一
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その大きな室内には、大きな一つの円卓が中央に腰を据えている。周りを巡る座席は六つ。その席には、それぞれ色の違う袍をまとった男達――中つ国の大王と五国の小王が座っている。一応の名目は、位の上下関係なく談義を進めるというところにある。
「穂の姫君をいつまであのままにしておくつもりなのですか、大王」
そう言ったのは、流の国の王・山名瑞架。豊かな水の流れに恵まれた、船を使った商いが得意な商業都市の長である。
「大王様に未だお妃は一人もおりません。このまま穂の姫一人を妻にするというならば、自国の豪族達を抑えることは難しい状況となりますが…」
心配そうに眉を曇らせるのが、葵の国の王・滝津氏頼。穂の国の末姫・緋禾の姉である緋菜の夫でもあり、幼い頃より豊葦原の大王に忠誠を誓う人物である。
「…この五国の均衡状態を崩すことをお望みか?」
眦を吊り上げ、鋭く息を吐いたのが夷の国の王・岩城貞文。戦上手で知られるこの国は、多くの傭兵団を有していることで有名である。
「今少し冷静になられよ、岩城殿。古来よりこの状態は良好に保たれておる。大王様も好き好まれて戦を仕掛けたいわけでもないでしょう」
冷静に周りを見渡して抑えにかかったのが、五国の中でも一番の国土を誇る翠の国の王・川治兼道。国土が大きい分、作農が盛んで多くの備蓄を保有している大陸の要たる国でもある。
その言葉を聞いて、一同は未だ沈黙を守ったままの穂の国王・青海豊彦と中つ国の大王・御和を見守った。
今話題に上がっているのが、婚姻を目的に穂の国を出てきた姫君が未だ皆の前に披露されていないこと。つまり婚姻の儀式を挙げていないことにある。
小国の王達の姫君がの大王に嫁ぐことはそう珍しいことではない。大国への嫁入りは忠誠心を保たせることと、妻や子供はある意味人質の性質をもつことから古来よりこの習慣は続けられていた。しかし、そこは五国から平等に姫を娶らねば均衡にひびが入る。代々の王たちはどの小国からも姫君を招いて、一夫多妻の状態が常であった。
しかし、今回の嫁入りでは、穂の国の姫君だけが直々に大王から呼び出された。しかも、大王はこの先妻は彼女一人でよいと言っている。平等でなければいらぬ抗争を生むことは自明である。
ここに他の四国の王が反応しないわけがない。それがこの談義の話題となっている。
今まで静観していた中つ国の大王――御和は、それぞれの王の言葉を聞きながらそっと背後に目をやった。そこに控えているのは側近の岬。視線に応えて岬は前に進み出て一礼した。
「皆さま、少し落ち着かれてください。こうなったのにも一つの訳があるのです」
「何なのだ、訳とは」
「それを今から説明させていただきます」
一番に反応したのは、流の国の山名瑞架。しかし岬の声は聞く者を黙らせてしまうような穏やかで、かつ鋭い人声は薄暗い室内に凛と響いた。一つ周りの様子を見ると、岬は御和に視線を向けた。それに、御和は黙って頷く。
「…五国の均衡など言っていられぬ状態になりそう、ということです」
そこで、初めて豊彦は鋭い目で岬を見た。
「どういう、ことでしょう?」
葵の国の滝津氏頼が更に眉をしかめる。岬はそちらの方を見て殊更ゆっくりと口を開いた。
「謀反の疑いがあります。それも、数年ほど前から」
その場に居た全員――御和と岬を除いて――が息を飲んだ。急に室内の朧な光が揺らめいて、一層暗くなる。御和は、指同士を組んで手の甲の上に顎を乗せ、一同を見渡した。万人が恐れる年若き為政者の瞳が、一人一人を射る。それはどこか、全員の様子を確認をしているようでもあった。そして、小王の顔を見終えると、無意味に唇の端を上げた。
「――そう、裏切り者は誰か、という話だ」
その声はひどく鋭利で、この空気に触れたら少しでも怪我をしてしまいそうなほどだった。全員が全員、固唾を呑んでお互いの顔を盗み見る。暫くの沈黙が流れた後、口火を切ったのは翠の国王・川治兼道だった。
「それでは…何故、今回のことに穂の姫君を巻き込む必要があったというのです?」
「誠に。あるのか無いのか分からん謀反の疑いがある中、穂の姫君でなかればならない理由が見えないではないか」
「岩城殿。それを今貴殿に言う必要はないだろう。今、この宮の中で起こっていること、穂の姫の特性、そしてそれを掛け合わせることによって何がもたらされるか…それらを考えると、おのずと見えてくるだろう」
その質問に、御和は曖昧な答え方しかしなかった。鋭い視線だけを崩さずに、静かに小王達の表情を見守ることに徹していた。その後ろで岬が各所に伝令を飛ばすために出ていったことを、他の者は誰も気づかなかった。
***
「…何よこれ…」
あの気に食わない男に出会って助けられた翌日、緋禾の元に一通の伝達がもたらされた。釆女が恭しく述べた伝達は、未だ姿すら見えない大王からのものだ。そして、緋禾は伝達を聞いた瞬間、思わず眉を盛大にして怒りを露わにした。
「『今後一切の外出を禁ずる。夜は勿論のこと、日中も』」
楚々として釆女はもう一度述べたきりだ。上目遣いで緋禾を盗み見ると、一礼をしてさっさと室を辞して行ってしまった。
(…ばらしたわね、あの男…!!)
これで、あの男の正体がはっきりした。あの御和とか言う男は大王の側近だ、絶対にそうだ。だから緋禾が誰かも知っているし、王宮も自由に動き回れるし、そこそこ高貴な身分でもあるのだろう。その男が、こともあろうに、己の主人に告げ口したのだ。よくよく考えれば当たり前である。己の主人の妻が夜中、勝手に室を抜け出すことを、黙ってみている側近はこの国にはいないだろう。
緋禾も緋禾で、黙っているように頼むことを忘れていた。完全に間抜けな緋禾の責任である。釆女が捧げ持っていた木簡をバキバキにしてやりたいのを堪えながら、釆女に一人にしろと手だけで合図した。
(「知らぬ方が身のため」って、こういうことだったのかしら…)
自分自身の間抜けさに猛烈に腹が立って、もう我慢の限界が来そうだ。知っていても知らなくても緋禾の扱いには何も変わりがなかった。この国では緋禾の意見や考え、想いなど全く相手にされないのだ。そこで何を主張しようとも、聞いてくれる相手などいない。
稲日と、あの白い狐以外には。
削られたばかりの木簡を額に当てて、緋禾はこみ上げてくる何かを必死に押し留めた。泣いている場合ではない。こういった命令を下された以上、緋禾は従うべきなのだろうが、もう限界であった。
(明日にでも、父様に連絡を取ろう。大王様は一体どういう考えで私をここに召したのか、確認しなければ…)
その日は、むかむかした思いを抱えたまま夕餉をきちんと平らげて――こんな処遇に絶望する儚い子女のように食べ残しは一切なしだ――湯浴みをして、言われたとおりに寝台にはいる…はずだった。軽いまどろみを覚えて、そろそろ灯を消して眠ろうと思ったその時。
御簾の向こうで人の動く気配がした。また、あの白狐だろうかと身を起こしかけたその時。
「緋禾様――」
「…稲日?」
卑女の稲日の声がした。明らかにその声音は、動揺している。緋禾は寝台から爪先を下ろしてそっと縁の方に近寄った。
「稲日、どうしたの…」
ぱらりと、目の前の御簾が舞い上がる。すっと、これまでこの舎では見た事もないような背の高い男の影が立ちはだかった。突然姿を表した影に、緋禾は口を開けたまま固まってしまった。一瞬夜盗の類かと疑った。しかし、一瞬でその考えは打ち消される。
ここに渡って来ることができる男は只一人の人間――大王より他にはいないはずなのだ。
(どうして…)
その影は、緋禾の表情を見てにやりと口を歪めた。見覚えのありすぎるその人の悪そうな笑み。
「随分と阿呆な顔をしているな」
手が突然伸びてきて呆然としている緋禾の手首を握った。そのまま力任せにぐいっと引き寄せられる。
「緋禾」
目の前の、背の高い神々しい男――御和が言った。それは、彼が大王の側近ではないことを物語っている。なぜなら、大王の后となる女性の元に訪れることが出来る男は、この世でただ一人。彼は、緋禾に御和こそが大王その人であることを自ら知らしめたのだった。




