8 人食いばばあ
「お前がガキの頃から、アタシは何度も何度もなんっども、口を酸っぱくして言ったよ? それが何だい、こんないい年になっても、結局なんっにも学んでないじゃないかい!」
席に着くなりお客様に大声でまくし立てられて、森の魔女はお茶を勧めることもできません。空気を読まないはずのセバスチャンも、今は静観しています。
しかし、森の魔女は慣れたもので、ガミガミと怒鳴り続けるお客様の言葉を右から左に受け流します。そして、いい加減にしな、この大馬鹿者! と、とどめの一言を言い放ったこのお客様は、曲がった鼻にギラついた目玉が印象的な人食いばばあと呼ばれる魔女でした。
「ーーはい。それでねお姉さま、今日は私が摘んだ薬草を使ったお茶なのよ」
「このバカ娘! アタシの話を自然に流すんじゃないよ!」
ついに拳を振り上げたばばあですが、ふいにへなへなと力なく腕を下ろします。森の魔女は一切気にせず、良い匂いのするお茶を一口飲みました。この人食いばばあは彼女とごく親しい間柄なので、ご機嫌を伺うようなことはしないのです。
「この薬草、美容にとても良いのよ」
森の魔女が笑ってそう告げると、人食いばばあは、目の前のお茶をグッと飲み干しました。まるでお酒のような飲みっぷりです。
「ふん、お前にしちゃあ上出来の茶じゃないのさ。……それでも、この色はもうちょっと何とかならなかったのかい。気色悪いね」
「もう、失礼ね。お姉さまの魔法薬だって、どれもまずそうな見た目じゃない」
そう、今日のお茶はお客様用の上等なものなのです。いつもの淀んだ毒沼色ではなく、ドブ川色なのです。流れがある分沼よりマシな気がすると森の魔女は思っています。しかし、お姉さまと呼ばれたばばあはフンと鼻を鳴らしました。
「このアタシの妙薬と、お前の汚ったない色の茶を一緒にするんじゃないよ。元祖森の魔女たるアタシの魔法薬は、未だに人間どもの評判なんだ。そのおこぼれに預かってるお前が、何だって恩を仇で返すばっかりなんだい」
「そ、それは……悪いと思っているのよ。でも私、魔力の制御って、どうしても苦手なの」
気まずそうに謝る森の魔女を、人食いばばあは冷たく見やります。彼女こそが、森の魔女の師であり恩人であり、かつて森の魔女と呼ばれていた大魔女なのです。ただし、妹分である森の魔女にはいつも姉と呼ばせています。
魔女は一人前になるとそれまでの名を捨てるものなので、自分の住処や得意な魔法にちなんだ呼び名を名乗ることになります。元々森の魔女だった現・人食いばばあは、呼び名を変えるつもりはありませんでした。しかし、妹分の魔力によって変貌した姿を見た人間に命名されてしまい、今に至ります。
「お前に魔法を仕込んだアタシの責任でもある。だからこんな化け物面になったのも、まあ仕方ないさ。……でも今回の件は、誤解を解くのに随分と骨が折れたんだよ」
本当にしんどかった、と疲れた声で言う人食いばばあに、森の魔女はまた謝ります。
「ご、ごめんなさいお姉さま。でも、私もわざと怖がらせたんじゃないわ。確かに私が書いた地図を見てあの子達は怯えちゃったけれど、その先のことは、想像もしてなかったの」
あの子達というのは、先日悪夢の森に迷い込んだ、あの哀れな兄妹です。彼らが番犬ヴィックの案内でばばあの家にたどり着いたのは、まあヴィックらしい気遣いだと森の魔女は思いました。しかし、その先の展開については、師匠からの便りで知ってさすがの彼女も青ざめました。
「……そもそもお前は、あのガキどもがどこから来たのかも聞いてなかったんだろう? 親にわざわざこんな辺境の森に捨てられただなんて、哀れなもんさ。それも、人食いばばあの森だなんてね」
「お姉さま、それは先に謝ったでしょう」
「いいや、あんな手紙一枚で済まないよ」
言い切られてしまい、森の魔女は思わず後ろに控えるセバスチャンを見ました。しかし侍従は、物言わぬ石像のように動きません。
「……メシを食わしてやりゃあ、太らせてから食うつもりだの、寒かろうと寝床に藁を敷いてやりゃあ、焼き殺して食うつもりだの、奴らはいちいちアタシを警戒したのさ。そりゃあまあ、こんなご面相だから仕方ないと思ったよ」
人食いばばあの名に恥じぬ恐ろしい見た目のこの老婆は、それでもあの兄妹を哀れんで世話をしました。しかし、彼女の献身的なお世話はことごとく警戒された挙句、ついには二人して彼女を殺しにかかってきたのです。
「あの兄妹――特に妹の方だね、あれは大成するよ。何せ、このアタシを騙して火の中に押し込もうとしたんだからね。兄の方は煮え湯を浴びせかけるだけの罠だったことを思うと、やっぱりいざという時は女が強いね」
「わ、わあ。それはすごいわぁ」
森の魔女は棒読みです。魔女に対してそんな命知らずな真似をするなんて、あの二人はとんだ豪傑です。親切心から体を拭くためのお湯を沸かしてあげたら、自分達を茹でて食べる気だと勘違いし、ついには暗殺未遂事件となったのでした。被害者当人から聞かされると、改めてぞっとする話です。
「ああ、そうだろうさ。アタシだってあのガキどものことを甘く見てたし、馬鹿なお前には見抜けるわけがなかった。あいつらは、なかなか見所があるよ」
「あれ? お姉さま、また私のことをこき下ろしてる?」
「うるさいね、気のせいだよ。とにかくアタシは、あのガキどもを一人前に仕込むよ。奴ら、このアタシの優しさをことごとく殺意で返してきたからね。腑抜けた大人より腹が座ってて、アタシ好みだよ」
結局は孫を自慢する祖母のような声音になった師匠に、森の魔女は苦笑しました。かつて自分を拾ってくれた時の彼女も、やっぱりこんな風だったと思い出したのです。
「それはいいわねぇ。お姉さまも張り合いが出て、若返るんじゃないかしら」
「他人事だからって適当なことを言うんじゃないよ、バカ娘。もちろん、お前にも骨を折ってもらうからね」
「ええ……でも私、お姉さまのお家にも来るなって言われているわよ。お手伝いするのなら、もちろん行ってもいいのよね?」
期待に目を輝かせる森の魔女の頭を、人食いばばあはばしんと叩きました。
「バカなこと言うんじゃないよ。アタシの顔だけで飽き足らず、家まで化け物屋敷に変える気かい!」
人食いばばあは、本気で嫌がっています。
「で、でもぉ。それじゃあ私、どうやってお姉さまのお手伝いをするの?」
「そりゃあ、アタシの森にガキを捨てに来る人間どもを、追い返すのさ。これまでにも口減らしの子捨てはあったが、人間どもが味をしめたみたいでね、近頃増えてるんだよ」
子殺しの罪悪感を薄める置き去りという行為は、当の子供にとっては一思いに殺されるよりも酷いことでした。親を探して森をさまよった末に、絶望しながら飢えて死ぬのです。これほどの非道はないと、人食いばばあは憤って言いました。
「アタシはそういうガキを時々世話してたんだが、森から出す時は、絶対に助けられたことを喋るなと言い含めてる。森にガキを置いてけば誰かが食わせてくれるなんて噂が立ったら、ますます増えるだろうからね」
「ええ、そうでしょうねぇ。人間は、自分に都合の良いことしか耳に入れないものねぇ」
頬に手を当てて思案する森の魔女に、人食いばばあは指を突きつけて「とにかく頼んだからね」と念を押しました。他ならぬ師匠からの頼みであれば、森の魔女に否やはありません。
「分かったわ。私、精一杯お姉様のお役に立ってみせるから、安心してちょうだい。そんな不届き者が森に入ったら、すぐに呪ってやるから」
「お前の下手くそな呪いなんて当てにしちゃいないよ。しばらくヴィックを貸しな。あの子に人間を追い出してもらうから、お前は人間どもに噂を流しな。アタシの森に子を捨てると呪われるとでも言っときな」
森の魔女はがっかりしました。しかし人食いばばあは意に介さず、ヴィックに向かって片目を瞑ります。当のヴィックは居心地が悪そうに尾を垂れて後退りしました。
「……魔女様、くれぐれも勝手にお師匠様の森に出かけないでください」
沈黙を守っていた侍従の一言に、森の魔女は分かりやすく動揺しました。そして人食いばばあからも絶対に来るなと厳命され、その夜は不貞寝したのでした。