冒険()は始まった
アーカディア大陸の中心へと続く街道、土を踏み固めただけの整備されているとは言えないその道を辿って一人の少年が旅をしていた。冬も近づき冷たい風が吹きすさぶ街道には見渡す限りその少年しかいない。15~16歳ぐらいの少年は年齢相応の小柄な体躯に大陸では珍しくない黒髪、すりきれた旅装をまとった人目を惹くようなところは何も無い少年だった。ただ一つ特徴を挙げるならば彼がずっと独り言をつぶやいている点だろう。見渡す限り彼以外には人影もないこの街道で彼は誰かに話しかけていた。
「邪神様、もうすぐ王都です。ワクワクしますね。王都ってどんなところだろうな。僕、都会って初めてなんですよ。」
そんな少年の頭の中で彼だけが聞こえる声が返事をする。
(おいおい、メロス。俺たちは観光に行くわけじゃないだぞ。俺たちの目標はただ一つ、ハーレムだ。)
心の声、邪神はその名に反して気さくに少年、メロスに話しかける。威厳や恐怖感といったものをどこかに忘れていったその発言に、しかしメロスは神妙にうなずく。
「そうでした、邪神様。僕、浮かれてました。僕たちには大事な使命があったんですよね。」
(そうだぞ、メロス。だが俺は許そう。なぜなら寛容な男はモテるからな。)
そんな二人にさらに話しかけるものがいた。
「チュ、チュー。」
「どうしたんですか、ネズミ師匠。」
メロスはその声が聞こえる先、旅装の胸ポケットを探る。そこからは珍しい全身銀色のネズミが顔を出していた。銀ネズミは金属のような光沢を放つ鼻先を街道の分かれ道、メロスたちが向かう先とは別の道へと指している。
「チュー。」
もう一度鳴いたその声に促され、メロスは分かれ道のその先に目を凝らす。すると僅かながら何を指しているのかが見えてきた。
「邪神様、大変です。商人さんの馬車が襲われてます。ほら、あそこ。ゴブリンですよ。」
確かに、パンのクズぐらいの大きさに見える馬車に蟻のように群がるゴブリンたちが見える。メロスは動きが鈍る荷物をその場に置き、助けに行こうと走り出した。しかし、それを邪神が止める。
(何を考えている、メロス。俺たちにはハーレムという目標があるのだ。そんな些事に構っている暇などない。邪神の使徒としての自覚が足りないぞ、メロス。)
その言葉に足を止めたメロスだが、表情は不服そうだ。
「でもでも。」
(いいか、メロス。ああいう商人というのはちゃんと護衛を雇っているものだ。俺たちが助けに入るとその護衛の仕事を奪ってしまう。俺は見捨てろと言っているのではない、他人の仕事を邪魔するなと言っているのだ。)
「そうだったんですね、邪神様。僕が不勉強でした。商人の女の人が困っていそうだったから、つい、」
メロスが言いかけた言葉を突然中断し駆け出す。
(邪神様、どうしたんですか、急に。体を使うときはいつも一言断ってからなのに。)
「馬鹿もん。そんな悠長なことをしていられるか。いいか、女商人と言えばハーレムの財政担当と相場が決まっている。こんなチャンスが王都に着く前に巡ってこようとは。いいか、護衛どもの仕事など知ったことか、最大限に活躍していいところを見せる。うおー。」
メロスの体を奪った邪神はワザと大声を出しゴブリンたちとそこで襲われている女商人の視線を集める。
「ぐぎゃ、ぎゃ。」
ゴブリンたちは碌な抵抗を見せない商人を後回しにして、闖入者である邪神を迎え撃つ。
「ステータススキャン。」
邪神が叫ぶと視界にはゴブリンたちのステータスが映し出された。
「ふん、平均ステータス10以下の雑魚どもか。まあいい。適度に苦戦した振りをして恩を売るか。あっさりと勝ってしまってはありがたみが無いからな。」
邪神は最後の踏み込みで姿勢を深くし足に力をためる。ゴブリンたちが警戒し足を止めたのを確認すると、足にためた力を開放して空高く飛びあがった。投石器で投げたかのようにきれいな放物線を描くと邪神はゴブリンたちを飛び越え馬車の隣へときれいに着地した。
「大丈夫ですか、お嬢さん。わたしが来たからにはもう大丈夫。だが、危険ですからそこで見守っていてください、わたしの活躍を。」
「うんまーお嬢さんだなんて。あたしゃ、もう20年は言われたことないよ、嬉しいねえ。坊や飴ちゃん舐めるかい?」
馬車の御者台に座っていたお嬢さんは齢50は超えていそうな恰幅のいい女商人だった。邪神はしばらく固まり、周囲に可憐な美少女商人がいないことを確認すると一言言った。
「パス。」
すると気障たらしい表情がいつもの純朴そうな顔に戻る。
「ちょっと、邪神様、急に戻らないでくださいよ。えっ、じゃあ僕がやるんですか。あ、飴ちゃんありがとうございます。」
メロスは律義に女商人にお礼を言うと飴を口に含んだまま、腰の剣を抜く。珍しい双剣を携えた姿にゴブリンたちは警戒するが、所詮はゴブリン、対応策を考える頭は無くいつも通りに囲んで一斉にかかってくる。
「ほが、ほが。」
飴を含んだ口で奥に引っ込むよう女商人に指示すると、メロスは囲まれる前にゴブリンたちに切り込んだ。
ゴブリンは知っていた。人間は、いや知能を持つ人族は汚れたナイフを過度に怖がることを。それは僅かな傷でも深刻な感染症を起こすからだが、そんな理由は知らずとも経験的に得た知識はゴブリンたちの立派な武器になっていた。ゴブリンたちは自然と汚れた刃先を前面に突き出し体は後ろに引く不格好な戦い方を選ぶ。それだけで、この人間の動きが鈍る。そのはずだった。
「はんです、ほのははたいかたは。(何です、その戦い方は。)」
もぐもぐと言葉にならない言葉を口にし、当然返事など期待していないメロスは気にせずゴブリンの間合いへと入る。
ゴブリンがへっぴり腰でナイフを振るう。しかしその早さも意外性もない一撃はメロスが一瞬前までいた場所を空振るだけだった。敵を見失い周囲を見回すゴブリン。その後ろに静かに回り込んでいたメロスは右手の剣をゆっくり突き刺した。
ゴブリンは何か胸に痛みを感じて下を見る。何か見慣れないものが胸から生えている。それは肋骨の隙間から覗く刃先だった。その意味をゴブリンは最期まで理解できなかった。自分の心臓が貫かれその動きを止めたことをそのゴブリンは最期まで自覚できなかった。
「ぐぎゃー、ぐぎゃ、ぐぎゃーー。」
残りのゴブリンたちが最大限の警戒心で叫び出す。戦場は突然けたたましくなった。そんな周囲の様子を気にせずに、メロスはあっさりと引き抜けた剣から血をぬぐう。
「はとううひひでふか。まあ、なんひりやいましょう。(あと9匹ですか。まあ、のんびりやりましょう。)」
大体の程度が知れた相手に気負うことなくそう呟く。
メロスは飴をなめ終えた口の中でその甘味の残滓を名残惜しそうに楽しむと、特に名残惜しくもないゴブリンたちの死体に剣を刺し動かなくなったことを確認して回った。残酷とも言えるその作業に特に感慨はない。
「もう、大丈夫ですよー。」
(なあ、メロス。もう行かない。ほら俺たちには大事な使命があるじゃん。)
馬車から顔を出した熟女商人を目にしてから邪神のやる気はすっかり落ちている。
「あんれまあ、坊や、小さいのにやるもんだねえ。おばちゃんのおうちねえ、この近くの村なんだよ。お礼したいから寄っといで。」
せっかくの好意だ、ありがたく受け取ろう。そう思うメロスだったが邪神はまったく乗り気ではない。
「うちにはめんこい孫娘がいるから。たーぷりお礼してあげるよ。」
(せっかくの好意だ、ありがたく受け取ろう。)
女商人の一言ですっかり乗り気になった邪神がメロスを急かす。メロスはご相伴にあずかることにした。ちなみにこの騒動の発端となった銀ネズミは馬車に積まれていたチーズをかじってご満悦な様子だった。
(大失敗だったな、寄り道などするべきではなかった。俺たちの求めるハーレムは王都にしかない。)
「でもかわいい娘だったじゃないですか、邪神様。」
(いいか、メロス。女児はやめておけ、この世には条例という恐ろしいものがあってな、それに逆らえば生きていけないんだ、この業界では。テレビで顔が出てなアカウントが晒されて、あれだぞ、ノクターンでやれとか言われるだぞ。恐ろしい。)
メロスは邪神の言うことの意味がよく分からなかったが邪神も恐れるジョーレイというものが存在することはよく覚えておこうと心に決めた。
こうして一人と一柱と一匹の珍道中はついに王都へと至ったのだった。