に行くわけないじゃない。胎教に悪いわ!」
「まあ、俺としてはそうして貰うと助かるけど」
ジャックは今日の為に着飾った妻の姿を眺めた。
もともと美少女であったが、正装姿はお姫様の隣に立っても見劣りしないくらいに美しい。
「なあ、お前も、こう言う所で結婚式…」
「してる暇なんてないわよ!わたしは愛する旦那様と、愛する我が子を愛して愛して愛するのに忙しいの!」
おーと、拳を高く上げるリナを、ジャックは仕方無いなぁと見つめた。
妻はどんな時でも妻であった。そんな所に惚れたのだ。
結婚式は将来の楽しみにとって置けば良い。物心ついた子供達に、母親の一番美しい姿を見せてやるのだ。
「そうだジャック。昔、子供は子孫を含めて百十八人って言ったじゃない。あれ訂正」
「そっそうだな、子供はひとりだけでも十分…」
「私が子供を十人産んで、子供達が十人ずつ産んだらあっという間に達成できるわ。一桁…いや、二桁は多く見積もらないと!」
全然産むつもりだった。
「おい!自分にも子供にも負担をかけ過ぎだ!子宝願い過ぎて神様も裸足で逃げ出すぞ!」
「やだ神様って案外ヤワね!根性が足りないのよ根性が!」
「神様に根性論を説くんじゃなーい!」
二人は盛大になる鐘の音を背中に聞きながら論争を繰り広げた。
その鐘の音の合間に『アウリスやはり君を諦められない!』『隣国の皇太子が何故ここに!』『君を愛しているんだ、帝王の后の座は君に捧げる。俺と結婚してくれ!』『戯れ言をほざくな!アウリスは私のものだ!部外者は立ち去れ!』『消えるのは貴様だ!庶民に扱き下ろされた小者の癖に!』『なん、だと…?よし分かった戦争だ!』『やめて!わたくしの為に争わないで!』と、物騒な声が聞こえてくる気が、しないでもないが、リナとジャックにはもう全て関係ない事だ。
私達は私達の物語を歩んで行くのに忙しいのだ。
おわり
拙い文章を読んでくださって、ありがとうございました。
※ 2021/7/12 誤字を訂正しました。ご報告ありがとうございました。
※ 2021/7/13 誤字を訂正しました。ご報告ありがとうございました。コメントもありがとうございます。お一人お一人にお返し出来なくてすみません。大変嬉しいです。
コメントを参考に一部訂正させていただきました。
今後とも精進して参ります。
※ 2021/7/14 誤字を訂正しました。ご報告ありがとうございました。更に少し加筆しました。見直しましたが、また誤字脱字などがあったら申し訳ありません。
※ 2022/7/28 誤字を訂正しました。ご報告ありがとうございました。
※ 2021/8/4 大幅加筆しました。