第二百十四話 蛭逗の逞しい姐さんの件
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……ざわ……ざわ……
観客席が明らかに困惑していた。皆、バックスクリーンに表示された、東雲渾身の百五十四キロ球速表示を見ての反応である。
「今の球めちゃくちゃ速かったよな」
「あぁ。スピード表示も驚きだが、ものすごい球威だった」
「正に球が浮かび上がる様なストレートだよな」
「てか、蛭逗サイン盗みってマジかよ。反則じゃん」
観客席の様子を満足そうに見つめながら、東雲は意気揚々とベンチへ下がっていった。
――バンッ!!!
一方、蛭逗のベンチでは麻布が怒って、手にはめていたバッティンググラブをベンチに叩きつけていた。
「舐めやがってクソ野郎!!! ぜってぇにブッ殺してやる!!!」
「止めろ麻布、道具に当たるな」
豊洲が麻布の左肩を掴み、説得した。
「黙れ!! 俺に触るんじゃねぇ!!」
――ガッ!!
麻布が豊洲の手を振り払おうとした時、肘が彼の顔にぶつかってしまった。豊洲は口を切ったしまったようで、少し血が流れている。
「……チッ」
麻布も突然の事でらワザとやった訳ではなかった為か、謝罪の言葉は出ずもそれまでの乱暴な行為がピタッと止まった。
「おいテメェら何やってんだ……って豊洲オメー血が出てんじゃねぇか!!」
「麻布テメーいい加減にしろよ! 俺ら三年の試合をぶち壊すんじゃねぇよ!!」
レギュラーの三年生、二名が事態を察して、この場に割って入ってきた。そしてそのうちの一人が直ぐにマネージャーを呼んだ。
「おい姐さん、コイツに手当てしてやってくれ」
「誰が姐さんだよ。ったく、何でこう男子ってのはケンカばっかするのかねぇ」
蛭逗のマネージャーが呆れながら救急箱を持ってきた。
高校生にしては少し化粧が濃いが、キリッとした目鼻立ちが特徴的で、金髪に近い髪色のサバサバ系美人だ。彼女はため息混じりに豊洲の応急処置に入った。
「姐さんスミマセン!」
豊洲が頭を下げて治療を受けた。
「だから姐さんって呼ぶんじゃないよ! てか二年のアンタらとアタシは同学年だっての」
彼女はそう言って傷口の方をキリッとしたつり目でジッと見つめた。
「どれどれ……。あー、こんなの薬付けときゃ治るね」
豊洲は顔を真っ赤にして頷いていた。傷口を診る彼女の顔がものすごく近いからかもしれない。
「麻布!!」
「んだよ姐さん」
麻布は無愛想に応えた。
「アンタまで姐さんって呼ぶんじゃないよ! って事より、アンタ自分がどれだけダサい事してるか分かってるのかい!?」
「姐さん……女には優しい俺だって流石にそこまで言われたらキレるぜ?」
「心からダッサいと思ってるから言ってるんだよ!! あんな安い挑発に乗って、扇の要のアンタが冷静でいられないでどうするのさ!!」
「ウッ……!!」
麻布はド正論を突きつけられ、思わず怯んでしまった。
「配球読みと伝達はまだ良いよ!! セコイ真似自体は好きじゃないけど、勝利に貪欲な事は悪い事ではないさ。相手から抗議され、審判から指摘をされない限り、反則ですらないからね」
「ただね……試合中に何度もキレてたら全てが無駄になるんだよ。普段アタシの指示で主審に丁寧に接しさせても、誰もアンタの味方なんてしてくれないよ!!」
麻布は沈黙し、真剣に話を聞いていた。
「個人の感情より、チームの勝利を優先する。これがデキるオトコってやつだろ。違うかい?」
「違わねぇ」
麻布は即答した。
「じゃあこの後の立ち振る舞いで証明するんだね」
「わかったよ姐さん。頭冷やせたわ」
麻布は急いで防具を見に纏い、守備へ走っていった。そして主審に遅れたことを謝るかのように深く一礼し、控えメンバーが行っていた赤坂の投球練習を代わった。
「全く、世話の焼ける連中だよ」
彼女は腕を組みながら、戦況を見守っていた。
六回表 開始前
明来 二対二 蛭逗
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