序
「君が往き 日長くなりぬ 造木の 迎へを行かむ 待つには待たじ」
――貴方がお出かけになってから、随分と日が経ちました。私がお迎えに参ります。もうこれ以上はお待ちしません。(「古事記」下巻 軽大郎女)
「隠処の 泊瀬の河の上瀬に 斎杙を打ち 下瀬に 真杙を打ち
斎杙には 鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け真玉なす
我が思ふ妹 鏡なす 我が思ふ妻在と言はばこそよ 家にも行かめ 国をも偲はめ」
――泊瀬川の上流に斎杭を打ち、下流に真杭を打ち、斎杭には 鏡を懸け、真杭には真玉を懸け……
その真玉のように私が大切に思う妻よ、その鏡のように私が愛する妻よ。
貴女がいるというのなら、家にも行こうと思うけれど、故郷を懐かしむけれど、貴女はここにいるのだから、私のそばにいるのだから、そうはしないよ
(「古事記」下巻 木梨之軽王)
それは、遥か遥か昔の物語。
「どれくらい昔なの、母様」
「そうねぇ…何百年も…もしかしたら千年も二千年以上も前の話かもねぇ」
「そんなに?」
「ええ。でも、神々が地上をお歩きになっていた頃よりは後かしら」
夜も眠りにつく瞬間、今日も子は母に物語をねだった。この国に遥か昔から伝わる、王と妃の物語を。
誰もが語り継ぐ、大王夫婦二人の軌跡を。
「はやくお話して」
「はいはい」
母は、唇を綻ばせて物語を紡ぎ出す。
「『昔、昔。神々が地上から天上にお帰りになられた頃―――』」
長い、夜が始まる。