7話 狂宴の日
「ねえセバスチャン、どうして私だけ乗り遅れちゃったのかしら」
今日は一年で最後の収穫を祝うお祭りの日。張り切って寝台から出た森の魔女ですが、起きた瞬間に執事から収穫祭は終わったと告げられてしまいました。おかしな話です。
確か「昨日」の夜は、晩酌を楽しみながら来る収穫祭の段取りを考えていたはずでした。そう、人食いババアこと師匠から贈られた、おいしいお酒を飲んで――。
「セバスチャン、今からあのババアのところに行くわよ!」
空になったぶどう酒の瓶を肩に担いで、森の魔女は言いました。訪問ではなく殴り込みに行く様相を呈する主人に、セバスチャンはすっと水を差し出します。
「魔女様、どうか冷静に。どう足掻こうと、あなたが乗り遅れた残念な者であることは動きません。既に収穫祭は終わりました」
「だから、どうしてよぉぉぉ! 私、一月前から楽しみにしてたのよ! 今年は特に凝った衣装を用意したし、子供達にあげるぶどうパンだって、おいしくできるはずだったのに!」
森の魔女は叫びました。しかし、崩れ落ちた主人を見下ろす執事の顔は、凪いでいます。強いて言えば、死体を前にして後始末の方法を考えている殺し屋のような表情なのかも知れません。つまり、ひどく酷薄な表情に見えました。
そして彼の足元には、地獄の番犬ことヴィックが、尻尾を丸めてうずくまっています。温和な彼は、取り乱す主人に怯え気味です。しかし、主人の落胆ぶりが気の毒でもありました。
森の魔女は、毎年の収穫祭をそれは楽しみにしていました。彼女が住む悪夢の森は、まともな人間は決して足を踏み入れません。そんな孤独を楽しむ魔女ですが、大っぴらに人里に出かけられる唯一の日である祭りの日を、心待ちにしていました。
その日だけは、魔女も魔物に仮装した人間に紛れてお祭りに参加できるからです。普段は恐れられている彼女も、死者の魂や魔物や悪魔の仮装が入り乱れる夜ならば、ちっとも目立たないのです。それどころか、凝った仮装をしていると褒められます。
そして、秋の実りと生の喜びあふれる祝祭日は、亡霊や地獄――死に最も近づく日でもあります。人々はこの世ならざる者達に拐かされないように、仮装して魔物に化けます。魔女にとっては本領を発揮できる、ラッキデーのはずだったのですが。
「魔女様、ご心配せずともパンは私が美味しくいただきました。見た目は最悪でしたが」
セバスチャンが、パンを食べてしまったことをしれっと白状しました。一月前、収穫したぶどうを干すところから仕込んでいた森の魔女は、とどめを刺されて突っ伏します。
「セバスチャン……あなた、私のことが嫌いなのね!? そうなのね!? そうでなきゃ、悪魔か何かに取り憑かれてるのよ!」
悪霊退散! と絶叫しながら飛びかかる森の魔女を、セバスチャンは片手であしらいます。ついに空き瓶を振り回し始めた魔女ですが、執事は息も乱さずそれを取り上げてしまいました。酒乱を宥める従僕にしか見えません。
「嫌いだなどと言われてしまうとは、心外です。私は魔女様を敬愛しておりますよ」
口の端だけ吊り上げて笑うその顔は、とても主人を敬愛している執事には思えません。寝首を掻くどころか、正面からそっ首を叩き斬る者の目をしています。
「こ、こんなに心のこもらない言葉もないわ。こいつの前で酔っ払って生きていたことを、感謝するべきなのかしら……」
『魔女様、おれは魔女様のこと嫌いじゃない』
優しい番犬ヴィックは励ましますが、彼もあくまで「好き」とは言いません。森の魔女は、彼の優しさにちょっと傷つきました。
「いいのよヴィック、あなたはそれで」
赤黒い毛並みを撫でると、魔女はヴィックから甘い香りがしてくることに気づきました。甘いぶどうを、さらにぎゅっと濃厚にしたような――。
「……あなたもぶどうパン食べたのね」
ヴィックは主人から目を逸らしました。しかし魔女はしつこく彼の目を覗き込みます。
死者が現世を訪れる収穫祭に、子供達は死者のためにぶどうパンを捧げます。近所の家々を回って調達する風習なのですが、子供達と触れ合いたい森の魔女は、カゴにいっぱいに用意して出かけるつもりでした。
と、不意にぱん、と何かが弾けるような音と共に、しゃがれた声が降ってきました。誰かが魔法で無理に館の中に入ってきたのです。こんなことができる者は、何人もいません。
「――様子を見に来てみれば、なんだいアンタは。みっともないね」
ヴィックと不毛なにらめっこしていた森の魔女は、むくっと身を起こしました。
「お姉さま。あなたが一服盛ったお酒のせいで、収穫祭に乗り遅れちゃったのよ! 私が楽しみにしていたのを知っているくせに、ひどいわぁ!」
「何言ってんだい、この馬鹿娘。アンタが近隣の村人達に何て呼ばれてるのか知ってんのかい!? 地獄の死者も裸足で逃げ出す化け物だよ! アンタを見た子供、恐怖のあまり号泣しながら逃げてんだよ! しかも今年は、ウチの哀れなガキ共まで脅かそうなんて考えてただろう。冗談じゃないよ! あの子らにいらん傷を残されちゃ、たまんないんだよ!」
師匠に一気にまくし立てられた森の魔女は、眉を下げて言いました。
「そ、そんなにいっぺんに言われても、分からないわ」
「さすがは魔女様。見事なまでの理解力ですね」
真顔で褒めたセバスチャンに、森の魔女は笑みを浮かべかけて止まります。
「こんな切れ味の鋭い称賛って、あるのね。何だか胸がえぐられるようだわ」
「ああもう、アタシは疲れたよ……」
脱力した人食いババアは、気味の悪い木目の椅子に座りました。すると、彼女の隣にはいつの間にか先客がいました。これには森の魔女も驚きます。
「古き森の魔女よ、さすがのお前も寄る年波には勝てぬようだな」
嘲笑うそれは、人ではありません。爛々とした目と、巨大な牙をもつ顎ばかりが目立つ――何か。その体は黒い靄のように定かではなく、それが身動ぎすると、ぞろりと気味の悪い音がします。その魔物の名は、ジャバウォックと言いました。
「ちょっとあなた、許しもなく私の館に入らないでくださる? しかも勝手に座っちゃうなんて、とんだ悪戯っ子ね!」
「…………おいババア、お前もっとマシな魔女を育てろよ」
妙にはしゃいだ態度の森の魔女に、勿体ぶっていたジャバウォックの口調が荒れました。言われた人食いババアは、むっつりと首を振ります。
「セバスチャン、ちょっとヴォーパルソード持っといで! こいつのそっ首を斬り飛ばしてやりな!」
「御意」
そして本当に首撥ねの剣を振り回した執事は、不定形の魔物との乱闘を演じます。主人である森の魔女は、どこか満足げにそれを見ていました。
そして、疲労困憊になった魔物は、森の魔女に切々と訴えます。
「……なあ、お前が祭りを楽しみにしてるように、俺達も年に一度の開門の日を心待ちにしてたんだよ。けどなあ、お前のそのケッタイな魔力のおかげで、こっちも迷惑してんだよ!」
ジャバウォックの魂の叫びに、森の魔女は困惑しました。開門の日とは、魔物達の祝祭です。冥界の門が開いて死者や魔物、悪魔がこの世になだれ込みます。実は彼らは、人間が恐るような誘拐紛いのことはしません。ただ気晴らしに遊びに来るのです。
ただ、彼らの言うその「遊び」が、時として洒落にならない災厄となるだけで――。しかし、そんな彼らが迷惑を被っていると言うのです。
「お前のせいで、人間共の仮装がとんでもねえことになってんだよ! 特にお前だ! 前回なんか、俺らの方が怖くてちびるかと思ったわ!」
靄を尖らせて示した先には、肩に剣を担いだセバスチャン。さっき百人ほど虐殺してきた狂戦士といった風情です。
「まあ失礼ねえ。セバスチャンは、仮装なんてしていないわよ」
「私はいつでも真っ向勝負を信条としております」
当たり前のような顔で言い合う主従に、ジャバウォックは唸ります。そして、二度と祭りに参加してくれるなと言いました。
森の魔女がいると、その魔力のせいで人間達の仮装が常軌を逸する気持ち悪さとなり、せっかく現世に戻った亡霊達が恐慌状態になってしまうというのです。
故郷が化け物に占拠された様を毎年見せつけられた亡霊達を中心に、近頃では開門の日に参加するのを見合わせる者も出ていました。それで困るのは、冥界で働く者達です。
「開門の日に亡霊共が出払わねえと、休めねえだろ。まあ俺ら下っ端には関係ねえが」
この一言で、人食いババアは来年以降も妨害すると宣言しました。それを聞いた森の魔女は、次回は飲食物に注意しようと心に誓いました。
ハッピーハロウィンとか書きたかったのに、忘れていて乗り遅れました。