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空をゆく、仄か緋を  作者:
中つ国
7/37


頭が重い。緋禾は腹の底からため息を付いて、首の後ろをとんとん叩きながらそう思った。今彼女は、豪華な舎の御簾の内側に所在なさげに座している。それ以外にすることは特になく、このままではあと十日もすれば四肢が衰えてしまうのではないかと危惧するほどに、一寸も動くことがない。

御簾に遮られた視線の先には、大きな池とそれに架かる橋、躑躅の花の群れ蛇行して伸びる小道など見事と言う他ない庭が広がっている。そして、緋禾の体には幾重にも薄い衣が重ねられ、手触りのよい裳が足に纏わりついている。

頭にはしゃらしゃらと涼しげな音を立てる簪。髪の毛は痛いほどに束ねられその簪で留めてある。今まで、こんな格好をするのは春正月やめでたい行事くらいであった緋禾にとって、これは苦行であった。


普段からこんな格式ばった格好をしなければいけないなんて、大国の皇族は本当によくやる。誰の目もないのをいいことに、緋禾は足を崩して再び溜息をついた。


この国は確かに美しいし、豪華だ。そして、目の前に広がる庭も申し分ない程きちんと整えられている。それこそ、寸分の隙すら与えないとでも言うようである。けれど、それは緋禾にとって退屈で仕方ないものだった。

中つ国は、他のどの国よりも大きな国土と影響力と権威を兼ね備えている。殊に、王宮の建築物はその事実を誇示しているかのようだ。

広大な土地に、見上げるほどの舎。道を行きかうたくさんの人々。毎朝の市もすごい盛況ぶりだと聞いたのは、穂の国を出てからだったと緋禾は思い返した。


ここに来て既に三日。今だ、なんら変わった動きはない。緋禾まだ、大王にも嫁いでいない上にここから一歩も出れていない状態だった。着る服は采女によって運ばれてきたし湯殿に行く時はさすがに室からは出られた。だが、食べることとのんびり庭を見つける以外のことを緋禾は許されていなかった。


着いたその日は、結局一度も大王に呼ばれることはなく奇妙な不信感のもとで緋禾は寝床に着いた。翌日、もたされた言葉はあまりにも短くてあっけに取られた。


『その室から必要な時意外一歩も出てはいけない』

大王からかけられた――正確には書いて遣された――初めての言葉は、そんなものだった。恭しくその手筆を届ける采女にはなんの責任もない。だから、そこら辺にある豪奢な卓子やら紋掛やらを苛立ちに任せてひっくり返すことなどその時の緋禾には出来なかったのである。本心はそうしたい位に怒っているのだとしても。


以来、采女たちは確実にその言葉を守りきっているし、外で見張っている衛士もそうだ。この状態は、緋禾が最も嫌うことだ。

どこか自分の望まない一つの所に縛り付けられること。外に出ることが出来ないこと。人間の尊厳を取り上げたかのような扱いの全て。


そして、稲日と引き離されてしまったことも緋禾にとって痛手だった。着いた翌日には、稲日は采女頭にこの王宮のことを説明するからと、連れて行かれてしまった。そのまま、丸一日経っても戻る気配はない。結局、緋禾に与えられたのは豪華な部屋と、監視の目と、とてつもなく退屈な一人の時間だった。

もちろん、父の豊彦がここに来てくれる筈もない。いつ祝言があるのか、大王と対面できるのはいつなのか。それらに関する情報は一切入ってこない。

何度となく緋禾は采女にそれらのことを聞きまわったのだが、芳しい返事を意地の悪い彼女たちが教えてくれるはずもなかった。


――そして、今に至る。


大王の命によって一歩も室を出られない緋禾は、御簾の内側から黙って庭を見つめていた。溜息の数は、ここ半年分をたった三日で上回る勢いだ。


(このまま何もしなかったら、私は退屈で死んでしまうかもしれない…)


あまり、冗談とも思えない考え事だ。緋禾は頭を振ってそれを打ち消した。ゆっくりと冷たい椅子から立ち上がると、御簾のすぐ内側まで歩み寄る。そして目を上げると、区画された築地の向こうに校倉造の大きな建物の屋根が見えた。緋禾がここについてはじめて目にした大極殿である。本来であればあの場所で既に祝言を挙げていてもおかしくはない。


大王との祝言がこのままないのなら、それは望んでもないことだった。鬱陶しい柵に捕らわれて、ここで一生を終えなくても良いのであれば、緋禾は喜んでそれを受け入れただろう。しかし、そんなことは夢のまた夢。緋禾はとりあえずこの王宮を見て回りたい衝動と戦う日々を送るだけとなっている。




***




元々、中つ国と穂の国は密接した関係にあった。それも、中つ国の祖先神とされる高御倉神たかみくらしんと穂の国の祖先神とされる沙依里比売さよりひめは夫婦関係にあるからだ。

それは、両国の間で長くから伝えられる物語だ。


その昔、大陸・水鼓は異民族同士が争う混沌の地であった。それを一つに治めようと乗り出したのが高御倉神である。軍勢を伴って水鼓の中心地から今の穂の国の方面へと南征を仕掛けていた。丁度今の国境がある辺りで野営をし、天幕の中で軍議をしていたところ、外から微かな歌声が聞こえてきた。


その歌声に一瞬にして惹かれた高御倉神は、一旦軍議を中断し天幕から出てその声を辿ったところ、とある小川に行きついた。その小川では、一人の美しい娘が裸身で禊をしながら神楽の歌を歌っているのであった。黒く長い髪の毛に、やわらかく白い体つき、美しい声。一目見て高御倉神はこの娘に恋をしてしまい、楯もたまらず娘の目の前に姿を現した。


突然出現した男神の驚いた娘は、岩の上に置いてあった白い衣で体を隠し目を伏せた。目を奪われるような身体は、細かく震えている。高御倉神は尋ねた。


『何故顔を隠す。美しい娘よ』

『…わたくしは、これからこの神山の守神さまのもとへと嫁ぎに行く予定でしたのに…この川での禊は、誰ひとりとして見てはいけないのです』


もしこの禊を見られてしまえば、この地には厄災が起こってしまうという。神の怒りだ。しかし娘を欲した高御倉神は、娘の白い衣を幻で娘そっくりに変え、娘を己のものとして連れ去ってしまった。その時はまだ、若輩だった高御倉神の術は簡単に暴かれてしまった。

創世からこの地に住み、贄として娘を欲していた土地神は怒り狂い、大地震を起こした。地は割れ、大河が氾濫し、人々は厄災に逃げ惑う。


娘を我妻にと望み、土地神を怒らせてしまったことに深く責任を感じた高御倉神は、その怒りを鎮めようと先ほどの小川沿いに山を駆け上り、山頂を目指した。しかし、土地神は既に怒りのために邪悪な蛇に変身しており、我を忘れていた。これ以上人や自然の被害を広げてはならないと、高御倉神は神剣を抜き放って大蛇と戦い、満身創痍になりながらも勝利を得たのである。


娘の元に帰った高御倉神は必ずや大陸を統一し、神のいなくなったこの土地にも恩恵が与えられるよう努力することを誓った。娘はこの求婚を受け入れ、高御倉神の征討にもつき従い己がこの地の祖先神となったのである。それ故、この神山は「蛇塚山」と呼ばれ、美しい娘――沙依里比売はこの大陸を治める四人の子を生んだ。


高御倉神と沙依里比売と、その四人の子たちが大陸を分割して統治するようになった訳がそういうものとして伝えられている。統治を完了させた六人の神々は天上へと帰り、幾千年幾万年を経て今現在の形となっている―――


「緋禾様。そんなところで無防備にお顔を曝け出していたら、妖に喰われてしまいますわよ」


物思いに耽っていたところを、ふと後ろから声をかけられた。一瞬期待したのだが、それは稲日ではなかった。食事や着替えや何やらを世話してくれる采女の一人。

彼女に緋禾は思わず問い返していた。


「――妖?」


日差しが庭を鮮やかに照らす昼間には余りにも似つかわしくない単語だ。訝しむ緋禾の表情がおもしろかったのか、采女は「あら、お聞きになっていませんの」とくすくす笑って見せた。その笑い方が明らかに馬鹿にしたようなものなので、緋禾は心の中で盛大に悪態をついた。勿論表にそんな表情を微塵も出さないが。

「…ここ三年くらいですわ…王宮のそこかしこに淡く輝く狐が現れるようになったんですの。けれど、美しい外見に惑わされたら最後。その狐に飛びかかられて、魂を喰われてしまうという噂ですわ」

「…噂でしょう?」


緋禾がそう言うと、初めて采女は不安になったかのように辺りを見回した。まるで誰かに話を聞かれていやしないかと怖がっているようだ。緋禾が目線で軽く促すと、采女は恐る恐る話を再開した。


「…それがそうとも言えないのが。事実、大王様の母君であられる皇太后様も三年前に突然病気でお隠れになられました。それに、中つ国の高官の方々も何名か変死しているのが見つかっているらしいですわ」


ああ恐ろしいと、珍しく緋禾に多弁な采女は両腕で自身を掻き抱いた。しかし、緋禾はそんな話を聞いても全く現実味がないので、ふうんと頷くぐらいしか出来ない。大王の母の死も、高官の変死も緋禾にとってはまだ他人事だった。

確かに三年前に皇后が亡くなったことは事実として緋禾の耳にも届いていた。しかし、それはまだ緋禾が十四ほどの時であまり記憶には留めていない。三年後にその息子の妻になろうとしているのだから、そちらのほうに吃驚だ。


そうやって話自体に緋禾があまり興味を示していないようなので、采女は先ほどの多弁もどこへやら。また鼻持ちならない顔つきに戻り食事だけを置くとさっさと室から出て行ってしまった。退室の挨拶も何もあったものじゃない。さすがにこれだけ邪険に扱われれば、自分がどれほどここで歓迎されていないかは明白だ。

しかも、祝言の話もなかったように振舞われ、今だ緋禾は軟禁されたように日々を退屈に過ごしているだけ。本当に、何のためにこの地に来たのか、全くもって分からない。せめて豊彦に会って理由を問いただしたかった。しかし、それが叶うことを緋禾はあまり期待していない。


(…私はここで何をしているんだろう…)


また一人になった室の中で緋禾はぼんやりと考えた。この時はまだ、人を喰う妖のことも自分の夫(となる予定の)大王のこともそれほど深くは考えていなかった。何せ、その人物とは未だ会ってもないし話もしていない。二人の間にあるものは、「室から出るな」という勝手極まりない命令だけ。

それが解けるのは一体何時になるのやら。

この先、緋禾に降りかかる出来事を、彼女はまだ想像すら出来なかったのである。



***




「穂の末姫の様子はどうなんだ?」


無駄に広い廊を歩きながら、男はすぐ後ろにいる側近に何気なく聞いた。延々と続くような廊に溜息をつくと、すぐに答えは返ってきた。


「今のところ、大人しく命に従っている様子です」


答える声は涼やかだった。男は深い藍色の袴を手で軽くさばいて、角を曲がった。この辺りまで来れば、会話を誰かに聞かれることもない。一瞬だけ周囲に目を走らせてから、さらに問いを重ねた。


「…それで。アレは?」

「…あのモノも今は姿を見せてはいません。けれど、穂の末姫様が到着なされた日に、民部省に勤める初瀬一族の者が一人亡くなっています」


それを聞いて、男―――この国、否この大陸において最も権力を有する王は眉をひそめて「またか…」と声にならない呟きをもらした。こんな鬱々とした気分でいるのに、空は濃く晴れ渡り春の名残を撒き散らしている。まだ若い彼は、その身に圧し掛かる重責に何とか耐えようとしていた。


そして、意を決するように前を向く。


「――近々、穂の姫を訪ねよう」


いつでも彼に付き従う側近は、従順に頷いて彼の後を追った。

季節は、初夏であった。



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